個人権と公共的理性の関係

2017-08-30 05:45:07 | 日記
個人の権利は諸個人が熟慮に熟慮を重ねた結果として出現してくる「固有」の純粋理性であり、この「理性としての権利」は個人間でまちまちであり、ゆえにその集合体としての公共理性は創発性を有するというわけです。

ここで注意しなければならないのは、「固有」というのは「特有」の意味であり、一般的に言われる人間「固有」の権利といった意味でつかわれるときの「普遍性」概念の逆の意味であるということです。

創発的価値は、個人の権能を超え出たものであり、それだけで正当化可能であると思われます。

一般的な民主論が前提とする対等な権利というのは、夢想としかロールズには映らないでしょう。

この視点でウォルツァーを読んでいるのですが、本棚を整理していたら、カメンカ他の『正義論』が出てきました。

法哲学的議論でわたくしにはあまり関係性が薄いのですが、読んでみようとは思います。

いつになるかはわかりません。

プルンナーはすでに読んでいるので二回目の読書となります。

ロールズの国民主権論

2017-08-30 04:44:43 | 日記
ロールズの国民主権は、個人の権利の行使を意味するものではありません。

それは、国民の権利の集合体としての公共的理性の行使に相当するというものです。

公共的理性は、国民の権利の集合体ですから創発性emergencyは逃れられません。

個人のエゴイズムは、ここにおいて捨象されます。

ロールジアン・リベラリズムはエゴイズムを駆逐した点に画期的理論の良さがあると思います。

もともと公共性という概念には創発性的な響きがあります。

今日は寝ません。

明日、14時間まとめて寝ます。

この14時間ぴったしに起きるというのが謎でそれ以上は眠ません。

体内リズムはしっかりしているのだと思います。

これから、ウォルツァーの『正義の領分』を原文テキストで読みます。