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KOFUKUの家から

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ほんとうのさいわい

2006-10-03 | KOFUKU日記
昨日、不思議な偶然がありました。今日はそれをお話したいと思います。
このお話のなかにはある宗教のお話が出てきます。
名称は書きませんが、語りなりでなんという宗教か分かるかもしれません。
お断りしておきたいのは、その宗教の事を語りたいのではなく、
またその内容を否定する事も肯定する事もない事をお伝えしておきたいと思います。
どうぞ、この宗教をお信じになっている方がお気を悪くされませんように。

昨日、メールを頂きました。
その方のメールには宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のことが
愛を持って書かれていました。
私も類に漏れず賢治が大好きです。そのために一人旅もしたくらいに。
特にこの著名な作品のなかには賢治特有の祈りがあるように思います。
「銀河鉄道の夜」はジョバンニ少年が親友のカムパネルラと共に
「ほんとうのさいわい」を探す美しい物語です。

夕べ、仕事場でこんな事を聞きました。
私の仕事場のオーナーさんはお若いときにある事があって
ある宗教の修行にいかされたのだそうです。
そこはある、町ひとつがその総本山になっているところで、
日々、教えを頂き、奉仕をし、質素な生活をしていたそうで、
そこでは本当の幸せとは何かを考え、どうするかを決める事が目的だった、
とおっしゃっていました。
それを心定めと言うらしく、自分の心に決心をして行動するのだそうです。
その心定めで「一番大切なものは何ですか?」と聞かれたそうです。
そして一番大切なものは「命」と教わり、
あなたに心があるのなら自分の心に約束をしなさい、と。
命を捧げてしまっては、何も出来ないから、
二番目に大切なものを捧げなさいといわれたそうです。
しかし、それは人や気持ちではいけない、と。
そうしてオーナーさんが教えられた言葉を聞きました。
「二番目に大切なものはお金」
なぜなら、お金無しでは人は生きられない。
命や健康があれば何をしても生きていける、
しかしお金は生活に欠かせない。
それがないと人は決して生きていけないのだ、と。
お金は二番目に大切なもの、しかしそれを得られず、
困っている人のために捧げなさい、と言われたのだそうです。
私はぼーっとその話を聞きながら、「ふうん」と思っていました。
そして間違いとか正しいとかじゃなくて、
そうともいえないよなあ、って漠然と思っていたのです。
不思議だったのです、わたしには、なんとなく。
「お金がないと生きていけない」
「だからお金は二番目に大事」って言うのが。そうかなあ?って。
皆さんはどう感じられるでしょうか?
それを言ったら周りの人が
「そうですよね!お米一つ買うにもお金ですもんね」
って普通に共感してたのがまた不思議で。
で、最終的には「そういうところで生きてる人は幸せよね」
「それは騙されてる」とか何とかって話しになってて。
わたしは一切話には加わりませんでしたがこう感じてたんです。
「お金がないと生きていけない」と思ってるから
生きていけないような気がする、って。
いや、実際わたしはお金に困窮してますから(^。^)
こんなわたしがこういったら、「あんたが何言ってんの!」って
仕事場で総スカン食らうのは目に見えてるんですけどね。
でもね、私んち、昔まったくお金がないことなんてざらでした。
電気も水道もガスも止まっちゃったりしてて。
川から水汲んできて飲んでました。
古いところで猿岩石の旅状態、かなりのサバイバルです。
んで、私いつも思ったんですよ、いっそのこと、
こういうのないところにいきゃあいいのに~って。
だってね、不便だと思ったことないんだもん、そういうの。
人間、生きられるんですよね、そういう文明なくっても。
だって、みんなキャンプするでしょ?出来るんだよね、実際。
なんでこういうこと言うかっていうと、
昨日、仕事場でわたしがこう言ったんです。
ある人が「俺はテレビを見ない。嫌いだから」って。
で「私もテレビ見てない生活してましたよ。
私の場合はそういう環境にいたんですけど」
って言ったら、オーナーさんが呆れた顔で首をかしげながらいいました。
「また、そういう事を言う。
今どきテレビない生活してるところなんてあるわけないじゃない。
あなたのいう事は頭よすぎてわたしには良く分からないわ。
みんなも話半分で聞いてね。」
うーん、そうかあ、そう思うものなのね、
そういう生活って今は馬鹿にされる事なんだ。
いやあ、あるけどなあ~テレビないとこ。(心のつぶやき・笑)
シュタイナー教育やってる人の家は殆ど家にテレビがありませんし、
あっても見ません。私はそういうところに居たので、
だから不思議でもなんでもなくて。
そういう事があったので、なんとなく大切なものと価値観と
いうようなものを考えたのでした。
そうして思ったのは「ほんとうのさいわい」のこと。
銀河鉄道の夜に出てくる言葉だったのです。

そうしていたところにメールがあって銀河鉄道の夜のことが書かれてありました。
本当のさいわいのことが。

銀河鉄道の夜にこういうシーンがあります。

「なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにそれがどんなつらいことでもそれがただしいことを
進む中のできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸せに
近づくひとあしずつですから」
燈台守がなぐさめていました。
「ああ、そうです。ただいちばんのさいわいに至るために
いろいろの悲しみもみんなおぼしめしです」
青年が祈るようにそう答えました。

またこういうシーンもあります。

「「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ。
どこまでもどこまでも一緒に行こう。
僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば
僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん、僕だってそうだ」
カムパネルラの眼にはきれいな涙が浮かんでいました。
「けれどもほんもののさいわいは一体なんだろう?」ジョバンニが云いました・
「僕分からない」カムパネルラがぼんやり云いました。
(中略)
天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。
ジョバンニが云いました。
「僕もうあんな大きな暗のなかだって怖くない。
きっとみんなのほんとうのさいわいを探しに行く。
どこまでもどこまでも僕達一緒に進んで行こう」

わたしはほんとうのさいわいを探しに行きたい、と思う。私の方法で。
そうして星の道のまんなかで彼らのように心からいいたいなと思います。

「どこまでもどこまでも一緒に行こう。
僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば
僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

これは昨日頂いたメールで贈られた言葉です。
それを同時に思っていた事が不思議だったのでした。
たぶんほんとうのさいわいに至る道にはきっと
灯台守が言ったように上りも下りも必要で尊いのでしょう。

いつかみんなのほんとうのさいわいのために身をやくことが出来ますように


「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ。
どこまでもどこまでも一緒に行こう。
僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば
僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

「うん、僕だってそうだ」