臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(11月22日掲載・其のⅢ)

2010年11月28日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○  一瞬のたじろぎの後ムササビは闇の真中に身を投じたり  (大阪府) 灘本忠功

 昨年の八月末に亡くなった姉の婚家は田舎の曹洞宗寺院の隣りであったが、深夜になるとそのお寺の庭の樹齢五百年を超える杉の古木に「ムササビ」が訪れ、木から木へ飛翔する光景を視ることが出来た。
 で、私もある年の秋にそうした場面に立ち会ったことがあるのでよく解るのですが、本作は、「ムササビ」の視線が人間の視線と合った時の「ムササビ」の一挙一動を余すところ無く映し出した傑作であると思われる。
  〔返〕 一瞬のためらいののち魁皇は上手投げ打ち把瑠都を葬る   鳥羽省三    

○  遠き世は海なりしとう畑に採る蓮田の大き梨みずみずと重し  (蓮田市) 青木伸司

 下の句「蓮田の大き梨みずみずと重し」の字余りが惜しまれる。
 この場面は、「蓮田の大き梨みずみずし」として、字余りを回避された方が宜しかったのではないでしょうか?
  〔返〕 <蓮田梨>無銘の梨にして甘し歌詠み人はさくさくと噛む   鳥羽省三


○  背が伸びたリナちゃんと話す帰り道六年ずっとずっとこうして  (富山市) 松田梨子

 <松田梨子>さんと言えば、あの<出来過ぎ姉妹>のお姉さんの方であるが、相変わらずの大人顔負けの傑作である。
 上の句に「背が伸びたリナちゃんと話す帰り道」とあるが、入学当初はご自身と同じ程度であった「リナちゃん」の背丈が、いつの間にか自分より頭一つも伸びてしまい、そんな「りナちゃん」を、本作の作者の松田梨子さんは見上げるようにして話しながら、学校帰りの道を歩いているのでありましょう。
 下の句の「六年ずっとずっとこうして」という表現からは、「この『六年』の間にはいろいろなことが在ったが、自分と『リナちゃん』とはいつも仲良く、こうして話しながら学校帰りの道を歩いて来たのである」という、作者の感慨が読み取れるのである。
  〔返〕 リナちゃんに背丈で負けて悔しいが勉強だったら絶対負けぬ   鳥羽省三


○  吾が業の日誌は重し今月も癌に逝きたる死者の名ありて  (八戸市) 山村陽一

 本作の作者・山村陽一さんの「業」は葬儀屋さんである。
 「癌に逝きたる死者の名」に限らず、彼の業務「日誌」に記載されている人名の殆んどは「死者の名」なのである。
 したがって、「吾が業の日誌は重し」という本作の詠い出しも亦、「日誌」の記載内容と吊り合う程の重さであろうかと思われる。
  〔返〕 葬りし亡骸ほどの重さをば日々感じ居て汝が業重し   鳥羽省三


○  蕎麦六俵売れたと伝える友の声北の大地に農夫となりぬ  (三鷹市) 森 文弥

 「売れた」「蕎麦六俵」の売却代金は如何程のものでも無いでしょう。
 仮に一俵<一万円>としても、「六俵」で<六万円>である。
 それでも、「北の大地に農夫」となった「友の声」は、「私の作った『蕎麦』に、今年初めて買い手がついたんだよ。一俵当たり一万円で、締めて六万円に過ぎなかったのだが、それでも、こちらに来てから初めて手にした売却代金だから、私はとてもとても嬉しかったのだ」と、喜びに満ちたものであったのでありましょう。
  〔返〕 来年は作付面積十倍に所得も十倍目指して頑張れ   鳥羽省三


○  年寄りの仕事減りたりと嘆きつつ廊下の日溜りにマウス操る  (岡崎市) 服部俊介

 下の句に「廊下の日溜りにマウス操る」とあるので、作中人物の「仕事」は<情報処理関係>であることが予想されるが、その作業場が「廊下の日溜り」とあるからには、それから得られる賃金は知れたものでありましょう。
 上の句に、「年寄りの仕事減りたりと嘆きつつ」とあるのも道理である。
  〔返〕 陽の溜まる廊下の窓辺が作業場で得られる所得は煙草も吸えぬ   鳥羽省三


○  義父介護ひたすら務めし我が妻はひたすら眠る初七日の夜  (いわき市) 松崎高明

 一句目の頭の「義父」に<ちち>との振り仮名が施されているが、本作の場合は、無用と言うよりも、むしろ有害と言うべきでありましょうか。
 何故ならば、短歌の世界の悪しき習慣にしたがって<ちち>と読んでも二音、そのまま無理無く<ぎふ>と呼んでも二音で、韻律の上では何ら得る所が無いからである。
 それよりも何よりも、このままの表現では、「初七日の夜」を迎えた、今は亡き「義父」が、何方にとっての「義父」なのか判然としないのである。
 作者ご本人としては、このままの形でも、「亡き人は、作者自身にとっての<父>であり、作者の妻たる『我が妻』にとっては『義父』である、ということを鑑賞者たちが理解してくれるだろう」と期待して居られるでありましょう。
 だが、その責任を鑑賞者に押し付けるのは、作者の身勝手と言うよりも、表現の未熟さと言えましょう。
  〔返〕 舅たる父の介護に疲れ果て吾妻は眠る初七日の夜を   鳥羽省三
 

○  天保二年創業といふ薬店の看板朽ちて秋の長雨  (宇治市) 山本明子

 「天保二年創業」と言えば、作中の「薬店」は、「創業」以来<179年>になるのである。
 どんな<金看板>と言えども、179年もの長きの間、風雨に曝されれば「朽ちて」しまうでありましょう。
 したがって、作中の「薬店の看板」が「朽ち」た原因は、今年の「秋の長雨」にあると言うよりも、179年もの長きに亘って風雨に曝された結果と言うべきでありましょう。
 このままではいくら何でも、格別に長かったとも言えない、今年の「秋の長雨」が気の毒である。
  〔返〕 運悪く看板腐(くた)しの元凶とされてしまへり秋の長雨   鳥羽省三


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