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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2304 万博記念公園 茶室「万里庵」

2023-06-28 | 探訪

今回も万博記念公園内の日本庭園から

茶庭

水琴窟

そして

茶室「万里庵」
茶室「汎庵」同様に万博開催時に建てられたもの。汎庵が書院風ならこちらは草庵風茶室になっている。
扁額の「万」は表千家の「里」は裏千家の家元筆によるもの。
さて入口は貴人口と

躙口があります。

内部は四畳半。

躙口の正面に床を構える。

天井
竿縁に竹を用いている。

万里庵はここまで。日本庭園の見どころをいくつか拝見。

千里庵の枯山水
日本庭園にあるもう一つの茶室「千里庵」の中庭。枯山水をイメージして作庭されている。

松の洲浜
川が河口付近から海へと注ぐ姿を象ったもの。

以上!

2304 万博記念公園 茶室「汎庵」

2023-06-26 | 探訪
今回は大阪

万博記念公園
昭和45年の日本万国博覧会の会場跡地を整備した公園。写真はご存じ岡本太郎作の「太陽の塔」。
こちらには万博開催時から続く日本庭園と茶室があります。
茶室は博覧会の会期中、国内外のVIP用の接客施設として、京都商工会議所から寄贈されたもの。
それでは通常非公開、特別公開中の茶室へ

茶室「汎庵」
書院造りをイメージした茶室。汎庵の「汎」は流派を問わず利用できる汎用の「汎」から。扁額は当時の総理大臣・佐藤栄作筆です。

腰掛待合

蹲踞

茶室「汎庵」の外観

立礼席

十畳の広間


花入は萩焼です

床脇は円窓になっています。

点前座
実際に使われている吊釜。

こちらで呈茶がありました。
実際にお茶を点てていただけます。

茶碗は黒織部写。
こちらで使われている道具は万博開催時から使われているのだそう。

次回も万博記念公園から

2304 平安神宮 茶室「澄心亭」

2023-06-21 | 探訪
京都

平安神宮

神苑の桜もいい感じです。

今回は観桜茶会にやってきました。

蹲踞

茶室「澄心亭」
明治28年の平安神宮創建時に七代小川治兵衛によって西神苑が作庭された時にこの一角に建てられたもので、その後幾度か改修が行われ現在の姿となっています。

内部は全体十畳で、一畳分を床にしている。



点前座

こちらでお抹茶をいただきました。菓子は観桜という名前です。

次は小間

内部は三畳台目。躙口と貴人口を備えた席です。



平安神宮のお茶席、堪能しました。

2303 興福院 長闇堂

2023-06-18 | 探訪
奈良

興福院
浄土宗の尼寺。一時衰退の後に豊臣秀吉(または秀長)より寺領200石の寄進を受けた。
寛永年間には、本堂・客殿の造営が行われ作事には小堀遠州があたり、久保権大輔(長闇堂)も参与したと伝わる。また寛文5年(1665)四代将軍・徳川家綱より現在地を与えられ建物は移築された。

興福院本堂の扁額
小堀遠州筆

庭園
元の庭は小堀遠州作庭と伝わり、現在の庭もその流れを汲む。

手水鉢

書院

長闇堂 墓碑
大正14年に発見された。

茶室「長闇堂」と「龍松庵」
長闇堂は久保権大輔が営んだ庵で「七尺堂」と称した。権大輔の死後は移転を繰り返し、最後は材を保管していたのを誤って薪として使ってしまったという。
現在の「長闇堂」は昭和3年に古図をもとに「七尺堂」を再現したもの。外観は宝形造で軒反りが付けられている。
その「長闇堂」と畳廊下で接続しているのが「龍松庵」で、大乗院の八窓庵(現在は奈良国立博物館にあり)の写し、これは古田織部好みと伝わる。

「長闇堂」内部(資料より)
内部は二畳に床と仏間を設ける。天井に南都大仏殿勧進帳などが貼られている。床右側の下地窓上部には「長闇堂」の額が掛けられている。
持仏堂と茶室を含めた庵としては松花堂昭乗の「松花堂」が知られているが、久保権大輔の「七尺堂」はそれに先行し「松花堂」に影響を与えたと考えられている。

