goo blog サービス終了のお知らせ 

SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2412 東京国立博物館 12月のトーハク

2025-01-30 | 探訪

東京国立博物館

千利休書状
廿八日付、宗恵宛。。水落宗恵は堺の人物で、一説には利休の弟とする。紹鴎名物の円座肩衝を所持した。

賢愚経断簡(大聖武)
東大寺伝来、「大和切」と呼ばれた。

法華経断簡(清水切) 伝・後鳥羽天皇筆
清水寺伝来

斎藤利三書状
明智光秀の家臣である斎藤利三が、臨臨済宗の五寺に対し、洛中にあった光秀の宿所に使僧を使わすよう依頼した手紙。

猩々緋羅紗無地陣羽織 丸卍紋付
小堀遠州所用

黒羅紗無地陣羽織 唐花七宝紋付
小堀遠州所用

虎嘯生風図 円山応挙筆

鶏図扇面 伊藤若冲筆

虎に波図屏風 岸駒筆

次回も東博

2412 藤田美術館 「隠」「闘」「雪」

2025-01-26 | 探訪
大阪

藤田美術館

豊臣秀吉像
高台寺蒔絵の厨子に納められた彫像

古銅角木花入
附属の由来所には三好長慶所持とある。但し『山上宗二記』によれば北向道陳の目利きにより長慶の弟である三好実休が所持したとある。

古銅角木花入 利休添状
三好家にあった花入はその後に観世流の能役者小鼓方・観世彦右衛門豊次(宗拶)が所持した。
この書状は豊次が古銅角木花入を用いた茶会に千利休を招き、利休が茶会の後にしたためたもの。
「花瓶を拝見し、驚嘆して目を見張りました。御秘蔵との事もっともな事です」とある。

七官青磁三足香炉 銘 東福寺
伊達政宗所持

利休尺牘 雪の文
十一月一日付、宛名不明。「昨日も今日も雪が降って驚いております。お茶を一服差し上げますので、どうぞお早くお出ましください」
とあり気心の知れたであろう人物を茶会に招待している。

鴨型香合 仁清作

展示を見終わったあとは、この日あった呈茶へ

道具組はこんな感じでした。

2411 山紫水明處

2025-01-22 | 探訪
今回は京都

山紫水明處
頼山陽が文政11年(1828)、自宅の水西荘の庭に建てた離れで、書斎兼茶室(煎茶室)。

頼山陽は、安永9年(1781)大坂生まれ。『日本外史』の著者として知られる。
天保3年(1832年)にここ山紫水明處にて死去。

建物西側の庭園

降り井
地面から2mほど下に井筒が設けられた半地下式の井戸

蹲踞

山紫水明處
※内部撮影はOKでしたが掲載は不可

葛屋葺の屋根

内部は四畳半で、西面に踏込床と床脇があり床脇は三段に分かれ上部は天袋、真ん中に出窓、下部に網代戸があり、さらに奥に板戸がある(画像中央)。
下部の開閉によって降り井周辺の景色を楽しんだり、風量の調整や給仕口としての機能も持ち合わせている。

江戸後期より続く煎茶室の遺構として大変貴重なところでした。

2411 豊郷小学校旧校舎群

2025-01-19 | 探訪

今回も豊郷

豊郷小学校旧校舎群
昭和12年(1937)丸紅の専務で本校出身者であった古川鉄治郎氏の寄附によって建てられた。
設計は近江八幡市を拠点に活動したウィリアム・M・ヴォーリズによるヴォーリズ建築。

ウサギとカメの像
イソップ童話にちなむ

2F教室

2Fから3Fへの階段

会議室

唱歌室

1Fへ戻って

講堂

酬徳記念館(旧図書館)

ここ豊郷小学校旧校舎群はアニメ「けいおん!」の聖地として有名

更に

映画「君の膵臓をたべたい」などが撮影された場所でもあり

浜辺美波さんのサインなんかもあります

聖地巡礼とヴォーリズ建築となかなか楽しい場所でした。

2411 伊藤忠兵衛記念館 茶室

2025-01-15 | 探訪
近江鉄道に乗ってやってきたのは

滋賀は豊郷

伊藤忠兵衛記念館
「伊藤忠・丸紅の創始者、初代伊藤忠兵衛の100回忌を記念し、初代忠兵衛の旧邸、二代忠兵衛の生家である豊郷本家において、彼等の愛用の品をはじめ、様々な資料を展示。」(公式より)
主屋は明治15年(1882)頃に建てられた。

