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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

13GW 鉢形城歴史館 「鉢形城主上杉顕定」

2013-06-28 | 探訪
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鉢形城
今回は埼玉県は寄居

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鉢形城歴史館

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春季企画展「鉢形城主上杉顕定~東日本の副将軍 関東管領 上杉氏と鉢形城~」
期間:3月16日(土)~5月6日(月)
「鉢形城は、東日本の副将軍ともいうべき関東管領が居城とし、東日本一帯を統治した時代が約70年間ありました。そこで、今回はこの関東管領として、初めに鉢形城を居城とした、山内上杉顕定を取上げました。」(公式より)

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上杉顕定所用 四十二間総覆輪筋兜
阿古陀形の筋兜で残念ながら立物や錣は失われている。
上杉顕定所用 鞍・鐙
朱塗りの鞍で金箔押で上杉の家紋「竹に対雀」と鳳凰が描かれている。上杉顕定が最後に着装したと伝えられています。
上杉顕定所用 碁盤
クチナシ形の脚をもつ立派な作りの碁盤で、裏面に上杉氏の家紋「竹に対雀」が彫られている。

上杉顕定は戦国時代初期に関東で活躍した人物ですが、同時代の北条早雲や太田道灌に比べるとあまり有名ではありません。また最期も越後の長尾為景(上杉謙信の父)を攻めて一時は有利に戦うも最後は長森原の戦いで敗れ亡くなっています。完全に敗者の側の人物ですがこうやって企画展になるのもするのも凄いもんです。

13GW 五島美術館 春の優品展 

2013-06-23 | 探訪

五島美術館

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春の優品展 -和歌の世界-
期間:4月6日(土)~5月6日(月)

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唐物文琳茶入 銘 吹上
遠州が古今和歌集より命銘した。胴中に鶉斑が廻り黒釉が一条なだれを成している。
姫路藩主の酒井宗雅が所持していたが、1789年参勤交代の途中駿河柏原での茶会の後に松平不昧に贈られた。
唐物肩衝茶入 銘 安国寺
大名物。殊の外大振りの肩衝茶入で、濃い黒褐色の飴釉に白鼠色の斑文が表れている。銘も「安国寺」の他「有明」「中山」とよばれる。
秀吉または細川幽斎から細川三斎に渡った。その後に安国寺恵瓊が所持したが関ヶ原合戦の後に家康から津田秀故に与えられた。ある時津田秀故の茶会に招かれた三斎は、久々に見たこの茶入を手放した事を悔いて秀故に知らせず茶入れを持ち帰ってしまった。翌日金五百枚で改めて譲渡を願い、津田秀故もその熱意に押されて譲っている。1626年に小倉藩領が飢饉になった際に、三斎からこの茶入を譲られていた子の忠利は土井利勝の仲介で庄内藩主酒井忠勝に金千六百枚と交換し領民の救済に充てている。
それを聞いた三斎は「忠利の茶の湯も上達した」と褒めている。
共筒茶杓 銘 玉川 小堀遠州作
千載和歌集の源俊頼に歌われた近江野洲の野路の玉川から命銘された茶杓。
集外歌仙
後水尾天皇または後西天皇により選ばれた三十六歌人。戦国武将が多く伊達政宗・武田信玄・三好長慶等が選ばれている。展示は毛利元就の項でした。

1304 一休寺 春季宝物特別展

2013-06-17 | 探訪
今回は京田辺

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酬恩庵
一休宗純が晩年を過した事から通称一休寺と呼ばれています。

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少年一休像
一休宗純より少年時代の一休さんとして馴染み深い。

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一休宗純墓所
後小松天皇の落胤とされている為、この墓所は宮内庁が管理しています。

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方丈庭園
松花堂昭乗・佐川田喜六・石川丈山の合作とされています。

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一休寺 春季宝物特別展
期間:3月15日(金)~5月31日(金)

