goo blog サービス終了のお知らせ 

SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1804 有岡城と荒木村重

2018-05-31 | 探訪
兵庫は伊丹
002
有岡城
伊丹氏の伊丹城であったものを荒木村重が改修し改称した。
007
立派な石垣。
ですが当時の物ではありません
015
こちらが発掘された石垣
013
織田信長に仕えていた村重だったが天正6年(1578)突如謀反を起しこの有岡城に籠城。説得に訪れた黒田官兵衛を幽閉してしまう。
やがて戦況が不利になると、村重は家族や家臣を残し逃亡。残された家族や家臣はやがて織田信長によって処刑される。

荒木村重とゆかり?のもう一ヶ所へ
020
墨染寺
026
正和二年銘層塔
九層の石塔で荒木村重の墓と伝えられる
027
女郎塚
有岡城落城後に信長によって処刑された婦女の供養塔

逃亡していた村重は織田信長の死後、茶人・荒木道薫として復帰。天正14年(1586年)に亡くなっている。
家族や家臣を見殺しに生き残り、茶の湯に生きた人生を本人はどう思っていたのだろうか。


1804 堺 茶人ゆかりの地

2018-05-29 | 探訪
今回も堺
前回・前々回と堺の茶人ゆかりの場所を巡ってきました。今回もゆかりの場所へ
077
千利休屋敷跡
078
椿の井戸
071
武野紹鷗屋敷跡
068
今井屋敷跡
解説によると今井宗薫が織田有楽より譲り受けたとのこと。父・今井宗久時代の屋敷はさらに北の方にあったとされます。

ここからは以前に訪れた時のもの
030
臨江寺
033
今井宗久と一族の墓
037_001
武野紹鷗の墓もあります

お次は
082
妙法寺
084
北向道陳の墓
左には曽呂利新左衛門の忌碑があります

最後は
138
大通庵跡
津田宗及が、父・宗達の菩提を弔うために創建した寺院。
津田家の屋敷もこの付近にあったと考えられています。

これにて堺の茶人ゆかりの地巡りは終了。江戸時代以降は京都が茶の湯の中心になりましたが、戦国時代の一時期はこの堺こそが茶の湯の中心であった事を知る良い機会となりました。
ただ古い茶室が残っていないのは残念です。


1804 天慶院 本源院

2018-05-27 | 探訪
今回は南宗寺塔頭より公開されていた2ヶ所を紹介
040
天慶院
こちらには
042-1
山上宗二供養塔(一会塚)があります
souji
※いただいた冊子より
2007年に建てられもの。
もうひとつ
043
茶室大黒庵
045-1
※案内板より
武野紹鷗好みの茶室。内部は四畳半のうち一畳分を床にして、前板を入れて仏壇を設け、円窓を切っている。入口は貴人口のみ。

つぎは
034
本源院
ここには
33-1
織田信長信忠の供養塔があります
030-1
手前が信忠、奥が信長です

前回の南宗寺に続き堺の茶人たちに関係する所を拝見できました。

1804 南宗寺 春季堺文化財特別公開

2018-05-25 | 探訪
今回も堺
006
南宗寺
058
山門
正保4年(1647)の建立
061
三好長慶像
南宗寺は長慶の父・三好元長の菩提を弔うべく建立された寺院。
050
椿乃井戸 利休居士遺愛
利休屋敷で使われていた井筒
053
唐門
さて本題
037
春季堺文化財特別公開
※以下の写真は以前来訪時のものです

027
千利休と千家一門の墓
031
三好長慶一族の墓
中央の一番高いものが長慶、右が父・元長、左が弟の実休と十河一存
026
武野紹鷗の墓
利休の師と目される茶人
064
津田家・半井家一門の墓
左より津田宗及、その父・宗達、翠巌宗珉(大徳寺195世、云也の子)、半井云也(宗及の娘を娶った)ト養(云也の子)
019
牡丹花肖柏の墓
堺伝授で知られる歌人、連歌師宗祇の弟子のひとり。
073
枯山水の庭
古田織部作庭と伝わる
069
六地蔵石燈篭
武野紹
鷗遺愛
067
向泉寺伝来袈裟形手水鉢
千利休遺愛
036
実相庵
利休好み二畳台目の茶室。
元は明治9年に堺博覧会の会場だった南宗寺へ堺の塩穴寺から移築された。空襲で焼失し現在の建物は昭和38年再建されたもの。

