モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

嫌われたくない

2019-07-03 13:45:24 | 福音について
「真理の言葉がすべての汚れに対して厳しいことを知っている」(2ニーファイ9:40)

「人との関係を穏やかに保ちたいなら、本当のことは遠回しに・・・」
この言葉に賛成だし、なるべくそうするように心掛けています。
本当のことを率直に言われたら傷付くし、その人を避けるようになるでしょう。

自分の家族がどれほど祝福されているかを公言してはばかることのない人があります。
笑顔で聞いているようでも、自己嫌悪に苦しむ人があることは気にならないのでしょうか。
と言うこの言葉でさえも、慰めにもなり、裁きにもなるのです。

夫婦喧嘩が泥沼化しやすいのは本心を率直に言い合うからだそうです。
互いに遠回しに、角が立たないように、妥協し合いながら、相手を気付つけないように・・・
それは愛なのでしょうか。主の方法なのでしょうか。

なぜ悩むのか、実は自分が嫌われたくないから・・・、それも大切です。

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足跡

2019-07-03 09:52:16 | 福音について
「あなたの神は王となられたと言う者の足は・・・なんと麗しいことだろう」(イザヤ52:7)

改宗した人の多くが、初めて福音が伝えられた場面と、
伝えてくれた人のことを忘れることはありません。
おそらく永遠に残る感謝の思い出となることでしょう。

出来事そのものは小さく取るに足りないものであっても、
当事者本人にとっては人生を変えた紛れもない奇跡であり、
どれほど感謝しても足りることのないほどのものです。

伝えられたのは「イエスがキリストである」ことです。(使徒5:42)
そのことにどれだけの意味と価値があるのでしょうか。
意味と価値が大きくなるほどに、その足跡に感謝が増して行きます。

「自分たちの贖い主を知るようになった人々の目にはなんと麗しいことか」(モーサヤ18:30)
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苦しみ

2019-07-03 06:24:16 | 今日の一言
苦しみと楽しみは別物であり
苦しいから楽しくないとは限らない




あるスポーツ選手が言いました。
「練習よりも試合の方がラクだし、楽しいですよ。
でもね、試合に出られるのは、練習に耐えて勝ち抜いた人だけなんです。
試合という楽しみがあるので練習するんです。
だから苦しい練習も楽しめるんですよ。」

「耐え難い苦しみ」とは目的を見失ったときかも知れません。
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安全

2019-07-03 05:51:05 | 福音について
「神が彼らに安全を与えられるので、彼らは安らかである」(ヨブ24:23)

レジャーで急流下りをするときにはわざわざ流れの速い所を選びます。
スリルがあって楽しめるからですが、ガイドは決して危険なルートは通りません。
彼らは危険な所と安全な所を知っているので選ぶことができるのです。

今の時代の流れにも危険なルートと安全なルートがあり、福音はそれを教えています。
それを物足りなく感じ、レジャーと同じように人生にスリルを求める人もあります。
安全に川を下ることが目的であるなら、絶対に選ばないであろうルートを選ぶのです。

ある人は主を信じる人々の生活を見て、ストイックで退屈だと感じます。
教会員の子どもとして生まれ育った若者もそれを不満に感じることが多いようです。
「安らか」とは不満なものなのでしょうか。

人生の目的を理解し、受け入れている人は安らかに過ぎる一日を感謝します。
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