一休宗純肖像画
無精髭を生やし、通常は沓床に置かれている沓を履き右足を左膝で組む。更に左脇に朱鞘の大太刀を添えている。なんとも僧侶らしからぬ姿で描かれている。
一休宗純墨跡道号頌 「葉室」
一休が飼っていた雀が亡くなった際に与えた道号を書いた一休の直筆。「葉」の文字の草冠の部分を二羽の飛ぶ雀の形にしているのが実に洒落ている。実はこの雀が亡くなる前年にも雀を飼っていてそちらにも道号を与えているが、これはまた別の機会に。
青磁鉢
一休が愛用していたとされる中国製の鉢。
一休宗純 遺偈
遺偈とは禅僧が死ぬまぎわに残した言葉。一休の残したものは流石に彼らしいもので、「世界中で一休の禅が分かる者はいるか。虚堂とて半分も分からないだろう」と言った意味で一休が最も尊敬していた中国の僧虚堂智愚でさえも容赦ない。

珠光との関係から一休の書は後の茶人達に愛用されています。私も美術館で観る事がありますが、さて一休自身についてどれだけ知っているか?と考えると「一休さん」のイメージしか殆どない事に気がつきました。そんなこんなで一休が晩年を過し亡くなったこの場所を今回は訪れみたわけです。
なかなか強烈な人物ですが、雀に愛情を注ぐ姿などからは愛情の深さが見て取れます。

1304 逸翁美術館 復活!不昧公大圓祭

2013-06-16 | 探訪
今回は大阪の池田市

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池田城
摂津池田氏の居城。1580年に織田信長の命により廃城となった。

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逸翁美術館

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2013春季展「小林一三生誕140周年記念Ⅰ復活!不昧公大圓祭-逸翁が愛した大名茶人・松平不昧-」
期間:4月6日(土)~6月2日(日)

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安楽庵策伝像 松花堂昭乗筆
松花堂筆の策伝肖像画で安楽庵が自賛している。松平不昧が所持した。
少庵寄附・公用文字釜 辻与次郎作
胴に「少庵寄附」「公用」の文字が鋳出された与次郎作の釜。千少庵が寺院などに寄進した内のひとつとされる。これを所持した松平不昧は花見の茶会でこの釜を使用した。
竹筒花入 不昧歌銘 蔦の細道 松平不昧作
細身の曲がりくねった竹花入。駿河の宇津ノ谷峠は古くから「蔦の細道」の名で知られており、竹の形状からの連想で不昧が命銘したのであろう。

「特別展示 茶室の室礼」より2点

筋万代釜 辻与次郎作
肩と腰に二本の筋が入る。利休の娘婿の万代屋宗安が好んだ形とされている。
竹茶杓(三不点のうち) 古田織部作
江月宗玩の箱書「天不晴不点 湯不老不点 不得其人不点」(三不点)に利休・織部・遠州3人の茶杓が納められている。今回の展示は織部の茶杓と江月筆の箱蓋。

1304 東本願寺 教如上人展

2013-06-09 | 探訪
今回から4月編
まぁ、焦らずぼちぼちといきましょうかね


東本願寺

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真宗本廟阿弥陀堂 特設会場
「教如上人」展
期間:4月1日(月)~4月7日(日)
「教如上人四百回忌法要を記念して、東本願寺(真宗本廟)では史上初となる「教如上人展」を開催いたします。全国各地の上人ゆかりの品々、約80点を展示し、上人の生涯と東本願寺創立の歴史に触れていただきます。」(公式より)