堺ゆかりの茶人たちの痕跡が残る場所でした。

1804 堺市博物館 堺市の指定文化財ー古文書・典籍ー

2018-05-23 | 探訪
大阪は堺
002
堺市博物館
009
企画展「堺市の指定文化財ー古文書・典籍ー」
期間:3月10日(土)~4月22日(日)

山上宗二記
堺の商人で茶人でもあった山上宗二が書した茶の湯秘伝書。その内展示本は天正18年三月に北条家の家臣・皆川山城守宛の奥書のあるものの写本。
若狭小浜藩酒井家伝来。
沢庵・江月両和尚云也居士三吟連歌巻
沢庵宗彭・江月宗玩と医師の半井云也が寛永4年(1627)堺南宗寺で催した詩会。それを云也の子である宗珠が清書したもの。内容は和歌と漢詩を交互に詠んだ高度なものとなっている。
沢庵・江月にとって穏やかな日であったであろう、しかし紫衣事件が起こりこの日常は終わりをむかえる事となった。

常設展示からも
012
慶長大火縄銃
慶長十五年(1610)の銘を持つ現存する日本最長の火縄銃。徳川家に仕えた砲術家の稲富一夢が監督し近江国友と堺の鍛冶が協力し作ったもの。大坂城攻撃の試作品として作られたと伝わる。この銃の完成に安心したのか稲富一夢は翌慶長16年に亡くなっている。

さて博物館入口前には
004
武野紹
007
千利休像があります
さらに茶室
028
黄梅庵
奈良県橿原市の今井町の豊田家住宅にあった茶室で、近代茶人のひとり松永耳庵が小田原に移築。さらに昭和55年現在地に再度移築された。豊田家時代には堺の茶人今井宗久ゆかりの茶室と伝えられていた。
016
内部の様子(以前の内部公開時の写真)
三畳下座床となっている。

1804 待庵 今治城

2018-05-21 | 探訪
今治の続き
前回の河野美術館の敷地内には茶室があります
004
待庵
京都山崎の妙喜庵茶室「待庵」の写しだそう
006
腰掛待合
010
蹲踞
そしてこちらが
026
待庵です
元は東京の河野邸にあり昭和43年に移築されたもの
012
躙口
013
内部は二畳。床の印象は本家とは異なります
021
扁額の位置も妙喜庵茶室「待庵」と同様

今治城にも寄ってみました
121
久しぶりの今治城
今治藩初代松平定房の甲冑などの展示がありました
125
天守展望台より遠望
134
丁度この季節は桜が満開
124
城と桜は良く合います。

以上で今治は終了です。

1804 河野美術館 戦国ものがたり

2018-05-19 | 探訪
今回は
148-1
バリィさん、って事で愛媛は今治
002
河野美術館
001
開館50周年記念展 戦国ものがたり
期間:4月1日 (日)~7月1日(日)
037038
源平合戦図屏風 伝土佐光起画
029
足利尊氏下知状
079
細川三斎和歌短冊
083
黒田長政画 黒田忠之賛
竹を描いた珍しい長政の絵
098
豊臣秀吉書状
天正九年六月廿一日付、杉原家次宛。
069
石田三成書状
109
毛利元就書状
毛利隆元宛。
096
小早川隆景書状
107
朝倉義景書状
105
上杉謙信軍忠状
092
上杉景勝書状
三月廿五日付、直江兼続宛。
086
伊達政宗書状
卯月廿三日付、仙石忠政宛。

多くの戦国大名の手紙を拝見しました。珍しい人物のものも有りました。

サントリ-美術館 寛永の雅

2018-05-16 | 探訪
東京ミッドタウン
158
サントリ-美術館
159
寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽
期間:2月14日(水)~4月8日(日)

