ロールズを読む 8

2017-01-30 18:21:24 | 日記
古典的功利主義は優先順位の問題と真っ向から対立する。

前者は設定され善を実現するという目的理論に対して、後者は目的自身が対立するのである。

相互の権利要求を裁定するための合意された基準を確立したいと思うのであれば、複数の重みづけ必要となる。

これは功利主義がなすところであり、熟慮・確信といった思慮深い試みは必要ではない。

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ロールズの筆致を「まね」することはできないが、それでも頑張って要約します。

問題を複雑すぎさせると、かえって、何を言っているのかわからないので、「簡訳」につとめている。

きょうはひさびさに、語学の勉強した。

板橋亮平

ロールズを読む 7

2017-01-26 20:16:57 | 日記
秩序ある社会を維持・発展させるには、正義の構想ではなく正義の原理を適用するところである。

ここにロールズの政治的保守性が看取できる。

また、また正義の構想を裁定するには正義の原理である。

直観主義では元来、正規のルールがないし、ルールなき秩序ある社会などない、

直観主義は排斥されるべきである。

板橋亮平

ロールズを読む 6

2017-01-24 20:10:54 | 日記
功利主義はことほど左様に目的論であるのに対して、正義の原理は全くそうではないのである。

正義の原理は義務論である。

偶然の出来事や偶発性の事柄から独立して定立されるものである。

善を最大化するのは功利主義的目的論でこれは容認できない。

社会システムのなかから代表的な任意の人物を一人選び、彼/彼女が直観に訴えて正義の原理を適用することは許容される。

集計と分配の経済システムが正義のそれである。

複数の構想を調停する正義の原理が作用する社会システムが理にかなっている。

ある程度の年齢を超える人々が正義の感覚を発揮するということは理に適っている。

正義の構想は正義の原理と適合する事柄を理にかなうものとして解釈する人々を道徳観を持つ人々といってよかろう。

正義の感覚の下で生み出されたしっかりした判断は、正義の原理と一致する。

よって秩序ある安定した社会が維持・発展できるのである。

様々な構想が比較衡量され辞書的順序付けによって整備されれば正義の社会は生まれるのである。

正義の原理と構想とが一致することを探るのがベストだとロールズは言うが、ではその準拠となるべきルールはどこにあるのか。

どこにも述べられていない。

反照的均衡はしっかりとした諸判断と一致するように正義の原理は改定されるかのように書いているが、そもそも正義の原理が基底的であって、構想が反照されるのである。

正義の原理の基底性はどこにいってしまったのであろうか。




ロールズを読む 5

2017-01-23 19:22:33 | 日記
自由と権利を要求することは正当である。

社会全体の福祉の集計量が増大するということは不当である。

後者の調整を1のいうように理想的な観察者がたとえ望ましい方策は、個人を融合させるということから調整するのである。

正義の優先権は当然のごとく存在し、わたくしの確信はそれによって調整されるのである。

正義の原理は原初状態で合意される原理と構想に焦点を当てるのに対して、功利主義はそうしたげ権利や構想の比較衡量をして最大化することが正義であるとする。

正義の原理は権利基底的であるのに対して、功利主義は善が正義に優先されるというのが基底的である。


目的論は善をあらかじめ設定し、それを実現することが理に適っているのに対して、卓越主義も卓越とされる事柄を成就するのに正義の権利を与える。

直観主義とは、複数の正義の政治的構想から選択すると考える思想である。

しかし正義の原理がそのような行為をするのではなかろうか。

直観主義はまさしくネイミングどおり正義の原理に訴えかけずに判断や確信といったルールなき思考を是とするものである。


ロールズはこれを徹底して峻拒するのである。



板橋亮平

ロールズを読む 4

2017-01-20 21:03:01 | 日記
古典的功利主義は、ある人の人権を踏みにじっても、社会の幸福の総計が最大化されればよいと考える。

これには、快楽主義、幸福主義なども含まれる。

