両国

江戸東京博物館

徳川家康没後400年記念特別展 大 関ヶ原展
期間:3月28日(土)~5月17日(日)
2度拝見しました

鳥居元忠所用 鉄錆地椎実形兜
鉢は椎の実形で、前立用の角元を打つが、前立は欠損している。
鳥居元忠を祀った精忠神社に伝来し、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで着用していたと伝わる。
黒田長政所用 大身槍 名物 一国長吉
戦国時代・山城の刀工長吉の作。
平三角造りで、三鈷剣の彫物と「八幡大菩薩」の文字が刻まれている。
黒田長政が初陣以来使用し、後に筑前一国を領した事から「一国」と命名した。
榊原康政所用 茶糸素掛威黒塗桶側五枚胴具足
兜はねじり鉢巻の意匠の変り兜。胴には大きく「無」の文字を銀板で施し、草摺には波涛文が描かれている。
永禄六年(1563)三河一向一揆との初陣で着用したと伝わる。
一柳直盛所用 白羅紗地二重貫紋陣羽織
白羅紗地の陣羽織で返し衿などに金襴を用い背には一柳家の家紋である釘抜文が大きくあしらわれている。
関ヶ原の戦いで一柳直盛は東軍に与し、戦功により伊勢神戸5万石を領した。
織田秀信所用 銀箔押烏帽子形兜
銀箔押の烏帽子形兜。前と両脇に角元が残るが立物は欠損している。
織田秀信は織田信長の嫡男・信忠の子。関ヶ原の戦いの前哨戦となった岐阜城攻防戦で東軍と戦ったが敗北し岐阜城を開城、命は助けられ高野山へ送られた。
毛利秀元所用 蔦唐草文蒔絵鞭
黒漆地に蔦唐草文様の蒔絵を施した鞭。毛利秀元が朝鮮出兵時に使用したと伝わる。
唐物茶壷 銘 金森
総体濃い茶褐色をおび、肩の四方に耳をもつ四耳茶壷。
飛騨高山城主・金森可重が所持したことから銘が付く。可重の没後に徳川家康へ献上され、その後尾張藩主・徳川義直へ伝わった。
初見の物を中心に紹介していますので地味なラインナップに思われたかもしれませんが、実際は家康の歯朶具足、上記紹介の榊原康政ほか徳川四天王の具足揃い踏みに、見たばっかりだよ蜻蛉切・骨喰藤四郎・姫鶴一文字・石田正宗・庖丁藤四郎などの刀剣類、複数の関ヶ原合戦図屏風に参加武将の肖像画、書状に古文書の資料類。関ヶ原の戦いを堪能できる展示でした。
東京の後に京都・福岡と巡回し、展示内容も変更されるようですので今後も楽しみです。

江戸東京博物館

徳川家康没後400年記念特別展 大 関ヶ原展
期間:3月28日(土)~5月17日(日)
2度拝見しました

鳥居元忠所用 鉄錆地椎実形兜
鉢は椎の実形で、前立用の角元を打つが、前立は欠損している。
鳥居元忠を祀った精忠神社に伝来し、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで着用していたと伝わる。
黒田長政所用 大身槍 名物 一国長吉
戦国時代・山城の刀工長吉の作。
平三角造りで、三鈷剣の彫物と「八幡大菩薩」の文字が刻まれている。
黒田長政が初陣以来使用し、後に筑前一国を領した事から「一国」と命名した。
榊原康政所用 茶糸素掛威黒塗桶側五枚胴具足
兜はねじり鉢巻の意匠の変り兜。胴には大きく「無」の文字を銀板で施し、草摺には波涛文が描かれている。
永禄六年(1563)三河一向一揆との初陣で着用したと伝わる。
一柳直盛所用 白羅紗地二重貫紋陣羽織
白羅紗地の陣羽織で返し衿などに金襴を用い背には一柳家の家紋である釘抜文が大きくあしらわれている。
関ヶ原の戦いで一柳直盛は東軍に与し、戦功により伊勢神戸5万石を領した。
織田秀信所用 銀箔押烏帽子形兜
銀箔押の烏帽子形兜。前と両脇に角元が残るが立物は欠損している。
織田秀信は織田信長の嫡男・信忠の子。関ヶ原の戦いの前哨戦となった岐阜城攻防戦で東軍と戦ったが敗北し岐阜城を開城、命は助けられ高野山へ送られた。
毛利秀元所用 蔦唐草文蒔絵鞭
黒漆地に蔦唐草文様の蒔絵を施した鞭。毛利秀元が朝鮮出兵時に使用したと伝わる。
唐物茶壷 銘 金森
総体濃い茶褐色をおび、肩の四方に耳をもつ四耳茶壷。
飛騨高山城主・金森可重が所持したことから銘が付く。可重の没後に徳川家康へ献上され、その後尾張藩主・徳川義直へ伝わった。
初見の物を中心に紹介していますので地味なラインナップに思われたかもしれませんが、実際は家康の歯朶具足、上記紹介の榊原康政ほか徳川四天王の具足揃い踏みに、見たばっかりだよ蜻蛉切・骨喰藤四郎・姫鶴一文字・石田正宗・庖丁藤四郎などの刀剣類、複数の関ヶ原合戦図屏風に参加武将の肖像画、書状に古文書の資料類。関ヶ原の戦いを堪能できる展示でした。
東京の後に京都・福岡と巡回し、展示内容も変更されるようですので今後も楽しみです。