[栗木京子選]
○ 病院の近くを走る路線バスつり皮空いても握り棒混む (高槻市) 上辻正七郎
「路線バス」の中のあの「棒」の存在と用途は知っていたが、「握り棒」という即物的かつ散文的な名称で呼ばれているとは知らなかった。
私は私なりに自分の年齢を自覚しているので、バスに乗車する場合はなるべくならば座席に腰掛けるようにしているが、それが叶わない時には、「つり皮」では無く「握り棒」の厄介になることにしている。
何故ならば、バスが急停車したような場合は「握り棒」の方が「つり皮」より安全だからである。
したがって、「病院の近くを走る路線バス」は「つり皮」が「空いて」いても「握り棒」が「混む」のは、ごく当然のことと思われる。
それにしても、「路線バス」の車中を題材にした歌に「握り棒」が登場したのは珍しい。
何よりも、本作の作者・上辻正七郎さんの着眼点の良さに注目したい。
〔返〕 病院に通へるバスは病院の送迎バスで料金無料 鳥羽省三
○ あら草は手の感触で引いてゆく日々の暮らしにどこか似ており (旭市) 服部恒子
逆から言えば、「日々の暮らし」は「あら草」を「引いてゆく」ように、「手の感触」を頼りにして営んで行かなければならない、ということになる。
<歌は読むもの、暮らしはしてみるもの>という感じである。
いいことを教えていただいた。
歌を詠む場合や歌を鑑賞する場合も、結局は同じことであろうと思う。
最初はあまり細かな点には拘らず、大まかなレイアウトを決めて詠む。
すると、その後は、庭の「あら草」が、それを「引いて」いる者の「手」に付いて来るように、自然と纏まった形になるのである。
〔返〕 家計簿も磁石も地図も不要なりこの手頼りに日々を過ごさん 鳥羽省三
○ イケメンの孫にバイオリン贈りたりこの子の未来まだ楽しめる (千葉市) 中田節子
一読すると、あまり出来の良くない息子夫婦への当て付けめいた内容の作品かと思われる。
しかし、よくよく考えて読むと、あまり出来の良くない息子夫婦の息子である「孫」を「イケメン」と呼び、その「イケメンの孫」に、高価な「バイオリン」を贈ろうと言うのだから、本作の作者・中田節子さんとその息子夫婦との仲は、それほど険悪化したものではないらしいし、その上、その「イケメンの孫」に寄せる期待度も、「この子の未来まだ楽しめる」と言うのだから、この「イケメンの孫」もそのうちに馬脚を現すこともあるだろうが、今のところは可愛がれるだけ可愛がっておこう、といった程度のものであり、決して全面的な「バーバ馬鹿」振りを発揮しているわけでは無いと思われるのである。
〔返〕 イケメンの孫の親父もイケメンで元を糾せば我の腹から 鳥羽省三
○ 子供手当もらえぬ我が家に三枚の投票所入場券届く (福岡市) 今橋和徳
その「入場券」を持って「投票所」に行き、「子供手当」支給に反対している政党の候補者に投票するのだろうか、とは思うが、その実は?
