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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2505 東本願寺 御影堂門楼上一般公開

2025-04-27 | 探訪
京都

東本願寺 御影堂門

「春の法要」に合わせて御影堂門楼上が一般公開されています。
御影堂門は明治44年(1911)建立された我が国最大級の二重門。

それでは上がります。
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高くないですか?

楼上より「お東さん広場」側

「真宗本廟」扁額
伏見宮貞愛親王による揮毫

楼上に安置された三尊像

欄間の十字斜材格子

楼上より御影堂と阿弥陀堂

次回も東本願寺、の飛地から

2503 東本願寺 「宮御殿」と「桜下亭」特別公開

2025-04-24 | 探訪
京都

東本願寺

「京の冬の旅」「宮御殿」と「桜下亭」特別公開です。

今回は「僧侶がご案内する特別拝観」に予約して行きました。

最初は宮御殿。
大宮御所から移築された建物だそうで、美しい大和絵の襖絵と畳の縁が紅色なのが雅な印象。

御影堂を借景とした池泉式庭園

次に桜下亭※撮影不可の為公式よりの引用
霞ヶ関別邸の一部を移したもので、三つの部屋に岐阜別院より移された円山応挙の襖絵がある。
更に奥にはこのツアーでしか入れない茶室がありました。
曲り木の床柱、繰りぬきの書院棚がある八畳の一室です。

最期は能舞台
紅白でadoが歌ったところだそうです。

白書院前の桜

2503 興聖寺 春の特別拝観とお茶席

2025-04-20 | 探訪
京都は堀川通寺之内

興聖寺
通称は「織部寺」と呼ばれています。

古田織部像

降り蹲踞
昭和時代に造られた。脇には織部燈籠も。

織部流お茶席
さて今回は、こちらで呈茶があるとの事でうかがいました。
「織部流」とありますが、織部流も色々な流派があるようでこちらは「織部流古織会」なのだそうです。

擇木寮
こちらでお茶席がありました。

内部の様子。吊釜です。


香炉や花入は織部焼。

鎧櫃・胡床点
織部が名護屋城にて武将を招き鎧櫃を台に、胡床に腰掛けて点茶をしたと伝わるそうです。

古田織部の家紋「丸に扇(地紙)」紋が施されている。

楯筏(胡床点)
こちらは矢楯を2つ並べ筏状に組んだ上で点茶をおこなうのだそう。野点を意識しているのだとか。

胡床と丸華台

お菓子です

お茶です。茶碗は黒織部です。

擇木寮からお庭を眺めます。

武家茶道をかなり意識されている内容でした。

2503 拾翠亭

2025-04-16 | 探訪
京都は京都御苑の一角

拾翠亭

五摂家の一つ九条家の屋敷の遺構で、築造時期は明らかではないが約200年ほど前の建築と考えられています。

蹲踞

それでは中へ

広間
十畳。七畳半の次の間が続く。


床柱は桜の皮付

広縁から九條池を眺める。

次は二階

二階広間
十一畳半

踏込床に、床脇には天袋が設けられている。

一階に戻ります

水屋

小間の茶道口と給仕口

三畳中板入の席

点前座


床柱は百日紅の曲がり木で床框は黒柿。

三畳中板入の席の外観

露地庭の四阿
屋根の上部にいるのはシーサー像。

数少ない貴族茶室の遺構。東博にある九条館も元はこちらにあったそうで元々の規模はどれだけだったのか想像してしまいます。

2503 光源院 特別公開

2025-04-13 | 探訪
京都

光源院
相国寺の塔頭寺院のひとつ。室町幕府13代将軍・足利義輝の菩提寺です。

「京都非公開文化財特別公開 」での公開です。

行者堂
神變大菩薩(役行者)像や弘法大師像、不動明王像が安置されています。

十二支の庭
画像は昨年(2024年)の「京の冬の旅」で撮影したもの。残念ながら今回は撮影不可でした。

呈茶席がありました。

足利家の家紋”二ツ引紋”が施された和三盆干菓子

抹茶です。
呈茶席には足利義輝の和歌軸、御判御教書の二軸が展示されていました。
また明治時代に光源院と合併された善應院からの寺宝である池田家家紋”揚羽蝶紋”入りの調度品も展示されていました。
善應院は池田輝政が母である善應院殿の香火所として創建した寺院なのだそう。


