臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

日暦(11月8日)

2016年11月08日 | 我が歌ども
○  華麗なる羽を背に負ふ小鳥ちやん声を張り上げ「大地讃頌」
 
○  今日からは〈陰の支配者〉チューバ吹き女だてらに啖呵を切つて

○  玄関をそつと出て行くキャバクラへ寝たふりしてるジゴロの為に

○  抜けた乳歯を大屋根に放り投げたら青い小鳥が咥へて行つた

○  安田家の飼ひ犬クロは幸せだ、聞こえる声が「ごほうび」ばかりで

○  池の面に浮かべた亀が逃げて行く似非浦島の企みを知り

○  桃色の鰾を口から吹き出せるオニオコゼこそ鰭のひろもの

○  愛といふ見えない縄に自縛され低賃金で働く介護士

○  石舞台一辺50平方余の大方墳蘇我馬子の墓所とも謂ふ
 


 

今週の「朝日歌壇」から(11月7日掲載分・其のⅡ)北方四島以南、本日堂々特出し大公開!乞う、ご期待!

2016年11月08日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○ コンクールきれいな羽を持つ小鳥さえずっている気分で歌う  (富山市)松田わこ

 松田わこちゃんったら、またまたいきなしに「コンクール」という名詞を一首の初っ端に置いたりして、作品全体の〈見出し〉にするとか、〈総タイトル〉にするとかといったような安易な手法で短歌を詠んでいるのである!
 こんな手馴れた手法ばっかり使っていると、あなたの短歌はこれ以上進歩しませんから、もう少し工夫をしなければなりません。
 ところで、この一首の意は「今日の私は、クラス対抗の合唱『コンクール』の舞台に直面しています。この舞台で、私はまるで『きれいな羽』を持ってる可愛い『小鳥』が『さえずっている』ような『気分』で一所懸命に『歌』っているのです」といったところでありましょうか?
 それにしても、極めて安易な気分で詠まれた一首であり、それに第一に、作者自身が自らを「きれいな羽を持つ小鳥」に準えるなんて、松田わこさんは、あまりにも世間の人々に甘えていませんか!
 [反歌] 華麗なる羽を背に負ふ小鳥ちやん声を張り上げ「大地讃頌」  
 

○ 異界への入口なるや石舞台はしゃぐ子供ら吸い込まれてゆく  (高槻市)藤本恵理子

 「石舞台」、即ち「石舞台古墳は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳」であり、「国の特別史跡に指定されてい」て、「元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出してい」て、「埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている」とのことであり、平成の世の現在は、マウント富士と並んで「我が国有数のパワースポット」とされていて、連日多くの観光客が訪れているのである。
 と、言うことになりますと、作中の「異界への入口なるや」とは、本作の作者・藤本恵理子さんが、「石舞台の石舞台たる所以」を十分に知って居ての叙述でありましょう。
 それにしても、彼の「石舞台」の奥行きは僅かに8メートル足らずである。  
 それなのにも関わらず「異界への入口なるや」と仰り、「はしゃぐ子供ら吸い込まれてゆく」とまで仰るとは、少々大袈裟過ぎはしませんか?
 [反歌] 石舞台 一辺50平方余の大方墳蘇我馬子の墓所とも謂ふ  


○ 愛といふ曖昧なものふつ飛びぬ介護のひとり抱えてみれば  (武蔵野市)三井一夫

 少々乱暴で失礼な言い方をさせていただきますが、昨今の「介護」施設の男性職員の方々の多くは、フアッションモデル紛いの痩身細腰の若い男性とお見受け致します。
 と、言うことになりますと、その「介護」対象者が男性であれ女性であれ、「ひとり」の「介護」対象者を彼が「抱えてみれば」、そのあまりの重さに耐えかねて「愛といふ曖昧なもの」などは、一瞬にして「ふつ飛」ぶのは当たり前のことではありませんか!
 斯くして、これからの介護施設の職員は、優しさと豪腕とを兼ね備えたスーパーマンのような人間でなければ務まりません。
 [反歌] 愛といふ見えない縄に自縛され低賃金で働く介護士    


○ 深い深い底よりあがるオニオコゼ口に吹きだす桃色の鰾  (東京都)野上 卓

 東京都にお住まいの〈釣りキチ戯作者〉こと、本作の作者・野上卓さんは、またぞろ、例のゴムボートとやらを物置小屋の隅から引きずり出して来てマイカーに積み込み、東京湾沿いの何処かの港まで運んで行って海水に浮かべて、あろうことか「オニオコゼ」などという、奇っ怪な姿をしていながらも、煮魚にしても、活き造りにしても、唐揚げにしても、椀種にしても美味しい魚を釣ろうとしたのでありましょうか!
 当日、たまたま運良く一匹だけ釣れた「オニオコゼ」が、「口」から「桃色の鰾」を「吹きだ」している様子を見て、いち早く発想転換して、これを題材にして一首を為し、首尾良く朝日歌壇の入選者席に潜り込むことが出来たのは、さすがに戯作者ではありませんか!
 この際、評者の私としては、大いに賞賛しなければなりません!
 [反歌] 桃色の鰾を口から吹き出せるオニオコゼこそ鰭のひろもの    