〔返〕 七人の息子娘は独立し今では孫が三十五人 鳥羽省三
○ 冷汗を拭ひつづけし先週のハンカチまとめアイロンかけぬ (八王子市) 皆川芳彦
先週は亭主の私が<ぎっくり腰>を起したり、私の田舎の境港から両親が訪ねて来たり、長女の愛子が、突然「幼稚園に行きたくない」と言い出したりして、妻の扶美江も「冷汗」を掻き続けだったのである。
〔返〕 露台にて洗濯物を取り入れる妻の扶美江の背丈の高さ 鳥羽省三
○ 栗の木は実となる花の鮮やかに盛りあがり来て厨まで匂ふ (幸手市) 新井佐和江
観察眼が細かいばかりでは無く、嗅覚まで利かしているが、必ずしも客観写生という感じの作品ではない。
〔返〕 栗の木は雌花盛り上げ咲き香り厨の窓に虻を誘ふ 鳥羽省三
○ 川風が音運び来る遠花火消灯過ぎし病床に聴く (久喜市) 深沢ふさ江
遥か昔、未だ中学二年の頃、私も「遠花火」の「音」を「病床」で聴いたことがあります。
未だ国民健康保険制度も確立していなかった頃のことですから、その「遠花火」の「音」が、私を病院のベットから何処かへ追い立てる為の「音」のように聴こえたものでした。
〔返〕 工場の煙と共に昼花火 中二の我は涙して聴く 鳥羽省三
○ 退院は沙羅のわかばに風清くじゃがいもの花白きこの日に (桜川市) 友常満里子
「沙羅のわかばに風清くじゃがいもの花白き」風景は、退院を予定していた「この日」の、病室の窓から見えた風景でしょうか。
それとも、退院して行く途中の道端の風景でしょうか。
いずれにしても、どんなに嬉しく、どんなに印象深かったことかと、しみじみと観賞させていただきました。
この作品と前後の作品とに、選者・栗木京子さんの配列の妙を感じました。
〔返〕 『沙羅の花咲く峠』とふ名画での主役・三船は偽医者なりき 鳥羽省三
○ あれこれと不安を問ふに若き医師はすべて老化と一刀両断 (ひたちなか市) 広田三喜男
本作に登場して「すべて老化と一刀両断」する「若き医師」は、言葉を知っていると言うべきでしょうか、知らないと言うべきでしょうか。
いずれにしても、その「若き医師」に命を預けた患者としての本作の作者・広田三喜男さんの「不安」と戸惑いが、実にリアルに感じられます。
〔返〕 あれこれと不安はあるが結局は一刀両断己が責任 鳥羽省三
あれこれと迷い悩むが人生で一刀両断出来はしないさ 々
○ 夏の朝昨日と何も違はねど恐竜柄のネクタイ選ぶ (瑞穂市) 渡部芳郎
いや、「昨日」と「何」か違ったことがあった筈である。
例えば、朝刊に「ハマコー逮捕」の記事が載っていたとか?
〔返〕 夏の夕昨日と少し気分変えバタフライにてひと泳ぎする 鳥羽省三
○ 病院の近くを走る路線バスつり皮空いても握り棒混む (高槻市) 上辻正七郎
「路線バス」の中のあの「棒」の存在と用途は知っていたが、「握り棒」という即物的かつ散文的な名称で呼ばれているとは知らなかった。
私は私なりに自分の年齢を自覚しているので、バスに乗車する場合はなるべくならば座席に腰掛けるようにしているが、それが叶わない時には、「つり皮」では無く「握り棒」の厄介になることにしている。
何故ならば、バスが急停車したような場合は「握り棒」の方が「つり皮」より安全だからである。
したがって、「病院の近くを走る路線バス」は「つり皮」が「空いて」いても「握り棒」が「混む」のは、ごく当然のことと思われる。
それにしても、「路線バス」の車中を題材にした歌に「握り棒」が登場したのは珍しい。
何よりも、本作の作者・上辻正七郎さんの着眼点の良さに注目したい。
〔返〕 病院に通へるバスは病院の送迎バスで料金無料 鳥羽省三
○ あら草は手の感触で引いてゆく日々の暮らしにどこか似ており (旭市) 服部恒子
逆から言えば、「日々の暮らし」は「あら草」を「引いてゆく」ように、「手の感触」を頼りにして営んで行かなければならない、ということになる。
<歌は読むもの、暮らしはしてみるもの>という感じである。
いいことを教えていただいた。
歌を詠む場合や歌を鑑賞する場合も、結局は同じことであろうと思う。
最初はあまり細かな点には拘らず、大まかなレイアウトを決めて詠む。
すると、その後は、庭の「あら草」が、それを「引いて」いる者の「手」に付いて来るように、自然と纏まった形になるのである。
〔返〕 家計簿も磁石も地図も不要なりこの手頼りに日々を過ごさん 鳥羽省三
○ イケメンの孫にバイオリン贈りたりこの子の未来まだ楽しめる (千葉市) 中田節子
一読すると、あまり出来の良くない息子夫婦への当て付けめいた内容の作品かと思われる。
しかし、よくよく考えて読むと、あまり出来の良くない息子夫婦の息子である「孫」を「イケメン」と呼び、その「イケメンの孫」に、高価な「バイオリン」を贈ろうと言うのだから、本作の作者・中田節子さんとその息子夫婦との仲は、それほど険悪化したものではないらしいし、その上、その「イケメンの孫」に寄せる期待度も、「この子の未来まだ楽しめる」と言うのだから、この「イケメンの孫」もそのうちに馬脚を現すこともあるだろうが、今のところは可愛がれるだけ可愛がっておこう、といった程度のものであり、決して全面的な「バーバ馬鹿」振りを発揮しているわけでは無いと思われるのである。
〔返〕 イケメンの孫の親父もイケメンで元を糾せば我の腹から 鳥羽省三
○ 子供手当もらえぬ我が家に三枚の投票所入場券届く (福岡市) 今橋和徳
その「入場券」を持って「投票所」に行き、「子供手当」支給に反対している政党の候補者に投票するのだろうか、とは思うが、その実は?
