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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2406 三井記念美術館 茶の湯の美学

2024-08-28 | 探訪
東京は日本橋

三井記念美術館

茶の湯の美学 ―利休・織部・遠州の茶道具―
期間:4月18日(木)~6月16日(日)

今回は展示室 4の千利休の美意識=「わび・さびの美」が撮影OKでした。

漁村夕照図(部分) 伝・村田珠光
「獨爐軒珠光」の署名があり、茶人・珠光の筆として伝わる。

竹茶杓 武野紹鷗作
追筒は千宗旦で花押を〆印とし「紹鷗作 咄斎」と極め書きがある。

共筒茶杓 北向道陳作
表千家六代・覚々斎が朱漆で「北向道陳(花押)」直書している。

共筒茶杓 千利休作
利休の花押(ケラ判)を〆印とし、背面に細川幽斎狂歌直書がある。

有馬湯山茶会記(天正十八年十月四日・五日) 伝・千利休筆

黒楽平茶碗 長次郎作

霰釜 与次郎作
伝:利休所持。

唐物肩衝茶入 北野肩衝
大名物。伝来は足利義政、三好宗三、天王寺屋津田家(宗達・宗及)、烏丸光宣所持の時には北野大茶湯で用いられた。

青磁筒花入
大名物。豊臣秀吉所持。

小倉色紙「うかりける…」 藤原定家筆
前田利家・伊達政宗所持が所持し、その後に柳生家を経て北三井家に入った。

その他撮禁では、古田織部作の共筒茶杓や春屋宗園墨跡、江月宗玩筆消息(小堀遠州宛)、松花堂昭乗筆蔦図(小堀遠州賛) 、 小堀遠州筆消息(金森宗和宛)、木下長嘯子筆和歌懐紙、松平不昧筆書状など盛り沢山でした。

2406 東京国立博物館 6月のトーハク

2024-08-25 | 探訪

東京国立博物館

常設展示から

石山寺法楽三十首和歌 三条西実隆筆
『実隆公記」によれば大永5年(1525)8月19日に、石山寺に法楽三十首和歌を奉納したとある。
この年、能登の守護大名・畠山義総より銭一万疋を贈られたかわりに『源氏物語』註釈書を求められ執筆している。
石山寺は紫式部が『源氏物語』を起筆したという伝説があり、『源氏物語』註釈の権威であった実隆にとっても重要な場所であったのであろう。

古今伝授書 東常縁筆
古今伝授書 (1紙・2紙)宗祇筆・(3紙)牡丹花肖柏筆
東常縁の書は文明4年に宗祇の要望により授けた事を示す。
宗祇の書は肖柏への伝授を、更に肖柏が小村友弘(宗訊)へ伝授している。
小村友弘は屋号を河内屋とする堺の商人で、堺の連歌界の中心的人物であった。

青井戸茶碗 土岐井戸

色絵波に三ケ月文茶碗 仁清作

竹茶杓 藤村庸軒作

白糸威二枚胴具足 
尾張藩初代・徳川義直が大坂の陣で用いたと伝わる。

刀 相州貞宗(名物 亀甲貞宗)
国宝。伝来は松平直政、盛岡藩主南部家、尾張藩主徳川家、徳川将軍家。

短刀 青江次直
伝来は徳川秀忠、仙台藩主伊達家。

短刀 相州行光
国宝。加賀藩主前田家伝来。

太刀(菊御作)伝後鳥羽上皇
「上杉家刀剣台帳」記載の刀剣三十五腰の一振りで上杉景勝の愛刀であった。米沢藩主上杉家伝来。

2406 刀剣博物館 五ヶ伝と五ヵ国の日本刀

2024-08-21 | 探訪
東京は両国

刀剣博物館

五ヶ伝と五ヵ国の日本刀
期間:4月27日(土)~6月16日(日)

太刀 銘 国永
宇和島伊達侯爵家旧蔵

短刀 無銘 貞宗 (名物 太鼓鐘貞宗)
伝来は毛利秀包、徳川将軍家、仙台藩2代藩主・伊達忠宗、稲葉家、仙台藩伊達家。

太刀 銘 来国俊 元亨元年十二月日
米沢藩主・上杉家伝来

短刀 銘 吉光(名物 鍋島籐四郎)
鍋島直茂所持、鳥取藩主・池田家、徳川将軍家伝来。

大身槍 銘 南都住人金房兵衛尉政次(号 丸子槍)
岡部長盛が第一次上田合戦の丸子表の戦いで真田勢相手に奮戦した際に使用した事から、岸和田藩主・岡部家の重宝となった。