○ 池の面に助けた亀を浮かべれば澄む水深く身をゆすり行く  (東かがわ市)桑島正樹

 大方、讃州引田町の悪戯小僧どもが近所の公園にでも捨てた亀を拾って来て、自宅付近の溜池にでも浮かべたのでありましょうが、「助けた亀」とは、東かがわ市にお住まいの桑島正樹さんは、恰も彼の浦島太郎みたいではありませんか!
 なにしろ、香川県には、あの弘法大師様のお造りになった満濃池を肇とした、大小様々の灌漑用の溜池が随所に在りますから、拾って来た亀を深べる場所には事欠かなかったのでありましょう。
 それにしても、「池の面に助けた亀を浮かべれば」、その亀が「澄む水深く身をゆすり行」ってしまって、本当に本当に良かったですね!東かがわ市にお住まいの桑島正樹さんよ!
 [反歌] 池の面に浮かべた亀が逃げて行く似非浦島の企みを知り   


○ お隣もどうやら犬を飼ったのか待てお座り伏せの声がする  (川崎市)小島 敦

 どうやら、お隣りでは飼い犬を冷遇しているらしい!
 だって、川崎市にお住まいの小島敦さんちに聴こえて来る声は、「待て」と「お座り」と「伏せ」だけで、「ごほうび、ごほうび」だとか「ちょうだい、ちょうだい」だとか「ごちそうさま」だとかが無いからである。
 [反歌] 安田家の飼ひ犬クロは幸せだ、聞こえる声が「ごほうび」ばかりで    


○ はがぬけてかけっこしたらすきまからあきのかぜがはいってきたよ  (奈良市)山ぞえ葵

 「山ぞえ葵」と、氏名の一部をひらがなで書いたのは、作者が小学生である事を示そうとしたのでありましょうが、殊更なる一部分のひらがな書きは必要ありません。
 [反歌] 抜けた乳歯を大屋根に放り投げたら白い烏が咥へて行つた


○ 今日からはパートリーダー音域も広げチューバでオケ支えよう  (横浜市)高橋理沙子

 夏の高校野球の県大会予選の際は、大勢の応援団と共に吹奏楽部員を球場に駆り出されるのであるが、その中でも取り分け苦労の多いのは、「チューバ」担当の女性部員だったと、私は記憶して居ります。
 なにしろ、あの「チューバ」という超大型の金管楽器は、高さが1メートルもあり、その重さたるや、10キログラム以上もあるのですから、身の丈150センチメートル程度の小柄な女性が一人で担いで、バスや電車を乗り継いで球場まで運んで行くのは、とてもとても難儀なことであったと、今更ながら思われます。
 そもそも、公立高校での吹奏楽部のパート決めの際には、豪腕で口が達者な男性部員や、器量が良くて性格が宜しくない女性部員が、トランペットやクラリネットやフルートなどの、重量が軽くて格好のいい楽器を担当する事になりがちである。
 そして、残りの楽器担当は、気の弱く小柄な男性部員や、器量の良し悪しに関わらず、性格が宜しくて優しい気持ちの女性部員が担当者となるのである。
 本作の作者・高橋理沙子さんは、お名前から推察してみても、理性的かつ美しくかつ気持ちの優しい女性かと思われます。
 そういう次第で、高橋理沙子さんは進学先の高校の吹奏楽部で、あの厄介な「チューバ」を担当する事になったのだと推察されます。
 それと、もう一点付け加えて申しますと、あの「チューバ」という楽器は、一曲の中の伴奏部分の最低音部だけを担当し、出番が比較的に少なく目立たない楽器であります。
 しかしながら、あのチューバ担当者がいい加減な気持ちで吹奏したら、肝心要のメロディー部分が輝きません。
 従って、あのチューバ担当者こそは、楽団全体の演奏を見渡し、「私は吹奏楽団の〈陰の支配者〉である」といった気持ちで事に当たらなければなりません。
 そういう次第で、私の敬愛する高橋理沙子さんよ、これからも頑張って下さい。
 [反歌]  今日からは〈陰の支配者〉チューバ吹き女だてらに啖呵を切つて


○ 玄関をそっと出て行く音立てず寝たふりしているインコのために  (松原市)久木山恵

 あの「インコ」めが「寝たふり」なんかするもんですか!
 [反歌] 玄関をそつと出て行くキャバクラへ寝たふりしてるジゴロの為に