〔返〕 七人の息子娘は独立し今では孫が三十五人 鳥羽省三
○ 冷汗を拭ひつづけし先週のハンカチまとめアイロンかけぬ (八王子市) 皆川芳彦
先週は亭主の私が<ぎっくり腰>を起したり、私の田舎の境港から両親が訪ねて来たり、長女の愛子が、突然「幼稚園に行きたくない」と言い出したりして、妻の扶美江も「冷汗」を掻き続けだったのである。
〔返〕 露台にて洗濯物を取り入れる妻の扶美江の背丈の高さ 鳥羽省三
○ 栗の木は実となる花の鮮やかに盛りあがり来て厨まで匂ふ (幸手市) 新井佐和江
観察眼が細かいばかりでは無く、嗅覚まで利かしているが、必ずしも客観写生という感じの作品ではない。
〔返〕 栗の木は雌花盛り上げ咲き香り厨の窓に虻を誘ふ 鳥羽省三
○ 川風が音運び来る遠花火消灯過ぎし病床に聴く (久喜市) 深沢ふさ江
遥か昔、未だ中学二年の頃、私も「遠花火」の「音」を「病床」で聴いたことがあります。
未だ国民健康保険制度も確立していなかった頃のことですから、その「遠花火」の「音」が、私を病院のベットから何処かへ追い立てる為の「音」のように聴こえたものでした。
〔返〕 工場の煙と共に昼花火 中二の我は涙して聴く 鳥羽省三
○ 退院は沙羅のわかばに風清くじゃがいもの花白きこの日に (桜川市) 友常満里子
「沙羅のわかばに風清くじゃがいもの花白き」風景は、退院を予定していた「この日」の、病室の窓から見えた風景でしょうか。
それとも、退院して行く途中の道端の風景でしょうか。
いずれにしても、どんなに嬉しく、どんなに印象深かったことかと、しみじみと観賞させていただきました。
この作品と前後の作品とに、選者・栗木京子さんの配列の妙を感じました。
〔返〕 『沙羅の花咲く峠』とふ名画での主役・三船は偽医者なりき 鳥羽省三
○ あれこれと不安を問ふに若き医師はすべて老化と一刀両断 (ひたちなか市) 広田三喜男
本作に登場して「すべて老化と一刀両断」する「若き医師」は、言葉を知っていると言うべきでしょうか、知らないと言うべきでしょうか。
いずれにしても、その「若き医師」に命を預けた患者としての本作の作者・広田三喜男さんの「不安」と戸惑いが、実にリアルに感じられます。
〔返〕 あれこれと不安はあるが結局は一刀両断己が責任 鳥羽省三
あれこれと迷い悩むが人生で一刀両断出来はしないさ 々
○ 夏の朝昨日と何も違はねど恐竜柄のネクタイ選ぶ (瑞穂市) 渡部芳郎
いや、「昨日」と「何」か違ったことがあった筈である。
例えば、朝刊に「ハマコー逮捕」の記事が載っていたとか?
〔返〕 夏の夕昨日と少し気分変えバタフライにてひと泳ぎする 鳥羽省三