上野駅です。
東京国立博物館 平成館 「大徳川展」
実は今回の第一目的はこれでして。「全徳川家の至宝 三百余点を一堂に公開」「この「大」は二度とない」これは観ておかなければと思いました。
上野駅を出ると、そこには人、人、人の波が。子連れの人も多く中にはベビーカーに乗ってる子まで。この子達も大徳川展へ行くのかと思いましたが、そんな事はなく上野動物園組でした。
いよいよ展示場へ入りますが、やはり人が多い。まったく人が流れないです。仕方なくネットを見て目を付けてた展示物を観ていく事にします。
まず最初に家康所用の具足が並びます。
歯朶具足 関ヶ原合戦に着用し、大阪の陣にも身近に置いて勝利を得た具足。真田贔屓の私にとっては困りものの具足です。
金陀美具足 松平元康と名乗っていた19歳の家康が、今川義元の属城大高城が織田信長のために糧道を絶たれ困窮していたとき、見事兵糧を搬入する事に成功した時に着用していた具足。全身金で派手です。これは家康の趣味だったのでしょうか?
他には南蛮胴具足がやたら多い。
碁盤 秀吉と家康が対局したと伝えられている碁盤。
葵紋蒔絵印籠 ご存知水戸黄門で悪代官とかに向かって格さんが「この紋所が目に入らぬか!」って見せるやつです。実際にそんな使い方はしてないですが、この説明が一番分かりやすい展示品です。
初花肩衝茶入 新田肩衝茶入 これに楢柴肩衝茶入を加えて三大肩衝と言われている名品。私は新田の色合いに惹かれました。
竹茶杓 銘「泪」 豊臣秀吉に切腹を命じられた千利休が自ら削り、最後の茶会で使用したと言われている。
これ以外にも沢山あるのですが、もっとゆっくり観れたならきっと満足できる展示会だったと思います。図録を購入して色々観ていますが徳川家の豪華絢爛さに威圧されますね。頑張れ真田一族!
時間があったので江戸東京博物館「太田道灌とその時代展」へ。と言っても常設展の一部だったので展示品数はそれほど多くなく。それでもやっぱり道灌木像がありました。ちなみに特別展は「文豪・夏目漱石」。拝見しましたが甲冑とか刀とかはありませんでした(当たり前です)。
そんなこんなで東京駅。新幹線に乗って帰途につきます。また関西を離れどこかへ行ってみたいな。
東武東上線で寄居駅へ。
駅からは徒歩です。商店街をぬけ荒川に架かる正喜橋を渡ります。下を見るとチト怖い、断崖です。鉢形城が天然の要害だった事がよくわかりますね。橋を渡り終えると坂道が続きひたすら歩く事に。
寄居町鉢形城歴史館 「後北条氏と印」
北条氏の印(虎の印判)を中心に武将達の使用した印を紹介しています。北条が虎、上杉が獅子、武田が龍となっています。
鉢形城址笹曲輪より。
鉢形城は豊臣秀吉の北条征伐時、北条氏邦が籠城し豊臣方の前田利家・上杉景勝・真田昌幸らの軍勢に対抗。約一ヶ月持ちこたえたが最後は開城し氏邦は利家預かりとなった。
真田昌幸軍には真田幸村も加わっていた。これに先立つ松井田城攻めが初陣とされているので、この頃の幸村は父昌幸に従って戦のイロハを実戦の中で教わっていたのだろう。
さて寄居駅に戻って、本日の宿泊地である熊谷に行こうと列車を待っていると。
やって来たのはSLでした。別料金がかかりますが良い機会なので、これに乗って熊谷駅へ。
私の記憶だとこれが初SL乗車。ふと車窓から外を見ると、珍しいのかこちらを見る人が結構います。準備よくカメラで写真を撮っている人もいますが、何故か手を振ってる人も多数。ときどき汽笛を鳴らしながらゆっくりと進みます。
現在、特別展・企画展をいくつか廻っていますがネットで調べてみると関東でもかなりの数の展覧会があるようでおもわず行ってしまいました。
