(西中眞二郎)
間違えたとわざと大きく呟いてエスカレーター乗り換えており
富小路禎子氏は私の尊敬する歌人の一人であるが、彼女の第二歌集『白暁』に、「自動エレベーターのボタン押す手がふと迷ふ真実ゆきたき階などあらず」という作品がある。
エレベーターは、エスカレーターと同様にデパートなどに在る乗り物であるためか、エスカレーターが登場する上掲の西中眞二郎氏の作品を目にした瞬間、私は、エレベーターが登場する富小路禎子氏のこの作品を思い出した。
不況の煽りであちこちの老舗デパートの支店が閉鎖に追い込まれ、デパートという流通媒体が果たす役割りは終わってしまったなどという、気の早い話題がマスコミで囁かれている今日ではあるが、在職時の私たち夫婦の楽しみの一つは、たまの休日のデパート歩きであって、回数こそ減りはしたものの、その習慣は今でも相変わらず続いている。
しかし、手工芸品や陶磁器漁りを趣味とする家内はともかくとして、家内のお供に過ぎない私は、せっかくのデパート歩きをしていても、「真実ゆきたき階など」は画廊以外には無かった。
そこで、西中眞二郎氏の作品の場合と同様に、エスカレーターやエレベーターの乗り換えは再三再四のことであった。
私は感情の襞の頗る荒く、何事につけても大雑把な人間であるから、そうした場合でも、西中眞二郎氏のように「間違えたとわざと大きく呟い」たりはしないが、そうせざるを得ない、西中眞二郎氏の気持ちのほどは、同じ男性としてよく解る。
そうです。
そうなんです。女性諸君。
私たち男性は、エレベーターやエスカレーターの場合に限らず、何かにつけ、乗り物を乗り間違え、そして、「間違えたとわざと大きく呟いて」いるような、気の弱い存在なのです。
でも、エレベーターやエスカレーターの乗り換えはしても、それ以外のものの乗り換えは決して致しません。
〔返〕 「間違えた」と言い訳などはしないけど乗り損ねたるあのエレベーターよ 鳥羽省三
間違えたとわざと大きく呟いてエスカレーター乗り換えており
富小路禎子氏は私の尊敬する歌人の一人であるが、彼女の第二歌集『白暁』に、「自動エレベーターのボタン押す手がふと迷ふ真実ゆきたき階などあらず」という作品がある。
エレベーターは、エスカレーターと同様にデパートなどに在る乗り物であるためか、エスカレーターが登場する上掲の西中眞二郎氏の作品を目にした瞬間、私は、エレベーターが登場する富小路禎子氏のこの作品を思い出した。
不況の煽りであちこちの老舗デパートの支店が閉鎖に追い込まれ、デパートという流通媒体が果たす役割りは終わってしまったなどという、気の早い話題がマスコミで囁かれている今日ではあるが、在職時の私たち夫婦の楽しみの一つは、たまの休日のデパート歩きであって、回数こそ減りはしたものの、その習慣は今でも相変わらず続いている。
しかし、手工芸品や陶磁器漁りを趣味とする家内はともかくとして、家内のお供に過ぎない私は、せっかくのデパート歩きをしていても、「真実ゆきたき階など」は画廊以外には無かった。
そこで、西中眞二郎氏の作品の場合と同様に、エスカレーターやエレベーターの乗り換えは再三再四のことであった。
私は感情の襞の頗る荒く、何事につけても大雑把な人間であるから、そうした場合でも、西中眞二郎氏のように「間違えたとわざと大きく呟い」たりはしないが、そうせざるを得ない、西中眞二郎氏の気持ちのほどは、同じ男性としてよく解る。
そうです。
そうなんです。女性諸君。
私たち男性は、エレベーターやエスカレーターの場合に限らず、何かにつけ、乗り物を乗り間違え、そして、「間違えたとわざと大きく呟いて」いるような、気の弱い存在なのです。
でも、エレベーターやエスカレーターの乗り換えはしても、それ以外のものの乗り換えは決して致しません。
〔返〕 「間違えた」と言い訳などはしないけど乗り損ねたるあのエレベーターよ 鳥羽省三