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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1504 江戸東京博物館 大関ヶ原展

2015-06-29 | 探訪
両国
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江戸東京博物館
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徳川家康没後400年記念特別展 大 関ヶ原展
期間:3月28日(土)~5月17日(日)

2度拝見しました
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鳥居元忠所用 鉄錆地椎実形兜
鉢は椎の実形で、前立用の角元を打つが、前立は欠損している。
鳥居元忠を祀った精忠神社に伝来し、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで着用していたと伝わる。
黒田長政所用 大身槍 名物 一国長吉
戦国時代・山城の刀工長吉の作。
平三角造りで、三鈷剣の彫物と「八幡大菩薩」の文字が刻まれている。
黒田長政が初陣以来使用し、後に筑前一国を領した事から「一国」と命名した。
榊原康政所用 茶糸素掛威黒塗桶側五枚胴具足
兜はねじり鉢巻の意匠の変り兜。胴には大きく「無」の文字を銀板で施し、草摺には波涛文が描かれている。
永禄六年(1563)三河一向一揆との初陣で着用したと伝わる。
一柳直盛所用 白羅紗地二重貫紋陣羽織
白羅紗地の陣羽織で返し衿などに金襴を用い背には一柳家の家紋である釘抜文が大きくあしらわれている。
関ヶ原の戦いで一柳直盛は東軍に与し、戦功により伊勢神戸5万石を領した。
織田秀信所用 銀箔押烏帽子形兜
銀箔押の烏帽子形兜。前と両脇に角元が残るが立物は欠損している。
織田秀信は織田信長の嫡男・信忠の子。関ヶ原の戦いの前哨戦となった岐阜城攻防戦で東軍と戦ったが敗北し岐阜城を開城、命は助けられ高野山へ送られた。
毛利秀元所用 蔦唐草文蒔絵鞭
黒漆地に蔦唐草文様の蒔絵を施した鞭。毛利秀元が朝鮮出兵時に使用したと伝わる。
唐物茶壷 銘 金森
総体濃い茶褐色をおび、肩の四方に耳をもつ四耳茶壷。
飛騨高山城主・金森可重が所持したことから銘が付く。可重の没後に徳川家康へ献上され、その後尾張藩主・徳川義直へ伝わった。

初見の物を中心に紹介していますので地味なラインナップに思われたかもしれませんが、実際は家康の歯朶具足、上記紹介の榊原康政ほか徳川四天王の具足揃い踏みに、見たばっかりだよ蜻蛉切・骨喰藤四郎・姫鶴一文字・石田正宗・庖丁藤四郎などの刀剣類、複数の関ヶ原合戦図屏風に参加武将の肖像画、書状に古文書の資料類。関ヶ原の戦いを堪能できる展示でした。

東京の後に京都・福岡と巡回し、展示内容も変更されるようですので今後も楽しみです。 

1504 根津美術館 燕子花と紅白梅

2015-06-24 | 探訪
青山
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根津美術館
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尾形光琳300年忌記念特別展「燕子花と紅白梅」 光琳デザインの秘密
期間:4月18日(土)~5月17日(日)
「2015年は、享保元年(1716)に59歳で没した尾形光琳の300年忌にあたります。それを記念して、当館が所蔵する「燕子花図屏風」とMOA美術館が所蔵する「紅白梅図屏風」、光琳が描いた2点の国宝の屏風を中心とする特別展を開催します。(中略)本展では、光琳の「模様」のような屏風の系譜を宗達からたどり、光悦に関わりのある雲母や金銀泥による木版摺りが光琳に与えた影響を探り、さらに漆器の図案や弟・乾山の陶器の絵付けなども含めたデザイナー・光琳の営みを総覧します。」(公式より)
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蔦の細道図屏風 伝俵屋宗達筆・烏丸光広賛
「伊勢物語」の八段「東下り」を題材に描かれた六曲一双の屏風。
金地に緑の野原といった2色の世界に墨の黒で和歌が記されている。
一見すると平面的な世界なのだが左右を入れ替えても繋がるそれは、まるで永遠に続く道程にも思える。
宗達と光広の遊び心が光る作品。
燕子花図屏風 尾形光琳筆
国宝。金地に青と緑で燕子花のみを描いた六曲一双の屏風。
燕子花をリズムよく配し余計な要素を全て取っ払った画面構成は計算し尽くされており一分の隙もない。
西本願寺伝来。
紅白梅図屏風 尾形光琳筆
国宝。中央に流水を左右に白梅と紅梅を配した二曲一双の屏風。
白梅は老いを紅梅は若さを表しているともされ、中央の水流がその対峙をより印象付けているかのよう。
二曲一双の屏風で、こういった対峙関係を示した作品といえば風神雷神図屏風があります。宗達のそれを光琳が模写した事は有名ですが、光琳は更に宗達の先を見ていたのでしょう。
弘前藩津軽家伝来。