2303 江久庵 茶室「朝雲庵」

2023-06-14 | 探訪
大阪は堺

反正天皇陵古墳(田出井山古墳)
のほど近く。

江久庵
カステラ工房兼和菓子販売のお店

大徳寺 塔頭・聚光院の襖絵の高精細複製品。
方丈にある狩野永徳筆の花鳥図の一部です。
さて本題。こちらには茶室があります。

茶室「朝雲庵」
「山上宗二記」に記された茶室の平面図をもとに作られた茶室で、秀吉が大坂城を築いた時に千利休も大阪に屋敷を構えその一角に設けられたもの。松屋会記によれば豊臣秀吉の御成があったと千少庵が語っている。
内部を拝見する前に

露地庭

腰掛待合

蹲踞

さて内部です

深三畳台目。床は5尺

点前座
台目構で、袖壁が下まであり道具を客に見せないようにしている。
現在では下部を吹抜けにしているものが主流になりますが初期はこの形でした。
天正15年1月に利休大坂屋敷の茶室に招かれた神谷宗湛はこの場所を「次の間」と記していて、別の室のように見えたと考えられます。

天井

こちらは広間。分かり難いですが表千家の残月亭の写しのようです。小間同様に利休と秀吉に所縁のある所を写しているのが面白いです。

2303 細見美術館 香道 志野流の道統

2023-06-11 | 探訪
京都は岡崎

細見美術館

特別展「初代 志野宗信没後五百年記念―香道 志野流の道統―」
期間:3月4日(土)~5月31日(水)

松隠軒宗信像
口を結び穏やかな眼差しで一点を見据え、香炉を前に膝上で手を組んで坐した肖像画。
志野流香道の祖、志野宗信は室町幕府八代将軍・足利義政に仕えたとされ、香道の基礎を作った人物。
三条西実隆や連歌師の宗祇、牡丹花肖柏、茶人の珠光等と交友関係があった。
青磁香炉「あをやぎ」
南宋~元代に作られた胴に4本の筋が廻り三つ脚の香炉。挽家には金蒔絵で「源氏香図」を表す。
伝来は足利義政、三好家、今川家、織田信長、姫路藩酒井家。
六十一種名香
紫地に花鳥文様が描かれた箱の中に、六つの香包さらにその中にそれぞれを色とりどりの紙で包んだ香片が納められている。
最も有名なものは「東大寺」と記されたもので、これは正倉院御物の「蘭奢待」の事。
宗信が足利義政の命で、婆娑羅大名・佐々木道誉蒐集の180種の名香や三条西実隆所有の66種を精選して「六十一種名香」を選定したと伝わる。
蘭奢待
菊の御紋の箱に納められており、明治天皇が明治11年に截香(香木の一部を切り取る)されたもの。
それを志野流香道松隠軒15代が賜った。

2303 わざ 永々棟 「永々棟のひなまつり」

2023-06-07 | 探訪
北野天満宮のほど近く

「平野の家 わざ 永々棟」
もとは大正から昭和にかけて活躍した日本画家・山下竹斎の邸宅兼アトリエとして大正15年に建てられた。

春の特別公開「永々棟のひなまつり」
永々棟所蔵の享保雛、次郎左衛門雛、有職雛、古今雛などを展示。写真は1階の展示ですが、2階にも多くの雛人形が展示されていました。
こちらは1階の広間の床と琵琶床になります。炉も切られている様なので茶席としても使われているのでしょうか。

庭園

六角形の蹲踞

茶室「聚楽庵」扁額

躙口

内部は全体四畳半で内一畳を床に使っています。


こちらにも雛人形がありました。

天井
点前座上は落天井になっており竹を敷き詰めている。

こちらの小間では呈茶がありました。お菓子「ひちぎり」で京都ではひなまつりのときにいただくそうです。

呈茶は点出しではなく点前あり、美味しく頂戴しました。

2303 北野天満宮 宝物殿

2023-06-04 | 探訪
京都

北野天満宮

宝物殿

「秀吉公・家康公ゆかりの御神宝」
期間:2月1日(水)〜3月26日(日)

刀剣のみ撮影OKでした。

太刀 鬼切丸
源氏の重宝であり新田義貞所持、最上家に伝来した。

刀(太刀) 國広
慶長12年(1607)本殿造営に際し豊臣秀頼が奉納した。

太刀 青江恒次
元禄15年(1702)加賀藩五代藩主・前田綱紀が奉納。

脇指
伊予松山藩三代藩主・松平定長が自ら作刀したとされる脇指で、北野社に奉納したもの。

他には豊臣秀吉が奉納した鉄燈篭、徳川家康の夢想連歌、徳川秀忠の書状などの展示がありました。