今回は山口県は防府に来ました。
防府といえば毛利博物館ばっかり行ってますが今回は違います。前回大内氏に関連する特別展に行ったのですが何かが足りないような気がしていまして、ここ防府ならそれを補えるものが有る。ってことです。

防府天満宮
大宰府天満宮・北野天満宮と並ぶ日本三大天神のひとつ。

歴史館(宝物館)
歴史館は耐震・耐火工事を終え今年1月1日リニューアルオープン。
大内盛見所用 浅黄糸威褄取鎧
南北朝時代の優品で、兜は黒漆塗三十八間二方白の星兜。胴は獅子牡丹文染の韋包みとなっています。
大内盛見が足利将軍家より拝領し、1429年に松崎宮(防府天満宮)に寄進した甲冑で、金具に桐紋が使われているのはその為でしょう。
大内盛見は兄である義弘が幕府軍と戦い敗死すると弟・弘茂と争い勝利し家督を継承します。その実力で幕府に認められ以降は重用されました。1431年筑前で盛見が戦死すると「名将犬死」と言われ惜しまれています。
浅黄糸威鎧
褄取りが無いものの上記、浅黄糸威褄取鎧と似た造り。こちらも大内盛見の寄進とされています。
紫韋威鎧
紫韋の文様が珍しい鎌倉時代の鎧。

石大鳥居(一の鳥居)
1629年に長州藩主毛利秀就の寄進により建てられた。

大専坊
天満宮の表参道にあります。1557年に毛利元就が大内義長を攻めた際の本陣をここに置いたそうです。

圓楽坊跡
大専坊の向かいにあります。記録によると1587年に細川幽斎が連歌興行を催し、1598年には石田三成が宿泊したそうです
。
防府といえば毛利博物館ばっかり行ってますが今回は違います。前回大内氏に関連する特別展に行ったのですが何かが足りないような気がしていまして、ここ防府ならそれを補えるものが有る。ってことです。

防府天満宮
大宰府天満宮・北野天満宮と並ぶ日本三大天神のひとつ。

歴史館(宝物館)
歴史館は耐震・耐火工事を終え今年1月1日リニューアルオープン。
大内盛見所用 浅黄糸威褄取鎧
南北朝時代の優品で、兜は黒漆塗三十八間二方白の星兜。胴は獅子牡丹文染の韋包みとなっています。
大内盛見が足利将軍家より拝領し、1429年に松崎宮(防府天満宮)に寄進した甲冑で、金具に桐紋が使われているのはその為でしょう。
大内盛見は兄である義弘が幕府軍と戦い敗死すると弟・弘茂と争い勝利し家督を継承します。その実力で幕府に認められ以降は重用されました。1431年筑前で盛見が戦死すると「名将犬死」と言われ惜しまれています。
浅黄糸威鎧
褄取りが無いものの上記、浅黄糸威褄取鎧と似た造り。こちらも大内盛見の寄進とされています。
紫韋威鎧
紫韋の文様が珍しい鎌倉時代の鎧。

石大鳥居(一の鳥居)
1629年に長州藩主毛利秀就の寄進により建てられた。

大専坊
天満宮の表参道にあります。1557年に毛利元就が大内義長を攻めた際の本陣をここに置いたそうです。

圓楽坊跡
大専坊の向かいにあります。記録によると1587年に細川幽斎が連歌興行を催し、1598年には石田三成が宿泊したそうです
。