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教如上人寿像
朱色の袈裟、左手に数珠・右手に扇を持った姿が描かれている。
教如は石山合戦で織田信長と争った顕如の長男。教如の青年時代はこの石山合戦に明け暮れている。
石山合戦絵伝
二幅からなる絵伝。織田信長の姿や織田・毛利の水軍が戦った木津川口海戦の様子が描かれている。
顕如上人甲冑像
鎧姿の顕如像で、まるで戦国武将の姿のよう。下段には石山合戦に参加した門徒等の名前が書かれている。その中には鈴木(雑賀)孫市の名前もある。
天正八年庚辰八月二日新門跡大坂退散之次第
織田信長・豊臣秀吉に仕えた太田牛一による石山合戦から秀吉による紀州攻めを書いた軍記。
信長との講和により顕如が紀州に退去した後も、教如は石山本願寺に残り抗戦したが1580年8月2日に石山本願寺を退いた。
利休百会記 写
1590年から91年にかけて約百会にわたる利休の茶会記。その信憑性には疑問も持たれているが利休最晩年の茶会の様子を窺い知れる史料とされている。
教如も利休の茶会に参加しており、天下人秀吉と同席した事が記されている。
当時の教如は大坂の天満本願寺に居り、豊臣政権との関係も比較的良好であったようだ。
しかし父・顕如が亡くなり本願寺を継承した翌年1593年秀吉より弟の准如に本願寺を譲る事を命じられ退隠を余儀なくされた。1598年秀吉が亡くなると教如は次第に徳川家康に接近する事となる。
須弥壇引戸(教如上人辞世歌)
1600年石田三成挙兵を知らせる為に教如は関東へ向かい小山に居た家康に謁見する。その帰途美濃墨俣付近で三成方に襲撃された教如は光顕寺に潜伏。この須弥壇引戸はその際死を覚悟した教如が紙も筆も無い中、短刀で引戸に辞世を刻んだものと伝わる。
伝教如上人所用蓑
美濃で三成方の襲撃を受けた教如は伊吹山方面から北近江に抜け湖をを舟で渡り京都に戻った。この脱出行には北近江の坊主・門徒が関わっておりこの蓑もその時に使用したものであろうか。

1602年徳川家康より京都に寺領を与えられ東本願寺が創立。
1614年10月5日示寂。その頃織田信長と戦った石山本願寺の地は再び戦が始まろうとしていました。

教如上人は父親の顕如ほど有名ではありませんが、こうして見ていくと中々波乱万丈の人生をおくっていたようで信長・秀吉・家康の天下人に翻弄されたひとりだったのが分かります。

1303  樂美術館 樂歴代名品展

2013-06-02 | 探訪
京都

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晴明神社

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千利休居士聚楽屋敷址

ここから歩いて数分の場所にあるのが

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樂美術館
樂歴代名品展
3月9日(土)~7月7日(日)

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二彩獅子 長次郎作
荒々しい姿の唐獅子像。後の楽茶碗の静的な造形とは逆の動的な形をしている。
「天正二年春 依命 長次良造之」と彫られているこの作品を作って後、長次郎は利休と出会うことにより侘び茶専用の茶碗を創造することとなる。
黒樂茶碗 銘 万代屋黒 長次郎作
長次郎作の茶碗の中では比較的早い時期に作られたと考えられているこの茶碗は、利休所持の後にその娘婿の万代屋宗安に渡った。
香炉釉井戸形茶碗 常慶作
白釉(香炉釉)を使って井戸茶碗を模した作品。
常慶は楽家二代目を継いだ人物。長次郎と共に楽焼茶碗を作った田中宗慶の次男であり、なぜ常慶が二代目になったのかは謎とされている。
黒樂茶碗 銘 黒木 常慶作
楽茶碗としては大振りの作品。さらに沓形にゆがんだ形からは織部の影響が感じられる。
利休そして長次郎が亡くなって後、楽焼も模索の時代を迎えたのであろう。それが白釉やゆがみ茶碗に表れている。
白樂茶碗 銘 冠雪 本阿弥光悦作
光悦の数少ない白楽茶碗。巧みな箆削りによって胴は切立つ岩壁のようでもある。
赤樂茶碗 銘 破れノンカウ 道入作
薄作りの茶碗。縦に入った箆目、濃い赤と焼けた黒が破綻寸前で踏み止まった作品。
二彩鶴首花入 道入作
緑釉と黄釉が美しい花入。まるで西洋画のようでノンコウさんのセンスを感じられる作品。

展示は楽家初代から当代(+次代)そして光悦まで展示してありました。
が、4代目以降はその時代の茶の湯の世界に歩調を合わせるかのように窮屈で定型化したものに感じられます。