早稲田大学 総合学術情報センター2階展示室
これが連歌だ! ―伊地知鐵男文庫で学ぶ連歌の世界―
期間:10月1日(月)〜10月31日(水)
湯山三吟 肖柏,宗長,宗祇撰
延徳三年(1491)摂津池田に居た肖柏が宗祇・宗長を湯山(有馬温泉)に招き催された三吟百韻。宗長自筆と伝わる一巻。
この三年前に同じ3者で巻かれた「水無瀬三吟」と共に連歌の最高傑作とされる。
宗祇書状
(明応4年)六月七日付、肖柏宛。新たな連歌選集の編纂を手伝いに上洛していた肖柏が、摂津池田に戻った後に進捗状況を知らせた内容。三条西実隆邸で題号が「新撰菟玖(波集)」に決まった事。太閤・近衛政家から「自分の句が少ない」とクレームが来ている事などを記している。
牡丹花肖柏書状
十五日付、美濃守宛。美濃守は美濃国守護・土岐正房と考えられ、正房主催の連歌会が「数寄之至、無類之儀」であったと礼を述べている。またこの会には肖柏と共に宗祇門下の宗長・宗碩も出席していることが分かる。
ささめごと 心敬撰
室町時代中期の僧であり連歌師であった心敬の著した連歌論書で心敬自筆と伝わる。
もとは冊子本であったものを貼り継いだ巻子装であり、本来は約60項目の本文中第9項までしかない。
宗祇法師寿像讃注
織田有楽が所蔵していた宗祇肖像画を借り受けた桂宮智仁親王が宗祇の発句と和歌を三条西実隆が書した賛の部分のみを元和三年に書写したもの。
この他にも宗祇の肖像画が2種、連歌巻も数点ありました。伊地知鐵男氏は連歌研究で知られる存在であり、その文庫と館蔵品とあって大変充実した内容でした。
今回も東京
齋田記念館
茶書にみる松平不昧の茶の湯
期間:9月18日(火)~12月22日(土)
『山上宗二記』(高野山安養院宛本)
堺の商人で茶人であった山上宗二が著した茶の湯秘伝書。展示は江戸時代の写本。
奥書より天正16年(1588)正月21日付の高野山安養院宛である事が分かる。
宗二はなんらかの理由(豊臣秀吉の勘気を蒙った等)で、高野山に上り安養院に滞在しており。これはその礼として贈ったのであろう。
『遠州公所持名貨帖』
小堀遠州が所持した茶道具130点を収めた名物の目録。
島根県出身の茶道研究家・高橋梅園が大正7年に書写したもので、近代数寄者で『大正名器鑑』の編纂で知られる高橋箒庵の旧蔵本。
高橋梅園は『松平不昧傳」を著し、また『大正名器鑑』編纂に直接関わっている。
佛陀常住文字丸釜 下間庄兵衛味次作
どちらも松平不昧の書で、胴部に「佛陀」もう一方に「常住」と鋳造された丸釜。
不昧の注文で安永二年(1773)に制作され不昧参禅の師である大巓宗碩に贈られた。
今回は没後200年の松平不昧をテーマとした企画展でしたが、さまざまな茶書、特に『山上宗二記』を見れたのが良かったです。
東京は白金台
畠山記念館
生誕150年 原三溪―茶と美術へのまなざし
期間:10月6日(土)~12月16日(日)
赤楽茶碗 銘 李白 本阿弥光悦作
光悦らしい低い高台から直角に腰を張り、胴部はやや開きぎみながら真っすぐ立ち上がる。「加賀光悦」等と同じ角造りの茶碗。
箱裏に原三溪が「李白 三溪(花押)」と書き付けている。
共筒茶杓 佐久間将監作
折撓・直腰、櫂先が大きいのは将監茶杓の特徴。筒には「寸松庵作」とあるのが珍しいそう。
佐久間将監真勝は徳川幕府の旗本で作事奉行を務めた茶人でもある。晩年は大徳寺に隠棲し寸松庵と称した。
共筒茶杓 銘 寿 尾形光琳作
櫂先は丸形、節下には竹の模様にそって削りこまれ景色を成す。
筒は〆印に「口」一字。銘の「寿」の文字のほかに、吉祥を表す蝙蝠と霊芝をさらりと描く、いかにも画家らしい造り。
今回の展示は実業家で日本美術のコレクターでもあった原三溪の旧蔵品で構成されていました。
