わたしは俳優です。
以前はとても有名な劇団にいて、思うところあってほかの劇団に移籍し、
そこでも恵まれて主演なんかいっぱいさせてもらって、結構お金ももらってました。
けれどわたしは今はそういう舞台に出ていません。
人は言います。「もったいない」
「お金にもならない状況でいて意味あるの」
でも、わたしはそれでいいと思っています。
わたしは物心ついたときから「俳優」になると思っていました。
どういうわけかそれが使命だと感じたからです。
これしか出来ないなあ、とやる前から思っていました。
全然それが叶わない環境だったんだけど、
使命がそれなのでやっぱりその職業になりました(^^)
これは、本当の話です。
わたしは死ぬほどお芝居が好きです。
昔、お芝居って何なのかよく分かりませんでした。
一言で言うと「演劇」演じる事が好きなんだ~。
お芝居って演じることなんだ~って思ってました。
じゃあ、演じるって何よ?って言ったら
みんなは「演技」嘘をつくことと言うのです。
「へ?」
わたしにはその感覚はありませんでした。最初から。
わたしにとって演劇は「真実」の生まれるところです。
お芝居は真実を創るものだと思っていました。
ところが「それじゃあ演技じゃないじゃないか」と言われるのです。
そんな事があって、自分の出ているお芝居を外から観ていたらなんか違う…。
そう、みんなが本当にお芝居をしたいのか分からない舞台だったのです。
わたしは舞台に上がるとその人になってしまうのでそれに気が付きませんでした。
でも、離れたところから見たら、そういう人ばかりだったのです。
商業演劇に出る人がみんなそうだとはいいません。
けれど、好きではじめたことがいつしか仕事になり
仕事は食べていくことになり、そしてそれはもっと貪欲になっていき
俳優として生きていくことは名声と富を得ることに変わってゆく。
そういう風にわたしの目とこころにうつりました。
「別にいいの。芝居なんか出来なくたって。
あたしはあたしのダンスだけ見てもらえれば」
一緒に出ていた著名なダンサー出身のミュージカル俳優さんがいった言葉。
じゃあ、芝居のある舞台に出ないでよ。。。お客様はあなたのお芝居にお金払うのよ。
「客なんて何見たって同じだよ。うちの作品に出てれば一流だって思うんだから」
。。。。。悲しい。悲しい。かなしいよ。
わたしはそう思いました。
そうしているうちにわたしは舞台に出るのが苦しくなった。
お客様が幕間で涙を拭いていらっしゃる。
何見たって客は芝居なんかわかんない、そういった俳優の芝居で。
芝居なんかどうでもいい、あたしのダンスだけよければ、
そういった俳優のダンスに。
そうして私は気が付いた、足りなかったものに。それは何か?
それは「愛」でした。
お芝居って愛なんだ。そう気が付いたのです。
少なくともわたしはずーっとそう思っていたんだ、そう気が付きました。
愛のないものでお金取っちゃいけない。だってお金は愛だもん、命だよ、そう思った。
人は生きるために一生懸命働きます。
そしてその働いたお金で一時夢を見にいらっしゃる。
舞台という真実を生み出す場にいらっしゃる。
それをこういう偽っている場所で、
お客様を軽んじている場所でもらったら詐欺じゃん!
