私的感想:本/映画

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『ヨシュア記』感想

2024-07-30 21:23:25 | 本(人文系)
『ヨシュア記』は神の名のもと、自らの行動を正当化して成された大虐殺の記録である。

本書ではその虐殺の様が、ある種誇らしげに書かれている。
現代人から見れば信じがたい感覚だ。
しかし裏返せばそれは、何かしらの理由と独善的正義感があれば、人間は虐殺を行なっても恥じることがないという事実を記した書とも言えるのだ。

そういう意味、『ヨシュア記』は人間の醜さに関する記録とも言えよう。


『ヨシュア記』によると、ヨルダン川西岸は主によってイスラエルの人々に与えられた土地であるらしい。
それは先祖がそこに住んでいたことに由来するわけだが、その言動からは現在住んでいる人間に対する斟酌はいっさい見られない。
すでにその出発点から彼らの独善は始まっている。

とは言え、そう語っているのはヨシュアをはじめとした指導者層の話だ。
おそらく一般人感覚では虐殺を行なうことにためらいはあったのだろう。
それゆえにヨシュアは、民衆に向かって、雄々しくあれ、おののいてはいけない、と鼓舞して敵を徹底的に打ちのめせ、と強く訴える。

ヨシュアは宗教指導者だが、アジテータとしての素養があったらしい。そして軍事の才能もあったようだ。
その姿は皮肉ながら、どこぞの指導者を想起させるかのようだ。


そんな狂信的なイスラエルに、エリコの住民は恐れを抱く。
身勝手な理屈で自分たちの住む街を攻め滅ぼそうとするイスラエル、そんな彼らを恐れるのは当然だが、ここまで狂信的に攻め込んでくる集団に勝てないともわかってもいたからだろう。

実際イスラエルにはかなわず、エリコやアイは滅ぼされてしまう。
しかもその行動は徹底的で眉をひそめるしかない。

イスラエルの人々をエリコの住民を殺しまくり、略奪の限りを尽くす。
彼ら曰く、主が望まれるからそうした、ということらしい。
そして主が敵の心をかたくなにさせたから、彼らは歯向かい滅びたのだと結論づけ、それらの勝利と占領はイスラエルの人間にとっては恵みであったと、主に感謝をしている。

その自己正当化と妄信が今の日本に生きる私には理解できず、それだけに気持ち悪くてならなかった。


そういうわけで、現代人にとって読むのはきつい内容だったが、宗教を信じていた当時の人々にとって、それらは何ら恥じるところのない行為でもあったのだろう。

そしてそんな昔の感覚は現代のイスラエルを見る限り、この時代になってもまだ引き継いでいるようだ。
その事実に暗澹たる思いに駆られるのである。


 『聖書(旧約聖書) 新共同訳』
 『聖書(新約聖書) 新共同訳』
 『創世記』
 『出エジプト記』
 『民数記』
 『申命記』
 『ヨシュア記』
 『士師記』
 『ルツ記』
 『サムエル記』
 『列王記』
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