横浜の三溪園にも名を遺す、この人物のコレクションは偶に各所で見かけますが、これだけ固めては初めて。是非どこかで三溪のコレクションを集めた大規模な展示を見たくなりました。
今回も京都
樂美術館
開館40周年 秋期特別展 「光悦考」
期間:9月2日(日)~12月9日(日)
黒樂四方馬上盃形茶碗 銘 スソ野 樂道入作
高台部分が長く、手で握る事が出来る馬上盃と呼ばれる形。
形状はそれまでの樂焼には見られないが、二重掛された黒釉がノンコウらしい。
黒樂茶碗 銘 雪沓 本阿弥光悦作
大松美術館蔵。背が低く全体を楕円にゆがめた沓形の茶碗。
ずんぐりむっくりの形状は他に「朝霧」(個人蔵)「水翁」(頴川美術館蔵)が展示してあり、樂家当代はこれらを初期の作と位置付けている。
本展では当代の著書「光悦考」を元にした展示が行われている。「雪沓」などを初期の作品とする考えは興味深かった。近年「光悦十作」として紹介された茶碗があるが、あれをどう見ているのか気になる所です。
京都
野村美術館
リニューアルオープン記念 開館35周年名品展 -茶の湯の美・能楽の美・日本の美-
期間:9月8日 (土) ~12月9日 (日)
向獅子香炉 銘 極楽 樂道入作
全体に丸みを帯び、ごく薄い上釉が掛かる。
紫銅向獅子香炉(徳川美術館)を写したものとされるが本歌より愛嬌があり足が小ぶり。
松平不昧により銘が付けられた。雲州松平家伝来。
南蛮毛織抱桶水指
インド・ムガール時代の、元は水を入れて暑さをしのぐ為に抱いたものとされる。
足利義政所持。のち三条西実隆が藪宗把に譲り、千利休・薮内剣仲と渡った。燕庵名物として六代比老斎より西本願寺文如上人に贈られた。
今回は美術館のリニューアルオープン記念。以前は靴を脱いでスリッパに履き替えていましたが、土足で入館OK、展示室も照明が暗くなり現代風になっています。以前の和室風の造りが茶道具に合っていたと思うので、少し残念な感じです。後トイレの位置も変則的でした。
静岡県は掛川
掛川城
今川氏の支城として築かれたのが最初。山内一豊によって天守などが整備され近世城郭となった。
現在の天守は平成六年に復興されたもので、同じ山内一豊築城の高知城をモデルにしている。
霧吹井戸
永禄12年(1569)今川氏真が籠城するこの城を徳川家康が攻めた際に、井戸から立ちこめた霧が城をすっぽりと覆い隠し徳川勢の攻撃から城を守ったとされる。
内部展示は甲冑やら
鞍やら
お次は
掛川城御殿
掛川藩主・太田資功によって、文久元年(1861)再建されたもの。
御書院上の間
内部には甲冑の展示も
松平忠喬所用 金本小札緋威胴丸具足、太田資俊所用 本小札紺裾濃威大袖付胴丸
松平忠喬、太田資俊両者とも掛川城主を務めた。
どちらも杉良太郎氏寄贈だそうです
掛川城に来た有名人のサインもありました。
この方のも「ダブル・エッジ ソード」リリース時ですね。
杉良太郎・吉川晃司・・・何気に下町ロケットコンビですね。

以前(2009年)に出羽三山歴史博物館を訪れた際に、時間の関係で行けなかったところがあります。
今回はその場所へ。

「国宝 羽黒山五重塔特別拝観」
三神合祭殿再建200年を記念しての内部公開。

随神門
元禄8年(1695)矢島藩主・生駒讃岐守が寄進した。

先へ進みます

祓川と須賀の滝

いよいよ姿が観えてきました

羽黒山五重塔
国宝。平将門創建と伝わるが、現在の塔は文中年間に武藤政氏が再興し、慶長13年(1608)最上義光が大修復している。
残念ながら内部は撮禁でしたが、心柱を中心とする内部構造や小野道風筆と伝える「報身」「応身」の額などを拝見出来ました。
雨の日だったので二重(二階)に行く為の仮設階段がちと怖かったですが、珍しい所が観れて満足満足。