2503 隨心院 小野梅園・茶室

2025-04-09 | 探訪
京都は小野

隨心院
小野小町ゆかりの寺として知られる。

小野小町歌碑
小倉百人一首第九番「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」


表書院(手前)と本堂(奥)
本堂は 慶長4年(1599)の再建。

表書院と奥書院の古い障壁画がある部屋は撮禁でしたので、それ以外の部屋から

寺宝の展示

茶釜と風炉
江戸時代の作で、当時の隨心院御門跡が野点の際に使用していた茶道具。


能の間
襖絵「極彩色梅匂小町絵図」と花々との共演

庭園の心字池

表書院から奥書院を見る。
奥書院には狩野派による「舞楽図」「宮廷人物図」「賢聖障子絵」「竹虎図」が描かれている。

次は

名勝 小野梅園
3月8日(土)~3月23日(日)の間公開されている。

こちらでは期間限定で茶室での呈茶がありました。

茶室

内部は六畳

お菓子ははねず餅です。

梅です。まだまだ咲いておらず、これが一番くらいでした。


2503 芬陀院 茶室「図南亭」

2025-04-06 | 探訪
京都は東山

芬陀院
東福寺の塔頭のひとつ。画家の雪舟が作庭したという庭園があることから雪舟寺とも呼ばれる。

元亨年間(1321-1324年)に一條内経により定山祖禅を開山として創建された。
以後、今日までの摂関家の一家である一條家の菩提寺となる。

書院
宝暦の火災により焼失後に桃園天皇の皇后・恭礼門院の御所の一棟を下賜され移築したもの。

南庭「鶴亀の庭」
禅院式枯山水庭園で、一条兼良の所望により雪舟が作庭したと伝わる。

東庭
昭和14年(1939)に重森三玲により作庭された。
重森は荒廃していた南庭の復元もおこなっている。

茶室「図南亭」
後陽成天皇の第九皇子で茶関白といわれるほど茶道を愛した一条昭良(恵観)好みといわれる。
宝暦の火災により焼失したが、昭和44年(1969)恵観公三百年忌法要にて復元され、これを機に「恵観堂」と称する事になった。

茶室の扁額「図南」は石山丈山の書が元となっている。

内部は四畳半。入口は貴人口で恵観公の木像を安置している。

一条恵観公木像
鎌倉にある一条恵観山荘もおおらかな貴族好みの茶室ですが、こちらも千家流とは異なり閉塞感を抑えた四畳半です。

特にこの丸窓からの庭の眺めは素晴らしいですね。

露地
恵観ゆかりの勾玉の手水鉢と崩家形燈籠を配している。

一畳台目中板入の席
露地前にあります。

雪舟作庭と伝わる庭園は中国地方に多く見られますが、こちらの庭は時期的にそれらに先行するもののようです。
昭和になって復元されたものなので、元の様子がどれだけ残っているかは分かりませんが比べてみるのも一興かと。

2503 来迎院 茶室「含翆軒」

2025-04-02 | 探訪
京都は東山

来迎院
泉涌寺の塔頭のひとつで、「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助ゆかりの寺院です。

独鈷水
弘法大師が、独鈷という仏具で掘り当てられたという井戸。

客殿
大正9年(1920)の造営。

四畳半の間

八畳の間

床には大石内蔵助の肖像画(複製)が掛けてあります。

含翠庭
池泉回遊式

お庭を眺めながら一服

腰掛待合

伽藍石の蹲踞

茶室「含翆軒」
もとは大石内蔵助寄進の茶室とされ、内蔵助はここでお茶を楽しむと同時に、浪人となった同志たちを呼んで、討ち入りの密談をしたと伝えられています。
現在の茶室は大正14年(1925)に建てられたもの。

扁額の「含翠」は大石内蔵助の書。

内部は三畳台目(実際は丸畳一畳・台目畳二畳)

点前座
入隅に二重の釣棚がある。