2度拝見しました
kanei
竹茶杓 銘 松緑 木下長嘯子作
露は丸形、撓は強く節上に胡麻が見られる。
箱書は三宅亡羊で、儒者として活躍し後陽成天皇・後水尾天皇に進講し、後陽成天皇からは慶長年間に洛北鷹ヶ峰の地を賜わっている。
また茶人として宗旦四天王に数えられる事もあり、寛永三年小堀遠州の茶会には近衞信尋や藤堂高虎と共に出席、公武間を取り持つ役割を担っていた。
後水尾天皇宸翰「 忍」
京都の聖護院門跡蔵。円窓に力強く書かれた一文字。仏の教えを説く一文字であるが、様々な幕府からの圧力を受けていた後水尾天皇の心情を象徴する一文字とも解釈できる。
近衞信尋書状 後水尾天皇宸筆勘返 菅式部宛
信尋より女官と思しき菅式部なる人物宛ではあるが、実際は後水尾天皇宛で、信尋の問い合わせに対し行間に後水尾天皇が回答を記している。
法楽和歌に出題された「夏雲」について古歌に見当たらないので指導を願い出た信尋に対し、天皇からは三条西実隆の「雪玉集」より一首を示している。
後水尾天皇が和歌の理想の時代のひとつを後柏原院の時代と考えており、その代表的歌人である三条西実隆を賞賛している。回答に実隆の作品が挙げられているのもその考えの表れであろう。
白釉円孔透鉢 仁清作
白一色の器体に大小の円孔が無数に開けられた鉢。
シンプルかつモダンな造形で仁清の能力の高さを存分に発揮していると思える。
共筒茶杓 銘 春冬 狩野探幽作
節上やや右よりに樋が通り、節下は黒みを帯びている。銘「春冬」からは「秋がない」=「飽きない」事からと思われる。水戸徳川家伝来。
探幽は茶の湯の嗜みがあり、佐久間不干斎や後には松平不昧が所持した種村肩衝を所持していた。

その他茶碗では、小堀遠州が品川御殿での将軍徳川家光への献茶のため本阿弥光悦に依頼して造られた「膳所光悦茶碗(2種)」や光悦の赤楽「熟柿」、ノンコウの黒楽「山里」、近衛家旧蔵の仁清作「黒釉色絵金銀菱文」など豊富。

後水尾天皇を中心に据え、遠州・仁清・探幽といった芸術家の作品から寛永文化とは何かを視覚的に解き明かした展示。特に仁清の作品の幅広さには驚かされます。


1803 根津美術館 香合百花繚乱

2018-05-13 | 探訪
東京
048
根津美術館
042
香合百花繚乱
期間:2月22日(木)~3月31日(土)

テ-マ展示と併せて紹介
kougo
赤楽屈輪文根太香合 楽道入作
赤楽木魚形香合 伝楽道入作

根太形に屈輪文を表した香合と木魚を模した香合。どちらも赤楽では有るが、根太香合は茶身が強く木魚形香合は深い赤みと異なる色合い。「伝」が付く付かないもこれが一因か。
和歌懐紙 三条西実隆筆
三条西実隆の私家集「雪玉集」所収の和歌三首。「天文二三廿五月次御会」と記されており天文2年(1533)実隆79歳の時に詠まれた事が分かる。
実隆は4年後の天文6年に亡くなっている。
和歌短冊(手鑑第四号所収)
室町時代から江戸時代に書された和歌短冊126枚が貼られた手鑑。
主な作者は後陽成天皇、近衛前久・信尋、三条西実隆、烏丸光広、細川幽斎、里村紹巴など。
鶉籠釜
博多芦屋製と考えられる釜。肩は一文字で胴全体に格子紋様をあらわす。
金森宗和所持で後に藤堂高虎の長男・伊勢津藩2代高次に渡った。
古銅柑子口花入 銘 三千年
上部の柑子口から胴部の蕪にいたる伸びやかな線が美しい唐物の花生。
銘は胴の膨らみを中国の仙女・西王母が所持していた三千年の寿命を保つ桃に見立てたとされる。
第五代将軍・徳川綱吉が所持。箱書きは小堀遠州。

久々の根津でしたが充実の展示でした。

1803 塚本美術館 新春名刀展

2018-05-09 | 探訪
今回も佐倉
039
塚本美術館
刀剣専門の美術館です
035
新春名刀展-大名家に伝わった名作を中心として
期間:1月9日(火)~3月24日(土)
021
刀 金象嵌銘 寿命
脇指 金象嵌銘 延寿

15代将軍・徳川慶喜所持
018
金梨地葵紋散大小拵
上記慶喜所持刀剣の拵
023
太刀 無銘 青江次家
附 金梨地葵紋糸巻太刀拵

徳川将軍家伝来
004-1
太刀 銘 正恒
附 金梨地糸巻太刀拵

小浜藩酒井家伝来
006-1
刀 金象嵌銘 左 吉貞
小浜藩酒井家伝来
008-1
太刀 折返銘 備州住(三原)正広
本多家伝来
012_001
刀 無銘 長船兼光
脇指 銘 (関)兼元

稲葉家伝来
010
青貝散玉虫鞘大小拵
上記の拵

こじんまりとした所でしたが、徳川慶喜佩用の大小が拝見できて良かったです。