刀 (金粉銘)長義(号 柳生長義)
その名から柳生家所縁の可能性が推測されている。

短刀 (朱銘) 正宗(蜂須賀正宗)
島原の乱の戦功により徳川家光から戸田氏鉄が拝領した。大垣藩主・戸田家伝来。

短刀 (朱銘) 正宗(名物 芦屋正宗)
薩摩藩主・島津家伝来。

今回は丸子槍でしょうか。真田家と徳川家の争った上田合戦で使用されたと伝わる名槍です。

2406 皇居三の丸尚蔵館 皇室のみやび―受け継ぐ美―

2024-08-18 | 探訪

東京

江戸城大手門を通って向かったのは

皇居三の丸尚蔵館

皇室のみやび―受け継ぐ美― 第4期:三の丸尚蔵館の名品
期間:5月21日(火)―6月23日(日)

春日権現験記絵 高階隆兼作
国宝、鎌倉時代作。

粘葉本和漢朗詠集 伝 藤原行成筆
明治11年に近衛家より献上。

唐獅子図屏風 右隻:狩野永徳作 左隻:狩野常信作
国宝。右隻は狩野探幽による極書によって、狩野永徳の数少ない確証的な作品として名高い。
長州藩主であった毛利元徳が明治21年に献上している。

萬国絵図屏風(左隻)

青海波塗硯箱
水戸藩主・徳川光圀遺愛。

芙蓉双鶏図(動植綵絵より) 伊藤若冲作
国宝。明治22年、相国寺より献上。

花鳥十二ヶ月図(12幅のうち) 酒井抱一作

七宝四季花鳥図花瓶 並河靖之作
パリ万博博覧会出展。

朝陽霊峯 横山大観作

今回はやはり唐獅子図屏風でしょうか。長州藩毛利家伝来で、本能寺の変に際して豊臣秀吉が毛利と講和を結び引き返す際に,本図を贈ったという説もあるが、秀吉関係の城郭の障壁画であった可能性が指摘されています。

2405 彦根城

2024-08-14 | 探訪
今回も彦根

彦根城
国宝。彦根藩主井伊家の居城。

早速登城。

廊下橋
天秤櫓に接続する橋で、戦時には落とせるようになっている。

天秤櫓
長浜城大手門を移築したとの伝承がある。

太鼓門櫓
本丸表口を固める櫓門。こちらも何処かの城門を移築した事が解体修理により判明している。

彦根城天守
4重5階の大津城天守を3層3階に縮小して移築したとされる。
中へ入ります。

天守最上階の鉄砲狭間

天井

玄宮園方面の眺め

天守西面
附櫓が見えると天守の表情が違います。

西の丸三重櫓
小谷城よりの移築と伝わる。

下城の前に

聴鐘庵
城内にある茶屋で薄茶がいただける。

手水鉢

点前座風の部屋

こちらも茶室風

それでは一服。菓子は「金亀」彦根城の別名です。

彦根城は各櫓を移築で補っているのが特色。西への備えとして急ぎ築城された様子がうかがえます。

2405 彦根城博物館 茶壺―武家の美意識―

2024-08-11 | 探訪

今回は彦根

彦根城博物館

茶壺―武家の美意識―
期間:5月17日(金)~6月18日(火)

褐釉四耳壺
肩に四つの耳がついた四耳壺。底部に江戸前期の大名・永井直勝や毛利秀元の花押が残っており伝来をうかがわせる。

小堀遠州書状
四日付、 井伊直孝宛。小堀遠州が井伊直孝に2つの茶壺を斡旋した手紙。「いずれも良い品で自分用に買って留め置いていますが、2つ併せて如何ですか」と商売上手なところをみせている。

御茶入日記
茶葉を茶壺に詰めた際に、茶銘や詰主などを記し壺を収納する箱の蓋裏に張り付けた「茶入日記」と呼ばれる書付。
末尾には茶を納めた宇治の茶師・上林三入の名が見える。
茶壺は宇治から彦根に送られ、藩主が江戸詰めの場合には江戸に届けられたと考えられている。

