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【図録録】4 黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界

過去の展覧会を図録で振り返る企画の第4弾。
今回は

黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界
福岡市博物館
開催年:2008年

黒田長政生誕440年記念展、とやや中途半端な時期の記念展。
黒田二十四騎と言えば、酒宴の席で福島正則から名槍「日本号」を呑み取った逸話で知られる母里太兵衛友信や、大坂の陣で高名な後藤又兵衛基次が有名ですが他はほとんど知らなかった(大河ドラマもまだ先だったので)。
しかし一大名とその家臣団でこれだけの武具・刀剣その他資料が揃っているのは中々無く。圧倒されたのを思い出します。

注目の展示は、
母里友信所用 黒漆塗桃形刳半月前立兜
鉢は桃形、錣は五段で白糸で威す。前立ては直径が70cmにも及ぶ巨大な刳半月形。
母里友信と二十四騎のひとり野口一成は同寸の黒と赤の立物を用いたが、これは主君・黒田長政の命によるもの。
伊丹親興所用 鉄錆地二枚胴具足
兜は桃形で、獅噛の前立が付く。吹返には伊丹家家紋「藤ノ丸ノ内加之字」が据えられる。
伊丹親興は摂津伊丹城主。細川・三好に味方するが、織田信長が足利義昭を奉じて上洛するとこれに下り、摂津三守護に任じられた。しかし信長と義昭の間が険悪になると、義昭側に付くことになる。
天正二年11月、信長方の荒木村重に伊丹城を攻められ落城。伊丹城は有岡城と改名し村重が城主となった。
親興はその後関ケ原の戦いで黒田長政の与力として参陣、この甲冑を着用して戦ったが戦死した。
桐山丹斎所用 六十二間星兜
金箔を押した瓢箪の頭立と蟹爪の脇立を持つ兜。
二十四騎のひとり桐山丹斎が、朝鮮在陣中の黒田長政の使者として肥前名護屋城へ赴いた際に、豊臣秀吉より拝領した。

 

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