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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1406 京都国立博物館 南山城の古寺巡礼

2014-07-29 | 探訪
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京都国立博物館

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南山城の古寺巡礼
期間:4月22日(火)~6月15日(日)

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一休宗純所用 五条袈裟(大掛絡)
雲紋様をあしらった白地と萌黄の緞子で作られた袈裟。
一休宗純所用 青磁鉢
明時代のもので大ぶりの鉢。後小松天皇より一休に与えられたと伝わる。
後小松天皇と一休宗純は親子関係にあったとされる。現在一休さんのお墓(酬恩庵内)が宮内庁管轄なのはその為です。
虚堂智愚所用 九条袈裟
両端が反り上がった形状で、花折枝文様と柿蔕文様をあしらった紺地と茶地の緞子で作られている。
虚堂智愚は南宋時代の禅僧。その墨蹟が茶の湯で珍重された。
宗峰妙超 肖像画
一休宗純の賛をもつ宗峰妙超の肖像画。尖った頭に威圧感のある姿。
宗峰妙超は大徳寺の開山で大燈国師の名で知られる。

南山城の様々お寺を紹介する特別展ですが、私が注目したのは一休寺こと酬恩庵。一休さんに関係する様々な品が展示されていました。網代笠・履・一節切(笛)等一休さんの日常が偲ばれます。

1406 湯木美術館 海を渡ってきた茶道具

2014-07-23 | 探訪
大阪デス

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湯木美術館

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春季特別展 「海を渡ってきた茶道具 —名物記・茶会記に現れた唐物・南蛮・高麗—」
期間:4月1日(火)〜6月29日(日)

前・後期拝見しました。
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唐物茶入 銘 紹鴎茄子
全体に紫がかった飴釉がかかり上部から下部にかけ三筋のなだれがある。
底に「みをつくし」と墨書きがあり別名「澪標(みおつくし)茄子」と呼ばれる。
下京の片山某が所持し後に武野紹鴎や京の商人・針屋一族が所持した。
紹鴎茄子と呼ばれる茶入れは3つ存在し、これもその1つである。
古銅桔梗口獅子耳花入
東山御物。口と底を桔梗の形に、最も窄まった部分に一対の獅子頭、胴には龍紋などが鋳出されている。
足利義政が所持し、後に紹鴎・利休・佐久間将監と渡った。
井戸香炉 銘 三国一 
三ツ足の香炉で青白釉の下から斑紋が見られる。三ツ足を中国の三国(魏・呉・蜀)に擬えて銘が付けられた。
江月宗玩所持。

今回は紹鴎茄子が良かった。3つ有る紹鴎茄子をこれで全て拝見する事が出来ました。3つ其々に伝来は違いますが全て紹鴎が一時所持しています。どんだけ茄子茶入が好きだったんでしょうかねぇ。

1405 石川県立美術館 百万石大名の装い・城下町金沢

2014-07-20 | 探訪
金沢

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石川県立美術館
百万石大名の装い ―武具・甲冑・陣羽織―
城下町金沢―武士と人々の暮らし―
期間:5月22日(木)~6月15日(日)

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村井長頼所用 紅糸威仁王胴具足
六十二間筋兜に鍬形の前立、さらに赤熊(ヤク毛を赤く染めたもの)の引廻が付く。仁王胴を金箔押し紅糸で威し、腹の部分には蛇の目紋を黒色で表す。家伝によれば、豊臣秀吉の家臣であった加藤光泰より贈られたとされる。
村井長頼は前田家家臣。前田利家に従い数々の戦場で戦功を立て加賀八家のひとつ村井家の祖となった。
前田利長所用 鯰尾形兜
全長1mを超える銀箔押し兜。元は孔雀の羽の引廻が付いていた。
ここ石川県立美術館には利長所持の濡鷺釜が所蔵されているが、これは利休より渡ったもの。
「松屋茶会記」で知られる松屋久重は利休七人衆の一人として利長を挙げている。
前田利常所用 黒塗六十二間甲冑
兜は六十二間筋兜。利常が大坂の陣で着用したと伝わる。
前田利常も利長におとらず茶の湯に堪能で小堀遠州に学び、遠州が亡くなった時その遺品の内最も多く28点を贈られている。また千宗旦の子・仙叟宗室や金森宗和の子・方氏を召抱えている。

今回は村井長頼の甲冑に尽きます。中々観る事が出来なくてやっと機会が巡ってきました。

14GW 八代市立博物館 京都相国寺と金閣・銀閣の名宝展

2014-07-14 | 探訪
熊本は八代

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八代市立博物館・未来の森ミュージアム

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春季特別展覧会 京都相国寺と金閣・銀閣の名宝展
期間:4月25日(金) ~6月1日(日)

