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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

1202 防府天満宮

2012-03-16 | 探訪
今回は山口県は防府に来ました。
防府といえば毛利博物館ばっかり行ってますが今回は違います。前回大内氏に関連する特別展に行ったのですが何かが足りないような気がしていまして、ここ防府ならそれを補えるものが有る。ってことです。

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防府天満宮
大宰府天満宮・北野天満宮と並ぶ日本三大天神のひとつ。

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歴史館(宝物館)
歴史館は耐震・耐火工事を終え今年1月1日リニューアルオープン。

大内盛見所用 浅黄糸威褄取鎧
南北朝時代の優品で、兜は黒漆塗三十八間二方白の星兜。胴は獅子牡丹文染の韋包みとなっています。
大内盛見が足利将軍家より拝領し、1429年に松崎宮(防府天満宮)に寄進した甲冑で、金具に桐紋が使われているのはその為でしょう。
大内盛見は兄である義弘が幕府軍と戦い敗死すると弟・弘茂と争い勝利し家督を継承します。その実力で幕府に認められ以降は重用されました。1431年筑前で盛見が戦死すると「名将犬死」と言われ惜しまれています。
浅黄糸威鎧
褄取りが無いものの上記、浅黄糸威褄取鎧と似た造り。こちらも大内盛見の寄進とされています。
紫韋威鎧
紫韋の文様が珍しい鎌倉時代の鎧。

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石大鳥居(一の鳥居)
1629年に長州藩主毛利秀就の寄進により建てられた。

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大専坊
天満宮の表参道にあります。1557年に毛利元就が大内義長を攻めた際の本陣をここに置いたそうです。

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圓楽坊跡
大専坊の向かいにあります。記録によると1587年に細川幽斎が連歌興行を催し、1598年には石田三成が宿泊したそうです


1202 いのちのたび博物館 特別展「大内文化と北九州」

2012-03-13 | 探訪
2012年の第二弾は福岡県の小倉です

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小倉城
関ヶ原の戦い後に細川忠興が南蛮造の天守を築きました。現在の天守は1959年に再建(コンクリート製)されました。

その小倉から電車で約10分。「スペースワールド駅」にやって来ました。
しかし「スペースワールド」とは、はてなんぞや?
なんて思ってたらスペースシャトル!?

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宇宙をテーマとしたレジャーランドだそうで。もちろんシャトルは本物では無いそうですが迫力満点です。

そして私の目的はこちら

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北九州市立 いのちのたび博物館

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冬の特別展「知られざる歴史絵巻ー大内文化と北九州ー戦国の世に花開く雅の世界」
期間:1月2日(月・祝)~2月12日(日)
「北九州に残る大内氏の痕跡を掘り起こし、各地に伝えられた大内氏の遺品など約90点により、北九州の中世と大内氏の活動の軌跡を紹介します。」

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大内氏歴代肖像扁額
大内氏の祖とされる琳聖太子から大内義隆までの歴代当主が描かれた扁額。 毛利輝元が創建した宝現霊社に伝来。

大内義弘坐像
大内盛見坐像
大内持盛坐像

いずれも洞春寺蔵。室町時代前期の大内家当主(義弘・盛見)やその一族(持盛)であり盛見は義弘の弟。持盛は義弘の子にあたります。3人共が戦死なのも象徴的であります。
大内義興肖像画
1511年船岡山で細川澄元を破った記念に描かれた肖像画。「細川家の至宝」で拝見した「細川澄元肖像画」に似ており景徐周麟の賛がある点も同じ。
大内義興は戦国時代の大内家当主であり一時は京に進出し大内家の全盛期を築いた
大内義隆所用 藍韋肩赤威甲冑
1542年に大内義隆が厳島神社に奉納した甲冑。
大内義隆所用 金銅牡丹唐草透唐鞍
大内義隆が長門住吉神社に奉納した唐鞍。
大内義隆所用 太刀 伝宗近
大内義隆が筥崎宮に奉納した太刀。