最初は
川越市立博物館 「後北条氏と河越城」
東京駅からJR山手線で池袋駅へ、そこから東武東上線に乗って川越(川越市駅)に移動します。駅を出るとなにやらチラシを配られました。「川越まつり」と書いてあります。どうやらお祭りの日に当たったみたいです・・・・
道の両脇にはずらりと出店が並び山車もありました。人がいっぱいです。
蔵の街並み。人が沢山で、なかなかゆっくり見れないですね。完全に行く日を間違えてます私。
市役所にある太田道灌像。
江戸城の築城で有名な道灌は河越城も手がけております。
しばらく行くと博物館がありました。
注目展示品は
最初は道灌関係。木造の太田道灌像等。
次の河越の支配者、北条5代の肖像画が並びます(残念ながら氏康以外は複製品)。
北条家書状には有名な虎の印判が。
北条綱成旗指物いわゆる地黄八幡。北条綱成は河越合戦でも活躍したので今回の展示となったのでしょうが、実はこの旗は敵に奪われたもの。持ち主は真田信尹、真田幸綱の子であります。なんとこのブログ初登場の真田一族が信尹になるなんて・・・・地味だ。
甲冑類では伝豊臣秀次所用の赤(朱)具足。これはなかなか格好がよろしい。秀次には勿体無いと思ってしまいました。
川越城本丸御殿。
次に向かったのは川越歴史博物館。さまざまな歴史資料が置いてありましたが。
私の目的は。
後藤又兵衛の兜。長い前立てが特徴的です。
後藤又兵衛、大坂の陣で真田幸村と共に豊臣方を支えた武将。幸村・又兵衛を代表とする浪人衆の存在なくして豊臣方があそこまで戦えたとは思えない。戦国末期に強烈な存在感を残していった武将です。
さてさて余韻を残しつつ、駅に戻り次の目的地に向かいます。
大津市歴史博物館 企画展「戦国の大津 -天下統一の夢、坂本城・大津城・膳所城-」
戦国時代、大津にあった3つの城 坂本城・大津城・膳所城 を紹介する企画展。京に至る重要地であった為数々の城が築かれたのですが、三英傑(信長・秀吉・家康)も例外ではなく信長は明智光秀に坂本城を、秀吉は浅野長政に大津城を、家康は戸田一西に膳所城をといった具合。
展示品で一番の注目は、初展示となる光秀の木像(慈眼寺蔵)です。会場入ってすぐに展示しており今回の目玉といった感じ。表情が怒りの形相をしており今までの光秀像とは大きく異なります。柴田勝家と言われても信じるかもしれません。
次の注目は
織田信長画像(総見寺蔵)
豊臣秀吉画像(西教寺蔵)
徳川家康画像(延暦寺蔵・毘沙門堂蔵)
と、三英傑の画像が観れる事。並んでいたら壮観だったのでしょうが残念ながら展示位置は別々です。他にも近江八景図屏風等見所の多い企画展でした。
さて、その大津市歴史資料館で一つ気になったものがあります。
おおちゅ~・・・・・・
もしかして、あれですかね。ひこにゃんに対抗してるんですかね・・・・・・
博物館を後にしてさてどうしようと思っていたら目に付いたのが「新羅三郎の墓」と書いた看板。新羅三郎こと源義光といえば甲斐武田氏・常陸佐竹氏の祖と云われている武将。これは行ってみなければと石段を上がっていきました。が、いつの間にか暗い山道に・・・・。少々ビビリながらひたすら歩きました。
ようやく到着。新羅三郎のお墓です。武田信玄のご先祖様ですよ。
帰りはもう少し楽な道がありました。こちらから登れば怖がらなくてもよかったのに(トホホでした)。
高槻市しろあと歴史館 秋季特別展「三好長慶の時代」
三好長慶、かなり地味な存在です。それでなのかサブタイトルは「織田信長 芥川城入城の以前以後」と信長の名前を出してます。展示場はこじんまりとしており、展示物には三好長慶画像や梟雄・松永久秀の書状、織田信長禁制等、信長禁制にはご存知天下布武の印がありました。