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足利義満 肖像画
袈裟を着け左手に数珠を持つ法体姿の肖像画。
足利義満は室町幕府の三代将軍。北山文化を開き鹿苑寺(金閣寺)を造った。
足利義政 肖像画
黒の束帯姿の肖像画。かなり若い風貌で描かれている。
足利義政は室町幕府八代将軍。慈照寺(銀閣寺)を建て東山文化を創り、義政の所蔵していた絵画・茶器等は東山御物として後の茶人たちに尊重された。
江天暮雪図  牧谿筆
中国の名勝・瀟湘八景のひとつ江天暮雪を描いた水墨画。元は瀟湘八景図として巻物の状態であったが足利義満により其々に切断された。足利将軍家に伝来し後に柴田勝家・秀吉・家康から紀州徳川家に伝来した。
唐物小丸壷茶入
小ぶりで飴色の茶入。口縁から胴の中央へかけてうっすらと釉なだれがある。
足利義政所持。
赤楽茶碗 銘 天狗 長次郎作
丈の長い筒形の茶碗。大ぶりで上部に模様らしきものがある。赤楽であるが黒緑の部分があり異色の長次郎作品となっている。松平不昧・姫路酒井家伝来。
赤楽茶碗 銘 加賀 本阿弥光悦作
縦の箆削りによる切り立つ姿をした茶碗。赤楽であるが雲のような白抜けのところもあり変化に富む。
裏千家・仙叟宗室が所持し後に松平不昧所持となった。
共筒茶杓  千利休作
煤竹で作られた茶杓。樋が深く櫂先が左下がりとなっている。
竹茶杓 古田織部作
白竹で撓の丸みが美しい蟻腰が鋭い茶杓。寸は若干短いがそれを感じさせない存在感。
竹茶杓 歌銘 さらさ 小堀遠州作
さび竹で直腰の茶杓。下部は削げていて非常に侘びた作風。
筒には「さらさ いにしへの七の賢人もみな たけをかさして年をへにけり」とある。
さらさとは竹製の掃除道具の事だそうで、それを使って竹林の七賢人が年末大掃除をしている。竹で作られる茶杓の銘には竹にちなんだものが有るがこれもその一つ。

さて博物館の向かい

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松浜軒

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八代城主松井直之が建てた御茶屋

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企画展「松井文庫の茶道具シリーズ~高麗茶碗と肥後の茶器~」
期間:4月8日(火)~6月末
千利休書状(三月廿一日付)
松井家に伝わる利休から松井康之宛書状は6通あり、これもその中の1通。
利休が細川興元に会った事が記されている。
竹茶杓 細川三斎作
丸撓で露は丸形で節下に胡麻が生じている。松井家伝来。

余談
その頃の京都

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相国寺

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承天閣美術館
特別展は茶道具とは無関係ですが、第一展示室に再現された夕佳亭内部には道具が展示されていました。
共筒茶杓 千利休作
蟻腰で丸撓の茶杓。長さはやや短め。慈照寺蔵
古芦屋松竹梅地紋釜
口の部分が細長く胴には松竹梅の紋様が鋳出されている。狩野永徳の子・狩野光信が下絵を描いたとされる。
金森宗和所持。

14GW 九州国立博物館 近衞家の国宝 京都・陽明文庫展

2014-07-11 | 探訪
福岡です

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太宰府天満宮

その近くの博物館と言えば

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九州国立博物館

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「近衞家の国宝 京都・陽明文庫展」
期間:4月15日(火)〜6月8日(日)

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源氏物語和歌色紙貼交屏風 近衞信尹筆
「源氏物語」に登場する和歌を色紙61に書き金屏風に貼った作品。六曲一双だが今回は右隻の展示となっている。
和歌六義屏風 近衞信尹筆
「古今和歌集」より紀貫之が選んだ6首の和歌を屏風全面に書いた作品。三藐院のトレードマークである大字仮名の書は、大画面である屏風を意識した独創性の高い表現方法となっている。
告都状 近衞信尹筆
太閤秀吉による朝鮮出兵が始まると、何を思ったか信尹も渡海を考え肥前・名護屋に赴いた。これには秀吉・後陽成天皇や公家連中は驚き信尹は京都へ召還されることとなった。そして文禄3年(1594)4月名護屋下向や公卿としての務めを果たしていない事を理由に薩摩坊津への配流が決定された。
この書状は京都の縁者に宛てたっもので、坊津に至る道中記となっている。
束帯天神像 近衞信尹作
木造の天神像で元は彩色されていたが現在はほとんど残っていない。
信尹による天神像では墨画の「渡唐天神像」がよく知られている。
どうも近衞信尹は、場所は違えど同じ九州に流された菅原道真に親近感をもっていたらしい。
茶杓箪笥 近衞家熈遺愛品
仁・義・礼・智・信、5つの引出に計31本の茶杓が納まるようになっている。展示は二十数本。
利休・織部・遠州をはじめ錚々たる面子の茶杓が揃っている。さらに天皇中唯一茶杓を作った後西天皇のものまである。
近衞家熈本人の茶杓はこの箪笥には入っていないが、遺愛品として2本展示してあり、1本は竹製だがもう一本は珍しい桜の木で作られている。

今回は九州と接点のある人物、近衞信尹の薩摩配流に関係する展示が興味深かったです。
なぜ信尹は薩摩に流されなければならなかったのか?信尹独自の書はどの様に作られていったのか?
織田信長から信の字を与えられた近衞信尹とはいかなる人物だったのか?
と興味は尽きません。