この他に大内義隆が奉納した鰐口もありました。これだけの奉納をするには財力も相当必要で大内家の力を見せつける行為ではあるが、それより義隆の弱さを感じてしまうのは結果を知るからでしょうね。

青磁筒花生 銘大内筒
壁に掛ける掛花生で「大内筒」の名は大内家に伝来したことに由来するそうで、足利義政も所持したとも伝わる。
日月図軍扇 足利尊氏花押
表に日輪を金箔で、裏に月輪を銀箔で表している。足利尊氏の花押があり伝承では1351年に尊氏から土屋宗直に与えられたそう。
松永久秀所用 松図真形釜
筑前国芦屋で製造された芦屋釜は茶の湯で使用され大内家が保護していたとされます。この芦屋釜は織田信長や松永久秀が所持していたと伝わります。

大内氏は室町時代に中国・北九州に一大勢力を築きましたが1551年に大内義隆が家臣である陶晴賢に討たれ事実上滅亡してしまいます。その後同地域は毛利氏が支配した事もあり、現在では大内氏の影は薄い感じですがこれらの資料を見ていくと地味ながらもしっかりとした足跡を残している事が分かります。

いのちのたび博物館では常設展示として

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恐竜や

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マンモスの骨格標本等あり大迫力です。

歴史関係では

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井上之房所用 赤漆塗革包二枚胴具足
黒漆塗唐冠形兜。之房は黒田二十四騎のひとり。

1201 徳川美術館 特別展「名物刀剣 -宝物の日本刀-」

2012-03-09 | 探訪
2012年も3月になりました。第一弾は名古屋から

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徳川美術館

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特別展「名物刀剣 -宝物の日本刀-」
期間:1月4日(水)~2月5日(日)
「「日本刀は武士の魂」といわれ、刀剣は武士にとって最も大切な道具でした。戦国時代、天下取りに命運をかけた織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らも、「名物刀剣」を大量に手中に収めることに意を尽くしました。江戸時代には、徳川八代将軍吉宗が本阿弥家に命じて作らせた「享保名物帳」が、「名物刀剣」の評価を定着させました。」(公式より)

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上杉謙信所用
太刀 銘 一 号 姫鶴一文字
黒漆合口打刀拵

重文。謙信の愛刀で景勝が選んだ腰物目録にも記されている。鍔の無い打刀拵は世に「上杉拵」と呼ばれています。
織田信長所用
刀 金象嵌銘 光忠/光徳(花押)

国宝。徳川家康から徳川頼房に贈られ以降、水戸徳川家に伝来した。
明智光秀所用
太刀 銘 長光 名物 津田遠江長光

国宝。元は織田信長の所持で本能寺の変の後に安土にて光秀が奪った。家老の津田遠江守に与えた事から「津田遠江長光」の名がついている。
豊臣秀吉所用
刀 無銘 伝義弘 名物 村雲江

重文。名の由来は秀吉がこの刀を見て「村雲(群雲)のよう」と言ったことからだと伝わります。
徳川家康所用
太刀 銘 助真 号 日光助真

国宝。加藤清正より徳川家康に献上された。「日光」の名の由来は日光東照宮に収められている事による。
最上義光所用
短刀 銘 正宗作 号 大黒正宗

大黒屋長左衛門が所持していた事から「大黒正宗」とよばれる。有名な刀工である正宗だが銘のある物は少なく特に「正宗作」の銘があるのは、この1点のみ。
朝倉義景所用
短刀 銘 吉光 名物 朝倉藤四郎

朝倉義景が所持していた事から「朝倉藤四郎」とよばれる。後に春日局の孫にあたる稲葉正則より五代将軍徳川綱吉に献上された。
生駒正俊所用
短刀 無銘 吉光 名物 無銘藤四郎

生駒正俊の所持していた短刀で1621年正俊死後に二代将軍徳川秀忠に献上された。1623年閏8月24日名古屋にて尾張藩主徳川義直に与えられ以降、尾張徳川家に伝来した。
生駒讃岐守正俊は讃岐高松三代藩主で豊臣政権で三中老を務めた生駒親正の孫にあたる。
前田利家所用
短刀 銘 正宗 名物 不動正宗

