例に依って例の如く、退屈任せに古雑誌を飛ばし読みしていたのでありますが、本日は、短歌総合誌「(角川)短歌」の1014年11月号の誌上で、大凡、短歌に関わる者としては決して見逃す事が出来ないような記事に出逢いましたので、件の記事に関連して、一言二言、私自身の老いの繰り言を述べさせていただきます。
同誌は、「第六十回・角川短歌賞」の入選者発表号であり、入選者や次席者などの所属結社や氏名や当該作品が掲載されているのであるが、それらの記事と共に、その選考に当たった選者の方々に拠る「選考座談会」の記事もされている。
その選考座談会に於いて、「短歌人」の小池光氏、「まひる野」の島田修三氏、「かりん」の米川千嘉子氏、「未来」の東直子氏といった、現代歌壇のお歴々とも思われる選者の方々が、その道に永年携わって来た方々、即ち、プロの歌人とは思われないような内容の、お粗末なご発言をなさっていらっしゃるのである。
それと言うのは、当概年度の予選通過作品・三十二篇の中に選ばれ、前掲の選者四名の中の、島田修三氏及び東直子氏から候補作の一つとして推薦された作品、結社誌「未来」所属の若手歌人・山階基さん(二十二歳)の連作五十首「寒い冬」の中の二十三首目の「振り返らんことも増えたさ人波に知つた匂ひがまたひとつあり」に就いての、四選者の方々の発言内容である。
私は本日、本文に於いて、それら四名のプロ歌人の方々の発言内容が、「如何に常識外れのものであったか」と、〈悲憤慷慨、慨嘆の意〉を述べさせていただく所存でありますが、その目的を果たすためには、当該記事の当該箇所を引用した上で論旨を展開する必要があります。
就きましては、掲載誌「(角川)短歌」の版元及び、前掲の四名の選者の方々には、大変失礼ではありますが、以下、同誌から関連箇所を引用させていただきます。
米川 (前略)二十三首目〈振り返らんことも増えたさ人波に知つた匂ひがまたひとつあり〉の「振り返らんこと」も引っかかる。
島田 「振り返らん」の「ん」って何なの?
米川 分からないです。
島田 婉曲か希望だよね。「振り返るようなことも増えた」、あるいは「振り返りたいことも増えた」のか。
米川 七首目〈冷え込みにひたしたぎこちない素手をひらいて両頬をつつまれる〉の「冷え込みにひたした」も微妙に引っかかる。
島田 この人の持っているある違和感の表明がこのように歪むんだろうなと僕なんかとる。掴みどころがないけど、この人なりの最大の自己表出をしているような気がする。
小池 こういうタッチで歌を作るなら新仮名だと思う。旧仮名の部分がすごく不自然でその部分だけぴょんぴょん飛んでくる。
島田 かっこいいらしいんだな、旧仮名が。
東 「振り返らん」みたいな文語っぽいものを入れようとしたんですね。
島田 「振り返らん」なんて、すごい変な言い方ですよ。「振り返りたい」のか、「振り返るような」なんて婉曲で言うわけないしね。
東 もしかしてこれ、「振り返らないこと」じゃないですか。話し言葉では、「そんなもん振り返らんよ」と言う。
島田 「ん」って意思だよ。「む」だから。「振り返ろう」と。
東 韻律については、トラディショナルな短歌的な流麗な韻律は避けたいという意思があるんじゃないですか。四十六首目〈ごく細い棒を差し込む労力のリセット機能は日常の隅〉、普通だったら「労力」というごつごつした散文的な言葉は入れない。
島田 「振り返らん」は口語か。四十五首目〈よくわからんまま持たされてひきずってまだ破れない丈夫な袋〉、「よくわからん」と言っている。これと同じなんだ。「振り返らない」と言ってるんだ。でもそうとれないよな。表記では。
(以下、省略)
本ブログの愛読者の方々に於かれましては、今更、私ごとき若輩が講釈を垂れるまでもなく、既にご存じの事でありましょうが、件の山階基さん作中の「振り返らん」の「ん」の正体は、〈口語の打ち消しの助動詞「む」の連体形「む」が転化したもの〉であり、我が国有数の万葉学者であり、結社誌「まひる野」のご重鎮であり、愛知淑徳大学の学長でもあられます島田修三氏が、この一連の喜劇的な対話の結論としてお述べになっているが如く、「振り返らん」の意は「振り返らない」である。
しかしながら、この程度の文法知識は、出来の良くない中学生や高校生でさえも、日常生活で取得した経験則から取得している、基本的な知識なのでありましょう。
従って、民放テレビのくだらないお笑い番組のネタにも値しない、この一連の珍妙な対話の元凶が何方かと特定して申すならば、それは、彼の愛知淑徳大学の学長殿でありましょう。
だが、他のご三方に於かれましたも、「その責任は私にはありません」などと、大口を空けて言われない事は、前掲の引用部分を詳細にお読みになられますと、歴然として証明される事なのでありましょう。
我が国を代表する国文学者でありながら、〈口語の打ち消しの助動詞「む」の連体形の「む」が転化した「ん」〉の存在に気付かなかった島田修三氏の文法知識のお粗末さは、大凡、プロ歌人や万葉学者を名乗るには値しませんが、彼の〈一読三嘆の放言〉に適切なアドバイスも出来ずに、彼・島田修三先生に無駄な論の展開を許した、小池・米川・東のお三方も、あまりと言えばあまりにも無気力な〈選者振り〉ではありませんか!