さてさて燕子花図屏風を観たなら本物の燕子花も観なければに来た意味がありません。
なんせ入館までに35分も並んだんだから;;;
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庭園の燕子花
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紫色が美しいカキツバタでした。
 

1504 センチュリーミュージアム 寛永の三筆とその時代

2015-06-20 | 探訪
早稲田
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センチュリーミュージアム
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寛永の三筆とその時代
期間:4月6日(月)~6月27日(土) 

近衛信尹書状
古田織部宛、廿日付。信尹の使者が真夜中に織部のもとを訪ねた事に対する詫び状。
信尹と織部は晩年頻繁にやり取りを行なっており、この書状もその時分のものでしょう。 
堅田落雁図自画賛 近衛信尹筆
中国の瀟湘八景になぞらえ選ばれた近江八景のひとつ堅田落雁を描いた作品。上部には堅田落雁を詠んだ和歌が記されています。近江八景の選定者には幾つかの説がありますが、今日では近衛信尹が有力視されています。
本阿弥光悦書状
本阿弥光瑳宛、九月廿五日付。 光悦より養子の光瑳に宛てた書状。内容は江戸より送られてきた鮭のお裾分け、気分も良いので物を書いている事、九月三十日か十月一日に京へ出ると告げています。
光悦は鷹ヶ峰に居り、光瑳は本宅のあった上京・ 本阿弥辻子に居り手紙のやり取りで連絡をしていたのでしょう、生活感のある書状です。
近衛信尹言上状写 松花堂昭乗筆
五摂家で占めていた関白職を豊臣秀吉に奪われ望みを絶たれた近衛信尹(当時は信輔)が、今出川晴季等4人に宛てて内覧の職を希望した書状を、近衛信尹が関白を辞した後に松花堂昭乗が書き写したもの。
慶長10年(1605)信尹は念願の関白就任を果たしたが、関白就任問題は心の傷であり、それに関わる書状の書写を許可した事は近衛家と松花堂昭乗の関係の深さ故と言えるでしょう。
和歌懐紙 烏丸光広筆
二幅で、ひとつは19歳の時にもうひとつは50歳頃とされている。共に禁中歌会で詠まれたもので、最初の書は丁寧に書かれているが個性は感じられない。次のものは光広らしい自由奔放で豪快な書きっぷりである。
光広その人と同様に書も自由である。

センチュリーミュージアムには初めて訪れました。展示室はそれ程大きくはありませんが非常に興味深い内容でした。
 

1504 畠山記念館 畠山即翁の大師会茶会

2015-06-15 | 探訪
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畠山記念館
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畠山即翁の大師会茶会
期間:4月4日(土)~6月14日(日)
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井戸茶碗 銘 信長
白みがかった枇杷色の茶碗。高台は細めで胴も細身。胴の一部が少し膨らんでおり、荒々しさ手強さは余り感じない。
織田信長が所持したことから銘が付く。その後は京極高次・秀吉・織部と伝来した。
南楚師説墨蹟 送別語
至正二年(1342)鉄舟徳済が日本に帰国する際に南楚師説が与えた法語。
南楚師説は元時代の禅僧で、書は唯一この墨蹟のみ残っている。
利休七哲のひとり蒲生氏郷が所持。後に松平不昧が所持し「雲州蔵帳」に記載されている。
古胴象耳花入
中興名物。胴が潰れたような形の下蕪形の花入。高い位置に象形の耳が付き、赤みのある黄胴の肌はやや荒れている。
小堀遠州の愛蔵品で後に松平不昧が所持した。
 