重文。数少ない「正宗」の銘がある刀。「不動」の名は野間琢斎が彫った不動明王の彫物があることに由来する。
豊臣秀次から徳川家康、前田利家、また家康と渡り後に尾張徳川家に伝来した。
伊達政宗所用
刀 金象嵌銘 正宗磨上/本阿弥(花押)
名物 池田正宗

重文。「池田正宗」の名は伊達政宗の後に所持者となった池田長吉による。
池田長吉は池田恒興の子で、池田輝政の弟にあたる。関ヶ原合戦での功により因幡鳥取6万石を与えられた。
石田三成所用
短刀 無銘 正宗 名物 日向正宗(大垣正宗)

国宝。名の由来は関ヶ原合戦のとき大垣城を攻めた水野日向守勝成が守備していた福原長堯より分捕った事に由来する。その後は徳川頼宣が所持し以降、紀州徳川家に伝来した。
黒田長政所用
刀 無銘 義弘 名物 五月雨江

重文。長政から徳川秀忠、前田利常、徳川家光、徳川光友(尾張藩二代)、徳川綱吉と渡り以降将軍家に伝来した。
松井興長所用
刀 朱銘 義弘/本阿(花押)名物 松井江

重文。松井興長所持により「松井江」とよばれる。
興長は熊本藩筆頭家老で八代城主。
本多正純所用
短刀 無銘 貞宗 名物 上野貞宗

名の由来は所持者の本多上野介正純に由来する。正純が失脚すると将軍家に納められ、徳川家光から尾張の徳川義直に与えられた。尾張徳川家伝来。
池田輝政所用
短刀 銘 来国光 名物 池田来国光

重文。池田輝政が所持した事からその名が付く。後に加賀前田家に伝来。
細川忠興所用
小太刀 銘 国俊 名物 鳥飼国俊

細川幽斎から忠興、石田三成、富田信高(安濃津城主)、徳川家康と渡った。尾張徳川家伝来。
桑山元晴所用
短刀 銘 高市郡住金吾藤貞吉/元亨二二年甲子十月十八日
名物 桑山保昌

国宝。桑山元晴所持で後に前田利常が求めた。
桑山元晴は豊臣秀長の家老を務めた桑山重晴の次男で大和御所藩主。
佐竹義重所用
刀 無銘 長義 八文字長義

名の由来が凄まじい。北条方の騎馬武者を義重が兜もろとも真っ二つにしたところ、体が八の字に落下した事による。義重らしい豪壮な刀でした。
大谷吉継所用
短刀 銘 吉光 庖丁藤四郎

その形が庖丁に似ていることから「 庖丁藤四郎」とよばれる。大谷吉継が所持し後に徳川家康に渡った。家康死後に遺産として尾張藩主の徳川義直が相続した。

国宝、重文のオンパレードで源頼朝や足利将軍家縁の刀剣もありました。

特別展以外からの展示も紹介します。

筒井順慶所用
古瀬戸肩衝茶入 銘 筒井 大名物

やや撫肩の肩衝茶入で筒井順慶が所持していた事から「筒井」の銘がある。後に徳川家康そして徳川義直が所持し以降は尾張徳川家に伝来した。
順慶は大和筒井城主。羽柴秀吉と明智光秀が争った山崎の合戦では洞ヶ峠にあって形勢の有利な方に味方しようとした事から日和見の代名詞のように言われるが、この話は史実では無い。実際に洞ヶ峠に着陣したのは光秀であり、順慶を味方にする為のアピールだとされている。

豊臣秀吉所用
青磁香炉 銘 千鳥

「千鳥形」香炉。蓋に千鳥の形のとってがあり、伝説では石川五右衛門が忍び込んだ時にこの千鳥が鳴いて秀吉に報せた為に捕らえられたとされています。千利休の師である武野紹鴎が所持し、後に秀吉、徳川家康へと渡りました。

2012年の第一弾でした。既にいろいろ廻ってますので紹介していきたいと思います。