それにしても、「『振り返らん』なんて、すごい変な言い方ですよ」なんて言い方は、国文学者の言い方とは思えないような〈すごく変な言い方〉ではありませんか!
同誌は、「第六十回・角川短歌賞」の入選者発表号であり、入選者や次席者などの所属結社や氏名や当該作品が掲載されているのであるが、それらの記事と共に、その選考に当たった選者の方々に拠る「選考座談会」の記事もされている。
その選考座談会に於いて、「短歌人」の小池光氏、「まひる野」の島田修三氏、「かりん」の米川千嘉子氏、「未来」の東直子氏といった、現代歌壇のお歴々とも思われる選者の方々が、その道に永年携わって来た方々、即ち、プロの歌人とは思われないような内容の、お粗末なご発言をなさっていらっしゃるのである。
それと言うのは、当概年度の予選通過作品・三十二篇の中に選ばれ、前掲の選者四名の中の、島田修三氏及び東直子氏から候補作の一つとして推薦された作品、結社誌「未来」所属の若手歌人・山階基さん(二十二歳)の連作五十首「寒い冬」の中の二十三首目の「振り返らんことも増えたさ人波に知つた匂ひがまたひとつあり」に就いての、四選者の方々の発言内容である。
私は本日、本文に於いて、それら四名のプロ歌人の方々の発言内容が、「如何に常識外れのものであったか」と、〈悲憤慷慨、慨嘆の意〉を述べさせていただく所存でありますが、その目的を果たすためには、当該記事の当該箇所を引用した上で論旨を展開する必要があります。
就きましては、掲載誌「(角川)短歌」の版元及び、前掲の四名の選者の方々には、大変失礼ではありますが、以下、同誌から関連箇所を引用させていただきます。
米川 (前略)二十三首目〈振り返らんことも増えたさ人波に知つた匂ひがまたひとつあり〉の「振り返らんこと」も引っかかる。
島田 「振り返らん」の「ん」って何なの?
米川 分からないです。
島田 婉曲か希望だよね。「振り返るようなことも増えた」、あるいは「振り返りたいことも増えた」のか。
米川 七首目〈冷え込みにひたしたぎこちない素手をひらいて両頬をつつまれる〉の「冷え込みにひたした」も微妙に引っかかる。
島田 この人の持っているある違和感の表明がこのように歪むんだろうなと僕なんかとる。掴みどころがないけど、この人なりの最大の自己表出をしているような気がする。
小池 こういうタッチで歌を作るなら新仮名だと思う。旧仮名の部分がすごく不自然でその部分だけぴょんぴょん飛んでくる。
島田 かっこいいらしいんだな、旧仮名が。
東 「振り返らん」みたいな文語っぽいものを入れようとしたんですね。
島田 「振り返らん」なんて、すごい変な言い方ですよ。「振り返りたい」のか、「振り返るような」なんて婉曲で言うわけないしね。
東 もしかしてこれ、「振り返らないこと」じゃないですか。話し言葉では、「そんなもん振り返らんよ」と言う。
島田 「ん」って意思だよ。「む」だから。「振り返ろう」と。
東 韻律については、トラディショナルな短歌的な流麗な韻律は避けたいという意思があるんじゃないですか。四十六首目〈ごく細い棒を差し込む労力のリセット機能は日常の隅〉、普通だったら「労力」というごつごつした散文的な言葉は入れない。
島田 「振り返らん」は口語か。四十五首目〈よくわからんまま持たされてひきずってまだ破れない丈夫な袋〉、「よくわからん」と言っている。これと同じなんだ。「振り返らない」と言ってるんだ。でもそうとれないよな。表記では。
(以下、省略)
本ブログの愛読者の方々に於かれましては、今更、私ごとき若輩が講釈を垂れるまでもなく、既にご存じの事でありましょうが、件の山階基さん作中の「振り返らん」の「ん」の正体は、〈口語の打ち消しの助動詞「む」の連体形「む」が転化したもの〉であり、我が国有数の万葉学者であり、結社誌「まひる野」のご重鎮であり、愛知淑徳大学の学長でもあられます島田修三氏が、この一連の喜劇的な対話の結論としてお述べになっているが如く、「振り返らん」の意は「振り返らない」である。
しかしながら、この程度の文法知識は、出来の良くない中学生や高校生でさえも、日常生活で取得した経験則から取得している、基本的な知識なのでありましょう。
従って、民放テレビのくだらないお笑い番組のネタにも値しない、この一連の珍妙な対話の元凶が何方かと特定して申すならば、それは、彼の愛知淑徳大学の学長殿でありましょう。
だが、他のご三方に於かれましたも、「その責任は私にはありません」などと、大口を空けて言われない事は、前掲の引用部分を詳細にお読みになられますと、歴然として証明される事なのでありましょう。
我が国を代表する国文学者でありながら、〈口語の打ち消しの助動詞「む」の連体形の「む」が転化した「ん」〉の存在に気付かなかった島田修三氏の文法知識のお粗末さは、大凡、プロ歌人や万葉学者を名乗るには値しませんが、彼の〈一読三嘆の放言〉に適切なアドバイスも出来ずに、彼・島田修三先生に無駄な論の展開を許した、小池・米川・東のお三方も、あまりと言えばあまりにも無気力な〈選者振り〉ではありませんか!
それにしても、「『振り返らん』なんて、すごい変な言い方ですよ」なんて言い方は、国文学者の言い方とは思えないような〈すごく変な言い方〉ではありませんか!