彦根水屋帳 井伊直弼 筆
井伊直弼が亭主となって彦根で開いた茶会の記録。16会が記されているが展示箇所は安政3年(1856)10月7日彦根城表御殿の茶室「天光室」で行われた口切り茶会の記録。
客は直弼の家臣5人で、床には谷文晁の掛軸とともに「神無月」という銘の瀬戸茶壺が飾られた。

石州流茶壺蓋結緒雛形
茶壺の口に覆布をあて、紐で飾り結び際の形9種を示した雛形。

ここからは常設展示

井伊直弼所用 朱漆塗紅糸威縫延腰取二枚胴具足

若江合戦図
大坂夏の陣で井伊直孝が木村重成の隊を打ち破った活躍を描いたもの。

脇差 銘 月山定光作
井伊家10代直幸の指料。

竹一重切花生 銘 大黒 千宗守(花押) (背面)
武者小路千家4世・直斎宗守の作。

瓢花生 銘 草のやどり 井伊直弼作

三体和歌 牡丹花肖伯筆
建仁2年(1202)3月後鳥羽院の和歌所で催された歌会で詠まれた和歌を室町時代の連歌師・牡丹花肖伯が筆写したもの。
牡丹花肖伯は公家の中院通淳の子。宗祇、宗長と詠んだ「水無瀬三吟百韻」は連歌の金字塔といえる作品。

2405 旧富岡鉄斎邸

2024-08-08 | 探訪
京都

旧二条城跡
永禄12年、織田信長が室町幕府15代将軍・足利義昭のために建てた居城。三重の「天主」を備えた堅固な城塞で、内装には金銀をちりばめ、庭には泉水・築山が構えられていた。
義昭追放後は「二条御所」として使われていたが安土城築城に際して、解体されその部材として使われている。

さらに北上すると

旧富岡鉄斎邸
小川流煎茶の家祖小川可進の居宅を富岡鉄斎が買い上げ、明治15年(1882)に転居。その後隣接する画家の横山崋山邸宅跡の空地を購入し改装したもので、大正13年(1924)の没年まで居住していた。

富岡鉄斎は明治・大正期の文人画家で、京都市美術学校で教職に就いてもいる。
本人は「私は画家ではない。儒者(学者)である。」と自認し、画はあくまで余技であると考えていたようだ。

それでは邸内へ

茶室「福寿庵」
小川家時代には離屋であったものを、鉄斎が煎茶室に改造した。
全体八畳で、一畳分を踏込床とする。庭側に貴人口をあけ、天井は竿縁天井を張る。

袖壁に円弧状の刳り貫き設けている。

床柱は釣束で、瘤付きの材を用いる。

和室
2辺に縁を廻らせた六畳の室。

既存の押入れを水屋仕様に転用している。

画室「無量寿仏堂」
鉄斎が大正11年に建設した十畳の座敷兼画室。

欄間
鉄斎下絵による彫刻が施されている。


縁部分まで伸びる袋床形式。妻側に八角窓を、床脇の地袋上に円窓をあける。
また落掛が二重に打たれている。

縁と踏込床には口が開く。

「月」の引手
桂離宮に使われた意匠で有名。

庭園
石灯籠と蹲踞は回想記によれば「八幡の松花堂にあったものを、鉄斎が珍しく数百円を投じて骨董屋から買い、大切にしていた」と記載されるものか。

旧富岡鉄斎邸は鉄斎没後に京都府が購入し、府議会議員宿舎として活用されてましたが、新たに「文化と産業の交流拠点」として活用を始めようとしているようです。

2405 宝筐院 鹿王院 特別拝観

2024-08-04 | 探訪
京都は嵐山
非公開文化財特別公開の寺院を巡ります。
最初は

宝筐院
室町幕府二代将軍足利義詮の菩提寺。

早速中へ

本堂

本堂南庭

客殿(書院)
明治天皇の行在所にもなった屋敷を移築したもの。

茶室「丹照庵」
久田家の茶室「半床庵」の写しで、乃木希典ゆかりとも伝える。

足利義詮墓、楠木正行首塚
南北朝時代敵味方であった2人の墓が並ぶ。

次は

鹿王院
足利義満が康暦元年(1379)に建立した。

それでは中へ

本庭
中心に舎利殿が建つ。「鹿王院庭園」の名称で京都市の名勝に指定されている。

「鹿王院」額
客殿正面に掲げられている足利義満筆の扁額。

露地

茶室「芥室」
俳優の大河内傳次郎が昭和11年に寄進したもの。六畳の書院造、四畳半の数寄屋造の2席からなる。