臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(7)

2010年02月23日 | 今週の朝日歌壇から
○ ニホンゴに箸の持ち方、文化など囚徒に教え<草の根外交>  (アメリカ) 郷 隼人

 今週は、カリフォルニァの刑務所に服役中の歌人・郷隼人さんの作品が、高野・馬場・永田の三氏によって選ばれている。最初は高野公彦選。
 鹿児島生まれの一青年が渡米して、彼の地で結婚して一女を得た後、何かの事情で殺人を犯し、終身刑囚としてカリフォルニァで獄窓生活を送るようになってからもう二十五年余にもなるという。
 郷隼人さんは渡米以前から歌心を持っていただろうとは思われるが、入獄当初は自分自身の運命を悔やんだり呪ったりなどして、自分が短歌を詠んで朝日歌壇に投稿するなどとは、思いもしなかったことでありましょう。
 しかし、幾年かのそうした葛藤を経た後、それなりの安心境に入り、自分自身の過酷な運命を受け入れ、故郷・鹿児島に因んで、郷隼人というペンネームを得て朝日歌壇への投稿を開始するや今は亡き島田修二氏らの目に留まって、ほとんど毎週のように入選を果たすようになり、『窓光』『LONESOME隼人』の二冊の歌集を上梓するまでになった。
 その彼が始めた「<草の根外交>」が、「ニホンゴに箸の持ち方」や「文化など」を「囚徒」に教えることだと言う。
 作中の語句、「ニホンゴ」や「囚徒」及び括弧付きの「<草の根>」などには、作者・郷隼人さんご自身の、余人には窺い知れない思いが託されているのでありましょう。
 「頑なに心の中で抗えど寂しさという敵(エナミー)手強し」という作品は、今から十数年前の「朝日歌壇」を飾り、多くの人々に感動を与えた作品であるが、歌人・郷隼人さんは、今でもまだ、「寂しさという」「手強い」「敵(エナミー)」と「頑なに心の中で」戦って居られるのに違いない。
  〔返〕 獄窓に届けとばかり叩くキィー 一行記し二度涙する   鳥羽省三

 
○ 囚徒らにJAPANについて解説す孤軍奮闘草の根外交  (アメリカ) 郷 隼人

 「囚徒らにJAPANについて解説す」という、こちらの「草の根外交」は、括弧付きでは無い。
 その意図について、私は、カリフォルニアの獄舎で「孤軍奮闘」中の作者にお伺いしたいところではあるが、何分、彼の地は遠く、牢獄の扉は堅いから、その望みも叶わないことだろう。
  〔返〕 孤軍もて奮闘するは寂しくてしばし故郷の空思ふらん   鳥羽省三


○ 六千枚のトーストを焼くキッチンより餅焼くような匂い漂う  (アメリカ) 郷 隼人

 短歌作品の中に、「数百、数千、数万」などの巨大な数字を用いる者が多いが、その大半は、ただ単に「数が多い」ということを強調するために用いているだけであって、用いられているその数字には、厳密な意味での具体性が無い。
 しかし、本作の場合は、獄舎に束縛されている人々の概数から逆算しての具体的な表現と思われ、作者が入獄中の刑務所の巨大さが感じられも、併せて、一人一人の囚人が背負わされている罪状の重さと多様さが感じられるのである。
 「餅焼くような匂い漂う」という、四、五句の表現には、故郷の正月を懐かしむ作者の切ない思いが託されているのであろう。
 本作は、一日にわずか二度か三度の楽しみである食事時を今か今かと待ち焦がれている、囚人としての作者の、味覚や臭覚、更には触覚、視覚、聴覚に至るまでの五感の全てを駆使して感得し、表現したものであろうと思われる。   
  〔返〕 収容者総数約二千されば一人に三枚づつのトースト   鳥羽省三


○ 0歳は食べられぬから節分の豆を一粒ママに足します  (東京都) 有田里絵

 作者の有田里絵さんご自身が、「節分の豆を一粒」余計に貰える「ママ」なのであり、本作は、目前に居て、何事の理解も不可能なはずの我が子「0歳」に向かって、メノハリの利いた口調と大袈裟な動作とで以って、ユーモラスに言い聞かせているのであろう。
 本作に示されている世界は、<子育ての黄金時代>の一コマであろうが、こうした黄金時代は、あっと言う間に過ぎて行き、やがて里絵ママは、この子を持ったことを激しく悔やむことになるがも知れないのである。
 でも、それも一時的な現象であって、子供は親にとっては何物にも替え難い宝物なのである。
 私は昨日・二月二十二日の夜、妻に付き合って、往年のマラソンランナー・松野明美さんの子育てを記録したドキューメント番組を視てしまった。
 私の平常の感覚からすれば、松野明美さんのような激情型かつ劇場型で饒舌な女性は、この地上で最も苦手なタイプの女性であり、時には「この女、かなりイカレているのじゃないだろうか?」と思うことも再々であった。
 しかし、昨日のドキューメントを視た結果、障害児を我が子として持った母親の大変さを改めて強く認識し、松野明美さんに対する認識も少しく改めた。
 本作の作者もまた、あの番組を視たであろうか。
  〔返〕 災難を免れられる節分の豆を横取りママはずるいぞ   鳥羽省三