そう思いました。
それでわたしは大きな舞台に立つのをやめました。
そこに大きな価値を見出せなかったからです。
それからわたしは愛あるたましいの仲間たちと旅をしました。
車でいろんな場所をお芝居をしてまわる旅です。
わたし達は自分達のギャラを全部使って交通費を出し合い
とても車がいけないような山の村や海の村に出向いて行きました。
お芝居を全く見たことのない人々に会いに行きました。
劇場は学校だったり、公民館だったり、大きなうちの広間のときもありました。
お金を月に50万も60万ももらってた時と違って
ギャラは安かったし、全部のお金をそうやって使っていたから
お金はほとんどありませんでした。
貧乏で貧乏で、みんなでパックご飯とシーチキンを分け合って食べてた。
それでも、大きな劇団が1万円のチケット代を取るのなら
わたし達はそれと同じだけ払ってもいいといわれるお芝居をしていこう。
演じる場所も金額も小さいけれどそんなことは関係なかった。
一回一回丁寧に丁寧にお芝居をしました。
愛を持って。愛だけの存在になって。
するとお客様が愛をかえしてくれるのです。涙で、拍手で、笑顔で。
その時思いました。わたし達は一本の木みたいだなあ、って。
木は太陽や雨や大地からいろいろな力をもらって大きくなります。
芽吹き、葉を茂らせ、花を咲かせ、実をつけます。
そして大地に落ちて、その葉や実や種は外にあるものを喜ばせ、肥やします。
わたし達俳優が舞台に立つとき、少なくともわたしは
お客様に向かって祈りをもって芝居をします。
その一時をどうぞ喜んでもらえますようにと。
そして祈りのままに舞台に立ち、真実の瞬間を生きます。
見てくださるお客様の生命を感じながら。
お客様は一緒に舞台を旅してくれます。
そして何かを感じてくださるのでしょう。
そして何かを感じたお客様の息吹はわたし達に力をくれます。
それは廻るのです。わたし達の間を。
そして大きく育ちます。まるで一本の木が育つように。
そこに流れるものは愛だとわたしは思っているのです。
いや、間違いなくそうだとわたしは知っています。
なぜなら、わたしがお芝居を観るとき与えられたものは愛だったから。
わたしが演じたとき、そこにあったものは愛だったから。
そして時がたち、もう一つわたしはわかりました。
これは「お芝居に限らない」ということを。
すべては「一本の木のように廻っている」と言うことを。
そして廻っているものは「愛」であると言う事を。
どこにもその関係が存在すると言うことを。
だからわたしは愛を語るのです。
迷わずにそうしようと決めました。
愛のあるところに真実があるのだという事を知ったから。
わたしの仕事は俳優です。
俳優は真実を創ります。
真実は愛です。
わたしは愛を作り続けましょう。
一本の木のように。
みんなの愛とつながって。
以前はとても有名な劇団にいて、思うところあってほかの劇団に移籍し、
そこでも恵まれて主演なんかいっぱいさせてもらって、結構お金ももらってました。
けれどわたしは今はそういう舞台に出ていません。
人は言います。「もったいない」
「お金にもならない状況でいて意味あるの」
でも、わたしはそれでいいと思っています。
わたしは物心ついたときから「俳優」になると思っていました。
どういうわけかそれが使命だと感じたからです。
これしか出来ないなあ、とやる前から思っていました。
全然それが叶わない環境だったんだけど、
使命がそれなのでやっぱりその職業になりました(^^)
これは、本当の話です。
わたしは死ぬほどお芝居が好きです。
昔、お芝居って何なのかよく分かりませんでした。
一言で言うと「演劇」演じる事が好きなんだ~。
お芝居って演じることなんだ~って思ってました。
じゃあ、演じるって何よ?って言ったら
みんなは「演技」嘘をつくことと言うのです。
「へ?」
わたしにはその感覚はありませんでした。最初から。
わたしにとって演劇は「真実」の生まれるところです。
お芝居は真実を創るものだと思っていました。
ところが「それじゃあ演技じゃないじゃないか」と言われるのです。
そんな事があって、自分の出ているお芝居を外から観ていたらなんか違う…。
そう、みんなが本当にお芝居をしたいのか分からない舞台だったのです。
わたしは舞台に上がるとその人になってしまうのでそれに気が付きませんでした。
でも、離れたところから見たら、そういう人ばかりだったのです。
商業演劇に出る人がみんなそうだとはいいません。
けれど、好きではじめたことがいつしか仕事になり
仕事は食べていくことになり、そしてそれはもっと貪欲になっていき
俳優として生きていくことは名声と富を得ることに変わってゆく。
そういう風にわたしの目とこころにうつりました。
「別にいいの。芝居なんか出来なくたって。
あたしはあたしのダンスだけ見てもらえれば」
一緒に出ていた著名なダンサー出身のミュージカル俳優さんがいった言葉。
じゃあ、芝居のある舞台に出ないでよ。。。お客様はあなたのお芝居にお金払うのよ。
「客なんて何見たって同じだよ。うちの作品に出てれば一流だって思うんだから」
。。。。。悲しい。悲しい。かなしいよ。
わたしはそう思いました。
そうしているうちにわたしは舞台に出るのが苦しくなった。
お客様が幕間で涙を拭いていらっしゃる。
何見たって客は芝居なんかわかんない、そういった俳優の芝居で。
芝居なんかどうでもいい、あたしのダンスだけよければ、
そういった俳優のダンスに。
そうして私は気が付いた、足りなかったものに。それは何か?