1504 三井記念美術館 三井の文化と歴史

2015-06-11 | 探訪
東京は日本橋
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三井記念美術館
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三井の文化と歴史 (前期)茶の湯の名品
期間:4月11日(土)~5月6日(水)
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共筒茶杓 銘ホトトキス 千利休作
長さ16.7cmとやや短く、節上がやや左に傾く。樋が深く、中節は腰高となっている。
筒には「ホトヽキス」と書かれ、詰には利休のケラ判が置かれている。
竹茶杓 武野紹鴎作
19.4cmと丈が長く、元節で双樋の茶杓。
筒は千宗旦で「紹鴎作 咄斎」と筒書している。
漁村夕照図 珠光筆
中国の景勝地である瀟湘八景のひとつ「漁村夕照」を描いた作品。
作者の珠光が、あの茶人・珠光かどうかは判然としないが珠光作とされる山水図等の水墨画がいくつか伝わっています。
古渓宗陳墨跡 「偈頌」
古渓が大徳寺を退院する際に利休の求めに応じ認めたもの。
古渓宗陳は天正16年(1588)秀吉の勘気に蒙り博多に配流されており、その時に記されたのであろう。
この年9月4日利休は博多に去った古渓宗陳を想い大徳寺の春屋宗園・玉甫紹琮を招いて茶会を催している。
瀬戸面取手茶入 佐久間面取
中興名物。肩先が面取されている茶入。総体が薄柿色で黒釉がむらむら掛かり、黄釉のなだれが美しい。
佐久間将監真勝が所持した事から「佐久間面取」と呼ばれた。
佐久間将監は徳川家に仕えた武将。茶の湯を古田織部に学んだとされ、また作事奉行であった事から同じ様な経歴の小堀遠州のライバルともされています。
将監は晩年、大徳寺内に寸松庵を建立し棲んでいますが、彼の所持した古今集の断簡はその名を採って寸松庵色紙と呼ばれています。
色紙霰松毬鐶付輪口釜 大西浄清作
胴は強く張り肩はなだらかな曲線をを成す。胴には流水と芦の紋様が鋳出されている。
狩野深幽が下絵を描き、大西家二代の浄清が造った釜で、遠州の創意とされる。

上では紹介していませんが、国宝の卯花墻・長次郎の俊寛・光悦の雨雲・ノンコウの鵺・三好粉引といった名碗が拝見できました。
ひとつ不満は茶杓が合計で3本しか展示していなかった事。その内2本は利休で他の茶人のものも拝見したかった所です。
 

1504 中村記念美術館 茶道具の次第

2015-06-07 | 探訪
金沢ラスト
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中村記念美術館
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企画展 茶道具の次第
期間:3月8日(日)~5月31日(日)
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赤楽茶碗 銘 手枕 長次郎作
腰を低く張り、胴はすくっと立ち上がっている。釉が白くカセており、全体は穏やかな姿をしている。
箱書きより利休が大徳寺の古渓宗陳に贈った事が分かる。
唐物肩衝茶入 利休小肩衝
小振りの肩衝茶入で飴釉の濃淡が景色となる。
元は利休が所持し前田利家に譲られた。利長の代に重臣・横山長知に与えられた。横山家伝来。
虫喰茶杓 千利休作
櫂先は丸形で蟻腰、節上に虫喰穴が見られる。
箱には「虫喰ノ茶杓 利休」と佐川田喜六が記している。
佐川田喜六は淀藩家老・佐川田昌俊の事。茶の湯を小堀遠州に、書を松花堂昭乗に学んだとされ歌人としても名を残している寛永文化の担い手のひとり。
共筒茶杓 小堀遠州作
節上の縞模様が美しい茶杓。筒には「本安房守様」とあり遠州より加賀藩重臣であった本多政重に贈られたことが分かります。

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旧中村邸
昭和3年に建てられた中村家の住居。昭和41年より平成元年までここが美術館として使用されていたそうです。
訪れた時は「春の座敷飾り」のイベント中で内部を公開すると共に屏風や掛軸等を展示されていました。
 

1504 前田土佐守家資料館 前田直之と前田土佐守家の成立

2015-06-03 | 探訪
またまた金沢
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前田土佐守家資料館
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企画展「利家とまつの孫前田直之と前田土佐守家の成立」
期間:4月25日(土)~7月5日(日)
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前田利政所用 黒漆塗黒糸威二枚胴具足
兜は銀箔押しで兎耳形の変り兜。胴は黒色で統一されている。
前田利政は前田利家と芳春院(まつ)の次男。能登国七尾城主であったが、関ヶ原の戦いで出兵を拒否し戦後所領を失い京都嵯峨に隠棲しました。隠棲後は宗悦を名のり本阿弥光悦と親交をもったそうです。
前田利家所用 脚絆
金ビロードと焦茶色の緞子で出来た脚絆で前田利家が戦陣にて着用したと伝わる。
芳春院より利政の子・直之に贈られた二足のうちの一足で、他の一足は後年加賀藩5代・前田綱紀に献上された。
前田利政所用 銀采配
銀箔押しの総に金梨子地の蒔絵を施した柄を持つ。柄に関しては武田信玄が川中島の戦いで使用したものの写しとされる。

この他で印象に残った展示は芳春院(まつ)の書状が7通も展示されていた事でしょうか。
息子の利政の処遇や孫の直之の病気を心配する様子が記されています。