1985年度作品。イラン映画。
1970年代初めごろ、ペルシャ湾岸の小さな港町。浜辺に打ち上げられた廃船で暮らす孤児のアミルは、生活のためゴミ捨て場で空き瓶を拾って売ったり、水兵の靴磨きをしたり、水売りをしながら何とか生計をたてていた。大きな白い船や遠くに連れて行ってくれる飛行機、そして映画が好きなアミルは、ある時、読み書きができない事とに気付き愕然とする。そして字を覚えるために夜間の学校へ行き、取り憑かれたように字を覚え始める。
監督はアミール・ナデリ。
出演はマジッド・ニルマンド、ムサ・トルキザデエら。
「駆ける少年」には、一貫したストーリーというものはない。
アミルという少年を主人公に、彼を取り巻く状況を描いている。それだけの映画だからだ。
だから、映画の雰囲気が合わない人には退屈に映るだろう。
しかし映画は、溢れんばかりのエネルギーに満ち満ちており、そのプラスのパワーが何と言っても目を引く作品でもあった。
主人公のアミルはどうやら孤児であるらしい。
彼は廃船に住みながら、ゴミ拾いや空きビン拾い、水売りや靴磨きなど、様々な仕事をしてお金を稼いでいる。
彼の周辺にはほかにも貧しい子どもは多い。
だから空きビンを回収しても、子どもたち同士で取り合いになるし、多くビンを回収しようものなら、新入りなのに生意気だという理由でボコられる。水を売っても、飲み逃げされるし、靴磨きをしていれば、白人男性からライターを盗っただろう、と疑われたりもする。
彼は貧乏で、頼るべき者もなく、そのため虐げられたり、苦労を背負ったりしている。
富裕国に住む一員としては、大変だな、としか言いようがない状況だ。
しかしそこに悲哀はないのである。
それはすべてアミルの存在に負うところが大であろう。
「駆ける少年」というタイトルが示すとおり、アミルは映画の中でしょっちゅう走っている。
それは、友だちと競走するためだったり、同じ貧民の子に盗まれた氷を取り戻そうとするためだったり、と理由は様々だ。
だが理由は何であれ、彼は走ることに迷いがないらしい。
イランの強い日差しの中で走り続ける彼の姿は、その光が強いだけに、バイタリティあふれているように見えるのだ。
それに彼はやたら叫ぶ子どもでもある。
飛行機に向かって、あるいは船に向かって叫ぶ姿は、そういった乗り物に関心を示す、少年らしさが出ていて好ましい。
あるきっかけからアラビア文字を覚えたときは、それを連呼し、必死になって覚えようとしている。
そんな少年からは、エネルギーがほとばしっていて、すばらしい。
強い日差しや燃え上がる炎のような、狂おしいまでの力に溢れている。
そしてそれこそ、生きるということなのだろう。
そんな、生きる子どものまばゆさが、胸の内へと突き刺さってくる一品であった。
評価:★★★(満点は★★★★★)