それは「愛」でした。
お芝居って愛なんだ。そう気が付いたのです。
少なくともわたしはずーっとそう思っていたんだ、そう気が付きました。
愛のないものでお金取っちゃいけない。だってお金は愛だもん、命だよ、そう思った。
人は生きるために一生懸命働きます。
そしてその働いたお金で一時夢を見にいらっしゃる。
舞台という真実を生み出す場にいらっしゃる。
それをこういう偽っている場所で、
お客様を軽んじている場所でもらったら詐欺じゃん!
そう思いました。
それでわたしは大きな舞台に立つのをやめました。
そこに大きな価値を見出せなかったからです。
それからわたしは愛あるたましいの仲間たちと旅をしました。
車でいろんな場所をお芝居をしてまわる旅です。
わたし達は自分達のギャラを全部使って交通費を出し合い
とても車がいけないような山の村や海の村に出向いて行きました。
お芝居を全く見たことのない人々に会いに行きました。
劇場は学校だったり、公民館だったり、大きなうちの広間のときもありました。
お金を月に50万も60万ももらってた時と違って
ギャラは安かったし、全部のお金をそうやって使っていたから
お金はほとんどありませんでした。
貧乏で貧乏で、みんなでパックご飯とシーチキンを分け合って食べてた。
それでも、大きな劇団が1万円のチケット代を取るのなら
わたし達はそれと同じだけ払ってもいいといわれるお芝居をしていこう。
演じる場所も金額も小さいけれどそんなことは関係なかった。
一回一回丁寧に丁寧にお芝居をしました。
愛を持って。愛だけの存在になって。
するとお客様が愛をかえしてくれるのです。涙で、拍手で、笑顔で。
その時思いました。わたし達は一本の木みたいだなあ、って。
木は太陽や雨や大地からいろいろな力をもらって大きくなります。
芽吹き、葉を茂らせ、花を咲かせ、実をつけます。
そして大地に落ちて、その葉や実や種は外にあるものを喜ばせ、肥やします。
わたし達俳優が舞台に立つとき、少なくともわたしは
お客様に向かって祈りをもって芝居をします。
その一時をどうぞ喜んでもらえますようにと。
そして祈りのままに舞台に立ち、真実の瞬間を生きます。
見てくださるお客様の生命を感じながら。
お客様は一緒に舞台を旅してくれます。
そして何かを感じてくださるのでしょう。
そして何かを感じたお客様の息吹はわたし達に力をくれます。
それは廻るのです。わたし達の間を。
そして大きく育ちます。まるで一本の木が育つように。
そこに流れるものは愛だとわたしは思っているのです。
いや、間違いなくそうだとわたしは知っています。
なぜなら、わたしがお芝居を観るとき与えられたものは愛だったから。
わたしが演じたとき、そこにあったものは愛だったから。
そして時がたち、もう一つわたしはわかりました。
これは「お芝居に限らない」ということを。
すべては「一本の木のように廻っている」と言うことを。
そして廻っているものは「愛」であると言う事を。
どこにもその関係が存在すると言うことを。
だからわたしは愛を語るのです。
迷わずにそうしようと決めました。
愛のあるところに真実があるのだという事を知ったから。
わたしの仕事は俳優です。
俳優は真実を創ります。
真実は愛です。
わたしは愛を作り続けましょう。
一本の木のように。
みんなの愛とつながって。