モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

心に留めて思い巡らす

2019-07-22 05:44:35 | 福音について
「マリヤはこれらのことをことごとく心に留めて、思い巡らしていた」(ルカ2:19)

「人々は皆、羊飼いたちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った」(ルカ2:18)
話を聞いた時には考えるけれども、時とともに忘れ去ってしまうことはよくあります。
御霊によって心に刻まれたことは心に残り、幾度も思い返されるものです。

心に留めて思い巡らすときに、啓示が与えられ理解が開かれることがあります。
「わたしに呼び求めよ、そうすれば…大きな隠されていることをあなたに示す」(エレミヤ33:3)
心に留めて思い巡らすことが「心から主に求めている証明」になるのではないでしょうか。

イエスに関する不思議な出来事がマリヤに解き明かされるまで、30年以上もかかりました。
それでも十分ではなかったかもしれません。
2千年以上経った今、わたしたちはおそらくマリヤ以上に解き明かしを得ています。

心に留めて思い巡らすときに、さらに「大きな隠されていること」が解き明かされることでしょう。
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思いを言葉に

2019-07-21 23:04:19 | 福音について
「自分の正しいことを証明するために…我々は共に論じよう」(イザヤ43:26)

教会で福音をテーマに喧々諤々と語り合い、
一週間そのことについて深く考え、
翌週にその話題を持ち出すと驚かれることがあります。

あれだけ熱心に語り合ったのに、
そのことについて何も考えなかったということにこちらも驚かされます。
「もう十分です」いう態度に、さらに驚かされることも。

一週間かけて考えたおかげで、学び、祝福もあったので、
感謝はあっても、文句を言う必要はないのですが、
自分の語った言葉について検証する必要はないのでしょうか。

自分の思いを言葉にし、それを検証することは祝福をもたらします。

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御霊

2019-07-21 19:17:58 | 福音について
「神の御霊があなたがたの内に宿っているなら」(ローマ8:9)

神からの啓示を受けたいと望むのであれば、
自分が「神の御霊が宿るにふさわしい状態にあるか」振り返ってみるといいでしょう。
ふさわしくない状態にあるなら、啓示を受けるのは難しいかも知れません。

啓示を与えるか否かを判断するのは神であり、
パウロの例もあるので決めつけることはできませんが、(ローマ9章)
御霊のある状態の方が啓示を受けやすいのは確かだと思います。

自らが御霊を受けるのにふさわしい状態にあるかの判断は、
「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制…」(ガラテヤ5:22~23)
一般的にはこれらですが、心が乱れているときこそ御霊が必要です。

日頃からふさわしい状態を保とうと努力しているなら、神はその努力に報いないでしょうか。
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天使の啓示

2019-07-21 16:00:56 | 福音について
「神の啓示を…否定する者はイエス・キリストの福音を知らない」(モルモン9:7~8)

「主の声は、天使たちの口を通してすべての国民にそれを告げ知らせ…」(アルマ13:22)
啓示には神から直接与えられるものと、天使を通して与えられるものもあるようです。
個人的に「祈りの応えのほとんどは天使からのもの」と感じています。

啓示にはとても重要なもの、心に刻まれ忘れることのできないものから、
気付き、直感と呼ばれるようなものまであります。
後者は信仰にほとんど関係なく、誰にでも与えられるものです。

「そのようなものを啓示とは認められない」と言う人もあるようですが、
「すべての人にキリストの御霊が与えられている」(モロナイ7:16)
この言葉を信じる人にとっては不思議なことではないでしょう。

「天使はあなたがたに語りかけ…あなたがたはその声を時々聞いています」(1ニーファイ17:45)
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ルーツ

2019-07-21 07:00:56 | 今日の一言
木は自らを支え養うだけの根を持っている



人を支え養う「根=ルーツ」は何でしょうか。
財産、知識、仕事、趣味、家族、人間関係、社会……、これらは大地です。
その中で自分を支え、生きがいや喜びを与え、養い育ててくれるものは何でしょうか。
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