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真田行2 大阪編

真田氏ゆかりの地、最初は大阪。JR環状線「大阪城公園駅」を下車、しばらく歩くと大阪城ホールがあります。前はよく来たんですが最近はご無沙汰。さらに歩き大阪城天守へ。

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極楽橋方面からの「大阪城」
1614年10月豊臣・徳川間に緊張がはしる中、幸村はこの城に入城する。


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山里曲輪にある「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑。1615年5月8日豊臣家は滅亡する。


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山里曲輪には更に「淀君並殉死者32名慰霊塔」があります。

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大坂城五人衆の一人・毛利勝永らと共に幸村の長子・真田大助の名前もみえます。

大阪城は他にも見所が多く、天守では特別展、常設展などで歴史にふれる事ができます。

JRで移動、次は「玉造駅」で下車します。向うは三光神社。

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三光神社にある「真田幸村像」
神社のあるこの地は真田丸(出丸)が有ったところと伝えられている。

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「真田の抜け穴」
大坂城まで続いていると云われているが実際は幸村と関係ないとの説が有力。昔はこの他に十数ヵ所もあったそうです。

更に南へ歩きます。

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「真田山公園」真田丸が実際あったところと云われてます。写真は案内板。写真を撮ろうと思って色々廻ったのですが普通の公園だったので、なんとなくこれを載せてみました。

1614年大坂冬の陣で幸村は真田丸を築き、徳川勢と戦い大戦果を揚げた。

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「円珠庵(鎌八幡)」
霊木に鎌を打ち込み諸々の祈願をする鎌八幡。幸村もそれにならい鎌を打ち込み祈願
したところ冬の陣の真田丸で大勝した。

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「心眼寺」
1622年に真田幸村、大助父子の冥福を願って建立されたお寺だそうです。

次は「天王寺駅」天王寺公園に向います。

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「茶臼山」
冬の陣では徳川家康が、夏の陣では幸村が布陣した。元は古墳だっと云われているが不明。家康が陣をはったことから、江戸期は入ることを禁じられていたそう。

次は「安居神社」です。


「真田幸村戦死跡之碑」
1615年5月7日ここで真田幸村は戦死する享年49歳。家康の首ひとつを目掛けて突撃、激闘の末の事だったそうです。

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