カントの偉大さ

2018-10-26 14:59:39 | 日記
いま、カントを読んでいます。

もちろんドイツ語で。

ミクロの行為がマクロの全体性に内在する普遍性に妥当するように、との文言を愚直なまでに拘泥した筆致はすばらしいと思います。

ロールズがカントに影響を受けたのも頷けます。

オルテガもカントに影響を受けています。

近代という時代を知るにはカントを読まなくてはならないことは必定でしょう。

実証政治分析の本(コミュニタリアンの本)を読む

2018-10-19 16:17:09 | 日記
わたくしは、比較政治思想分析を専門としています。
規範理論の研究をしています。
いまは、リベラリズム対コミュニタリアニズムの研究をしています。
ロールズはリベラリズムの系譜に入ります。
それに比較するとコミュニタリアニズムの思想の真髄を唱えている論者はたくさんいます。
社会学だと、エチオーニ、べラーがつとに有名ですし、倫理学の世界では、マッキンタイアー、テイラー、ウォルツァーなどがあげられます。
わたくしがロールズに興味があるのは、彼がひとえにリバタリアニズム(権利尊重主義者)でもなければ、つまり権利基底的リベラリズムでもないところに関心がひかれるからです。
ロールズは、人々の善が正義の枠内で追求されるスキームの中に存在するプライマリー・グッズを平等に配分することを是としています。
誰もが欲する財を基本的なものに限定して配分するという善の希薄理論は興味深いものがあるといえましょう。
その意味でロールズは、マルキストではないですし、リベラリズムの貫徹を国家のガイドラインとするリベラリストといえましょう。
今所有している権利はぜであるということを論拠に権利規定的なリバタリアンのノージックや、平等に強い志向性を持つドゥウォーキンとはロールズの理論は微少ながら違います。
ロールズは、無知のヴェールを原初状態で代表者にかぶせます。
もちろん彼らは社会の一般的事実や自然の一般法則は知っているとされます。
しかしその他の事柄は無知であるとされます。
その上で正義の原理を彼らが演繹します。
このやり方を分析哲学といいます。
この哲学の強みは論理性の再構成が何度でも可能であるということです。
試行錯誤といったらよいでしょうか。
その意味で社会契約論は分析哲学の範疇に入ります。
スピノザ、ホッブズ、ロック、ルソー、カント、ロールズはみな分析哲学に入ります。
後期ロールズについてもこの流れに属しています。
Political Liberalismも同じということです。
わたくしは、今共同体主義関係の本を読んでいます。
ロールズ研究史を発展的にとらまえる上でとても啓発的な作業と思っております。
共通善が政治的善になりうるのかどうかわたくしは疑問です。
共通善などといわなくてもロールズの重合的合意で十分政治はおこなえるとおもうのはわたくしだけでしょうか。
重合的合意はあくまで政治的合意です。
共通善とは言わずにヴァーチューこそが政治的善だと主張するのがコミュニタリアンです。
この主張が正当化されるためには、個人の持つそれぞれの善を共通善のために一部分的に、あるいは全部峻拒することも許されると考えなければならないということです。
ロールズが指弾したのは正義が善に侵食されることを良しとしないということです。
善の優先性、善の制約性は、個人の基本的人権を侵さないことが重要であるという横からの制約性を意味します。
善が全部おしつぶされてしまうということでは、何のためのリベラリズムなのかわからないというロールズの政治理論は思考しているからです。
以上のようにロールズは、このような政治理論を公共哲学と規定しているのです。
公共哲学については次回以降述べましょう。


ロールズ 正義と善の関係

2018-10-16 17:18:05 | 日記
正義は、善から導出されてはならない。

また、正義は善に優先しなければならない。

そして、正義は善を制約しなければならない。

この三つの命題についてすでに査読論文で論じましたが、このような正義の概念はひょっとすると、空白のユートピアかもしれません。

しかしながら、わたくしはそうは思いません。

正義が政治的正義である以上、手続き的な意味合いは有しているからだと思います。

「臨床政治研究」に書きましたのでぜひお読みください。

志學社から出版されています。