その数、1036基。
鹿児島県知覧町にある石燈籠の数。
この知覧町は、昭和20年、特攻隊の基地が置かれた街。
そして、特攻隊として、帰らぬ人となった1036名。
その1036名の御霊のため、1036基の石燈籠が建てられた。
その街にある、「特攻平和会館」に俺は行った。
20歳前後の若者達の、遺影、遺書、遺品の数々。
特攻隊として、戦死した若者達の出身地は、全ての都道府県にまたがる。
観覧者の中には、その家族にあてた最後の手紙を前に、すすり泣いている人もいる。
帰りのバスを待つ俺は、晴れ渡った空を見上げて、想像する。
この空には、死ぬとわかっていて、飛んで行った戦闘機が、何機もいたんだろうなぁ。
20歳前後の若者達には、好きな人もいたんだろうなぁ。
鹿児島を後にし、残る県は、宮崎県のみとなりました。
屋久島にも行きたかったんだけど、時間が足りなくなってきたので、また次回にします。
これから宮崎県に向かいます。
日本47都道府県制覇まで、あと1県。
鹿児島県知覧町にある石燈籠の数。
この知覧町は、昭和20年、特攻隊の基地が置かれた街。
そして、特攻隊として、帰らぬ人となった1036名。
その1036名の御霊のため、1036基の石燈籠が建てられた。
その街にある、「特攻平和会館」に俺は行った。
20歳前後の若者達の、遺影、遺書、遺品の数々。
特攻隊として、戦死した若者達の出身地は、全ての都道府県にまたがる。
観覧者の中には、その家族にあてた最後の手紙を前に、すすり泣いている人もいる。
帰りのバスを待つ俺は、晴れ渡った空を見上げて、想像する。
この空には、死ぬとわかっていて、飛んで行った戦闘機が、何機もいたんだろうなぁ。
20歳前後の若者達には、好きな人もいたんだろうなぁ。
鹿児島を後にし、残る県は、宮崎県のみとなりました。
屋久島にも行きたかったんだけど、時間が足りなくなってきたので、また次回にします。
これから宮崎県に向かいます。
日本47都道府県制覇まで、あと1県。
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