一人の合理的な幸福・功利の計算の仕方を社会の幸福計算にあてはめてしまうのである。

個人の原理は、自分の福利を最大化することが善だとするので、功利主義は社会の福利を最大化することが善だと考えるのである。

また目的論も正義論に反する。

目的論は最初に善を設定してそれを最大化することを要求することが道理的であることが考えるのである。

合理性は、目的を達成した度合いによって計られるのである。

ハイエクの言う「設計主義」はこれに該当する。

自由の侵害と利益の分配は繋がる側面もあるが、自由は功利によって侵害されることを正義は許容しないのである。

効率性や合理性は正義の原理のサブシステムの中にある。

相対的利益の最大化が自由と正義の原理よりも下位に位置づけられるのは、我々の直観に訴えるものがある。

結果としての欲望充足は、正義の原理はこれを許容しない。

板橋亮平

ロールズを読む 3

2017-01-19 20:53:55 | 日記
正義の特徴は、原初状態における人々が自由かつ平等で妬みがなく相互無関心であるところにある。

社会的協働を可能にするのは功利主義思想ではなくreciprocityにある。

制度枠組みが人々の利益を全員について増進しないかぎり格差原理はこれを許さない。

契約理論は、社会的制度の枠組みを形成し、その発展を増進する事を許容する。

公示性、つまり市民が両者であいともに正義の原理を遵守していることを公に知ってといることが正義の原理は容認する。

正義の原理を正当化できるのは、かかる正義にかんする熟慮と討議にによるものである。

正義の原理が広範に合意しているというのはロールズの間違いであり、広範に合意できるような枠組みにかんする「狭い」合意にかんする討議が必要なのである。

手続きとしての原初状態は、ロールズのいっている反照的原理と違いコンスタントである。

でなければ、均衡は確定しない。

原理と確信が釣り合いが取れるのは、どちらかがコンスタンとでなければ無理が生じる。

正義感覚を所有し善の構想を所有している道徳的人格は原初状態に存在するのであり、ロールズがいう原初状態のホッブズ的解釈は採用できないのである。

正義の構想が整合的だとの「Political Liberalism」とのかいしろゃくは間違いであり、原初状態が普遍性をもっているとの基礎付け主義を捨象してはならないのである。

反照的均衡は、確信や判断が原理に付されて始めて入手できるのである。

これを整合説ではなく基礎づけ主義と呼ぶ。

板橋亮平

ジョン・ロールズ 2

2017-01-18 23:01:53 | 日記
社会制度が正義の諸原理を満たしている場合、正義の諸原理は仮設的に設定され原初状態で結ばれた初期合意は完全なものとなる。

自発的に生みだされた人々は、道徳的にあたいしないから、原初状態と無知のヴェールという道具立てが必要となる。

初期状況は、空白な状況であり包括的構想は除去・峻拒されている。

原初状態で結ばれる正義の原理のほうが、ある人が別の人の善を踏み潰すことで社会が幸福になってもそれは許容・受諾されない。

社会的協働とは、たんに見えざる手ではなく、相互に経済取引しても、相互に還元できない創発的な資本を生み出すものである。

10-21頁

板橋亮平

ロールズ『正義論』を読む 1

2017-01-17 22:29:20 | 日記
正義は社会制度の徳目である。

正義は、制度がいくら立派であってもそれを奉戴する「相互に冒険的企て」としての利益を追求するシチズンシップを人々が発揮しなければ絵に描いた餅である。

正義は社会契約の一般理論であり、特定の直観的理論ではない。

1-9頁まで

毎日10ページ程度読んでいきます。なお、これはレジュメではなく、私見も入れたハンドアウトであることを宣言しておきます。


新年 あけましておめでとうございます

2017-01-01 18:42:00 | 日記
今年もよろしくお願いします。

呑気に楽しく爽やかに生きたいですね。

そうはいってもなかなかうまくははまいりませんね。

今年は、ロールズに対する誤解を再度解いていきたいと思います。

数限りないこの力を振り絞って頑張ります。

皆さんにとっても良い年でありますように。

                                板橋 亮平