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三河武士のやかた家康館 本多忠勝没後四百年 「本多家の遺宝」

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三河武士のやかた家康館
名古屋を離れて岡崎にやって来ました。

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本多忠勝没後四百年「本多家の遺宝」展
「本多忠勝の没後400年を記念し、本多家に伝わる武具甲冑や古文書、絵画、工芸品、歴代将軍ゆかりの資料など貴重な品々60点を二期に分け8年振りに特別展覧いたします。
 鹿角の兜で有名な本多忠勝所用の黒糸威胴丸具足と本多忠勝画像は、昨秋アメリカ・メトロポリタン美術館「侍の芸術」展での公開から帰国後初、日本では2年振りの公開となります。」(公式解説より)
前期・後期に分かれており展示も大幅に変わっていました。本多忠勝関連の多い後期がやはり良かったです。
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本多忠勝 肖像画
重文。甲冑姿で床机に座った姿で描かれている。何度も絵師に描き直させ9度目で納得したものでかなりの拘りを感じさせる。忠勝は「家康に過ぎたもの」と呼ばれる武将で徳川四天王のひとり。数多くの合戦で活躍したが傷ひとつ負わなかったとされる。
本多忠勝所用 黒糸威胴丸具足
重文。前立は獅噛、脇立は鹿角だがかなり異様な形をしている。最大の特徴はたすき掛けした金箔押しの数珠であろう。やっと見れた甲冑。近くで見ると迫力があります。
鍾馗旗印
本多家の旗印で合戦図屏風にも描かれている。狩野永徳筆と伝わる。
本多忠勝所用 牛人形鞍
関ヶ原の戦いのとき忠勝は徳川秀忠より賜った三国黒と呼ばれる駿馬に跨り参戦した。だが三国黒は島津追撃時に撃たれ死去し忠勝も落馬した。この鞍はその三国黒の馬具で家臣が持ち帰ったもの。忠勝の落馬姿は関ヶ原合戦図屏風にも描かれている。
佐藤忠信の兜
小田原征伐に功のあった忠勝に豊臣秀吉が与えた兜。佐藤忠信は源義経の忠臣で武勇に優れていた事から秀吉が忠勝こそ相応しいとしてして与えたのだが忠勝自身はあまり喜ばなかったらしい。
さてこの兜を実際に見て思ったのだが、これは忠信の時代(源平合戦)の兜には見えないと感じた。秀吉はその事を知っていたのかどうか気になるところ。
本多忠政 肖像画
忠政は忠勝の嫡男で小田原征伐に初陣。上田城攻め・大坂の陣に参戦している。父忠勝隠居後桑名10万石を継ぐが大坂の陣の功績により姫路15万石に栄転している。この肖像画は忠政48歳の時に掛かれたものだそう。
本多忠政所用 黒糸威二枚胴具足
兜は椎形。籠手と佩楯に本多家の立葵紋が付いている。全身黒の甲冑は父譲りであろうか。

やはり本多忠勝の具足を見れたのが大きい。戦国武将甲冑の中でも屈指の出来。
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