しろあと歴史館に行く道沿いの教会には高山右近像がありました。高山右近は高槻城主であり、キリシタン大名としても有名。さらに利休七哲の一人。前田利家曰く「武勇のほか茶湯、連歌、俳諧にも達せし」との評をうけていました。
高槻城跡。現在は公園になっています。
その公園に建つ高山右近像。キリシタンらしく十字架を持っています。
本日は長浜城歴史資料館でおこなわれている特別展「歴史の中の鉄炮伝来」を観てきました。今日を選んだのは関連事業として「火縄銃大会」があったからです。近くの国友以外にも種子島からも火縄銃保存会の方が来られ演舞をおこなわれるとの事です。
長浜駅前(長浜城とは逆の出口)には秀吉と三成の「出会いの像」があります。
長浜城です。今浜と言われていたこの地に秀吉が築城、名を長浜と改め在城したのは天正三年(1575年)。秀吉出世の城と云われています。
「火縄銃大会」は11時からだったので、それまでに特別展を観ることにしました。展示品は火縄銃、火縄銃、また火縄銃と火縄銃のオンパレード。圧巻でした。徳川家康所用、秀忠所用の銃も置いてありました。
そんなこんなで11時になり、いよいよ火縄銃の実演です。
実演の前にアナウンスで音が凄いので注意してくださいとの事。一応注意はしていたのですが・・・・
思った以上に凄かったですね。轟音轟くとはこの事。さらに爆圧や、火薬の匂いも凄く。観ていた子供が泣きだしたりして、なんかエライ事に・・・・・
しばらくの間は煙でこんな感じでした。お城というロケーションもあって、ほんと一瞬戦国時代の戦場に居るのかと思うような。
次の射撃に備えて準備をされています。
2、3回で終わりかと思ったら、結構何度も何度もありました。また「早撃ち」なるものもありアナウンスでは1分間に6回撃てるとのことでしたが、実際はもう少し時間が掛かってました(安全に配慮しての事だと思いますが)。
戦場での火縄銃は実際の殺傷能力はもとより、あの爆音での威嚇能力でも相手にかなりのダメージをあたえたんじゃないでしょうか?少なくとも私や子供相手には効果抜群だと思われます。
彦根から安土へJRで移動。
駅前の信長像がお出迎えしてくれます。
早速駅の裏にある城郭資料館へ。
ここでは1/20スケールの安土城天主ひな形を拝見しました。
しかしながら重大な問題を抱えていた私は、ものの数分で資料館を後にしました。
駅の表に戻りレンタサイクルを借りて、いざ信長の館へ。
10分程度で信長の館につきました。が、そこをスルーして文芸の郷 レストランに入ります。そうです私の重大な問題とはお腹が空いている事ですw
このレストランのでの目的は限定10食「信長ハンバーグ」を食べる事。限定品なので食べられるかどうか不安でしたが、なんとか間に合ったようです。
信長ハンバーグを食べ終わり、いざ信長の館へ
信長の館一番の見物、いえ唯一の見物はスペイン・セビリア万博で展示された実寸大安土城天主の5、6階部分。近くで見ると迫力がありました。
見上げてみたところです。金と赤の組み合わせがなんとも派手ですねぇ。
次に向かったのは安土城考古博物館。こちらにも安土城の模型があり、他にも出土した金箔瓦等の展示品がありました。
さてさて次は今回のメインイベント安土城跡です。と言いたいところですが今回は登城しておりません。時間切れって事で。
安土城を再建するべきか否か。現在は復興するとしても元となる資料がない為無理なわけですが。信長の館にあるあの建物を安土山に建てると想像すると微妙な気がします。夢は夢のままにしておくのが良いのではないでしょうか。