○ 「国母」とはゆかしき駅名身延線桃の花咲く亡き妻の里  (千葉市) 田口英三

 「国母」とは<天皇の母>の意。
 その「国母」という駅名が、「身延線」の終点・甲府駅の五つ手前に確かに在る。
 その国母駅を下車して辿る、「桃の花咲く」美しき土地が「亡き妻の里」だと、本作の作者の田口英三さんは詠うのである。
 <山が在っても山梨県>の、桃の花咲く里で産声を上げた一人の女性が、成長して都会に出て行き、一人の歌好きの男性と出会う。
 しかし、その幸福も束の間、やがてその女性は命を燃え尽くしてしまって、彼の男性を悲しみのどん底に突き落としてしまう。
 それから幾年経ったかは分からないが、平成二十二年二月、海を越えたカナダのバンクーバー市で行われた冬季オリンピック大会のスキーボード・ハーフパイプ競技の日本代表選手として選ばれた一選手の、選手村に入場する際の服装の乱れが物議を醸し、一時は、その選手が出場辞退寸前にまで追い込まれる。
 その話題の選手の姓が「国母」。
 奇しくも、「桃の花咲く」「亡き妻の里」に至る駅の名前と同じであった。
 「『国母』とはゆかしき駅名身延線桃の花咲く亡き妻の里」。
 それにしても、本作の作者は無類の歌詠み上手である。
 亡き妻への思慕の情を伝えるのに、「桃の花咲く」彼女の故郷の風景を持ち出し、あまつさえ、昨今話題の若者の服装の乱れに関するマスコミの話題までをも取り込むのである。
 このレベルの名人上手の手に掛かったら、山が在っても<山梨県>にされ、海が無く、波が立たないのに<波高島>にさせてしまうこと請け合いである。 
  〔返〕 海も無く波も無いのに波高島(はだかじま)裸なつかし下部(しもべ)の宿で   鳥羽省三
 うそ。うそ。
 私は身延山からの帰りの下部温泉の宿で、外国女性の裸踊りにうつつを抜かしたことなどはありませんよ。
 この一首は、私のかつての同僚の小清水先生の実体験から取材したものなんですよ。


○ 冬を生きる小鳥の嘴か金柑に小さき穴あり一つに三つ四つ  (埼玉県) 堀口幸夫

 「一つに三つ四つ」とは、一つの金柑に三つか四つの穴が空いているということである。
 この表現の素晴らしさは、ただ単に、数字の配列の巧みさのみならず、実景をありのままに映し得ていることである。
  〔返〕 冬を凌ぐ熊か猿かの智恵なるや巌の空ろに山栗いっぱい   鳥羽省三

  
○ 補聴器を外したままで曖昧な世界にいる人時にほほえむ  (三島市) 渕野里子

 耳の不自由な方が、何かの都合で補聴器をつけないままに外出などをしなければならない時の不安さは、いかばかりでありましょうか?
 其処は将に、何もかもが「曖昧な世界」に他ならない。
 その、<何もかもが「曖昧な世界」>に居なければならない、という不安が、耳が不自由であるにも関わらず、補聴器を身につけないで外出した人の顔に、微笑みを作らせるのである。
  〔返〕 時に笑み時に不安を浮かべつつ白杖の人駅舎を歩む   鳥羽省三


○ ブレーキを踏むタイミングが少しだけ遅い気がしてわたし疲れる  (春日井市) 田中絢子

 太平洋を隔てた彼岸の国で、史上空前のリコール騒動を引き起こしてにっちもさっちも行かなくなった某自動車会社の御曹司社長が、彼岸と同じような問題が生じていると訴え出た此岸の消費者に対する対策を巡って行われた記者会見で、「彼岸の場合とと異なって、此岸の場合は、機械構造的には何ら問題点は見当たらないのであるが、もしあるとすれば、運転する人のブレーキを踏んで自動車を制動するということに対する感覚の問題でしょう。踏み方が弱過ぎるとか、遅過ぎるとか」といったようなニュアンスの言葉を発して物議を醸している。
 本作の作者もまた、彼の御曹司社長の問題発言に、少なからぬ疑問を感じている自動車運転者の一人でありましょうか?
 「ブレーキを踏むタイミングが少しだけ遅い気がしてわたし疲れる」。
 この一首は、極めて婉曲な表現ではあるが、彼の御曹司社長の発言に対する、痛烈な批判である。
 今後、本作の作者のように、「ブレーキを踏むタイミングが少しだけ遅い気がしてわたし疲れる」と思う運転者が続出する可能性があり、それが現実となったら、自動車の安全基準は勿論、道路交通法、自動車運転免許取得試験制度など、自動車関連及び道路交通関連の法律や条令の大幅な改正を行う必要が生じるのみならず、陸上交通手段としての自動車の存在そのものにも大きく関わって来るに違いない。
  〔返〕 アクセルはブレーキより先に作動する車とは先ずスピードだから   鳥羽省三


○ 昇降機は夜の高みより降り来たり他界のけはひをふはり吐き出す  (生駒市) 辻岡瑛


 夜間に高層住宅の一階などでエレベータを待っている時、上階から下降して来た無人のエレベーターが自分たちの待っている階でぴたりと止まって、入り口の扉が音も立てずに開くことがあるが、そんな時は、そのエレベーターの中から、この世ならぬ異界の生物か何かが降りて来たような感覚に捉われて、恐怖感を覚える。
 本作の作者もまた、私と同じような経験も持つ霊能者でありましょうか?
  〔返〕 下界からふわりとビルが浮いて来てバルーン飛行の人驚かす   鳥羽省三 


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