店の間

奥の間

隠居部屋

中庭

茶室
大正時代に建てられた茶室は今は無く、現在の茶室は2000年に復元されたもの。
2つの席と水屋からなり、最初は

二畳台目の席
入口は貴人口。床柱は檜の档丸太。

点前座
向切に炉が切られ、風炉先に向板が備わる。

三畳半の席
入口は北面に躙口、東面に貴人口を設ける。床は前板と脇板を備えた台目床で床柱は赤松。

水屋

二代忠兵衛作の抹茶椀
二代忠兵衛はこの邸宅が生家であり、茶室や作陶などから茶道にも精通していたのでしょう。

次回も豊郷。有名なあそこです。

2411 名古屋城 茶室公開

2025-01-12 | 探訪

今回も名古屋城

茶席の特別公開です

書院
昭和24年に近代数寄者の森川如春庵の指導により完成した。

内部は十畳敷。
名古屋城内あった加藤清正手植えの松が枯れたので、その材を台面・付書院・袋棚などに使用している。

猿面茶席
古田織部または織田有楽斎好みと伝わる名席。清州城にあった茶室を名古屋城に移築され、江戸時代には御数寄屋と呼ばれていた。
昭和12年に国宝に指定されたが、残念ながら戦災で焼失した。
現在の茶席は昭和24年に近代数寄者の森川如春庵により再興されたもの。

内部は四畳半台目。

点前座は台目構えで真っすぐな中柱を立てるが、焼失前は歪みのある中柱であった。

織部堂
森川如春庵により昭和30年に古田織部顕彰の為、山内抱霜軒邸にあった地蔵堂を改築したもの。
手前の織部燈籠は熱田の加藤家に伝わったもの。

内部は四畳半。点前座を道安囲とする。

又隠茶席
裏千家の茶室「又隠」の写しで、元は安永年間(1772-1781年)に知多半島の商家・浜田邸に建てられた茶室。
その後は山内抱霜軒邸にあったが猿面茶席の再建にあたり、現在地に移された。

内部は四畳半で基本的には「又隠」写しであるが、躙口の矩折れに貴人口があり、点前座正面に風炉先窓が開く。


2411 名古屋城 本丸御殿

2025-01-08 | 探訪
今回は名古屋

名古屋城 本丸御殿
初代藩主・徳川義直の住居として慶長20年(1615)に完成。元和6年(1620)に二之丸御殿へ移り、以後は徳川将軍専用の宿館になった。
昭和20年に空襲で焼失。
2009年から復元整備が進められ、2018年に全体が完成し一般公開されている。

玄関

玄関一之間
「竹林豹虎図」が描かれており、虎之間とも呼ばれる。

表書院
本丸御殿が尾張藩主の居館だった時の上段之間は藩主の徳川義直が座る部屋であった。

対面所上段之間
藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた部屋

上洛殿
豪華な彫刻欄間が見所

上洛殿上段之間
御成書院と呼ばれ、寛永11年(1634)、三代将軍家光が名古屋城に宿泊する為、増築された。

湯殿書院湯殿屋形
将軍専用の浴室

黒木書院
清須城内にあった家康の宿を移築した建物とも伝えられている。

次回も名古屋城から

2410 真珠庵 特別公開

2025-01-05 | 探訪
京都は紫野

真珠庵

特別公開

今回は一部で撮影可能(スマホのみ)でした。

「真珠庵」扁額
真珠庵は一休宗純を開祖として創建され、応仁の乱により焼失したが堺の豪商・尾和宗臨によって再興された。

方丈前提

天蓋
方丈内の室中天井に掛かる。尾和宗臨の寄進。

「オトナの一休さん」襖絵

方丈東庭「七五三の庭」
珠光、または連歌師の宗長の作庭と伝わる。
この先の露地口より茶室「庭玉軒」に繋がる露地庭がある。

珠光遺愛の手水鉢
奥に見える井戸は紫式部産湯の井戸

塀の向こう側には書院「通僊院」と茶室「庭玉軒」がありますが、残念ながら撮影不可

茶室「庭玉軒」の内坪(絵葉書より)
金森宗和好みの茶室。内部は二畳台目で、中潜りを入った先にある内坪が特徴。

昔はなかなか入れなかった真珠庵ですが、最近は開けてきた印象。他の寺院の中にも見習ってほしいところです。