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突如持ち出された、虚報の「南京虐殺」

2017-01-19 18:16:35 | 政治
昔から中国の村や都市は外壁に囲まれていました。自衛のためです。南京の
巨大な城壁は一周すると山手線と同じ三十四キロもありました。城壁に守られた
南京のほぼ中央に南京戦の直前、民間人が戦闘に巻き込まれるのを避けるため、
外国人によって国際管理の安全区が設定されます。

一九三七年(昭和十二年)七月、支那事変(日中戦争)が勃発。戦火が南京に
飛び火する直前の同年十二月、蒋介石や多くの市民が南京を脱出します。南京に
残った人々二十万人は軍の布告に従って安全区に避難しました。

十二月十三日未明、城壁の一角が日本軍によって陥落します。陥落しても、降伏
の命令を下す指揮官がいません。南京防衛軍司令官の唐生智が逃亡していたから
です。場内の中国兵は軍服を脱ぎ捨て、安全区に逃げ込みました。日本軍は安全区
の市民は攻撃しませんでしたが、軍服を脱いだ中国兵が便衣兵(べんいへい・ゲリラ
兵)とならないよう、これを摘発し、南京市民立会いのもと兵士と市民を区別しました。
そして、場合によっては揚子江岸で兵士を処刑します。

この処刑は法的には合法なものでした。戦時国際法は戦場での兵士でも降伏した
場合は捕虜として特別待遇(助命)するとうたっております。しかし、その戦時国際法は
「軍服を着用し、訓練され、かつ上官の指揮下にある戦闘員のみ」に適用されるもの
でした。司令官が逃亡して全軍を指揮する者がいず、軍服も着用しない兵士には
捕虜の特権がありませんでした。

にもかかわらず南京陥落から一ヶ月後には、この処刑が南京虐殺として英字新聞や
英文雑誌などで報道され始めます。しかし、これは誤報でしたから英文雑誌の支那
事変一周忌記念号から南京虐殺の四文字は消えるのです。

ところが、これとほぼ時を同じくしてまたもや南京虐殺が浮上してきます。
ティンパーリー編 『戦争はなにか』(青木書店)に「四万人近い人間が南京場内や
城壁近くで殺されたことを埋葬証拠は示している」という告発状が載ります。筆者は
安全区の委員の一人で米国人のベイツ教授でした。

確かにベイツの責任編集になる記録によれば南京の死体埋葬活動はすべて
紅卍字会の手で「完了」し、記録が正しいとすれば約四万体をベイツは虐殺体
と考えたわけです。が、実際は、当時の朝日新聞北支版が言うように「敵の遺棄
死体」でした。ベイツの四万人虐殺説は根拠なき主張でした。従って公式資料を
もとに編纂された『チャイニーズ・イヤー・ブック一九三八~一九三九』(重慶)
等は、先の個所を削除してベイツの告発状を記録しております。

このように戦前、国際的文書でも南京虐殺はすべて虚報として否定されました。
虐殺を証明する公式資料が一つもないからです。ところが、敗戦後の東京裁判
で突如として南京虐殺が持ち出されました。キーナン首席検事は数万人虐殺
とぼかし、中華民国はベイツ説を七倍に粉飾して三十万人虐殺を主張しました。
南京虐殺はこのように不可解な点の多い事件なのです。
(東中野修道 記)

─『教科書が教えない歴史 ②』 自由主義史観研究会 藤岡信勝
 産経新聞社より

■いま、アパホテルに備えられている、アパグループの元谷外志雄代表による─
エッセーをまとめた「誇れる祖国 日本復活への提言Ⅳ 本当の日本の歴史
『理論 近現代史学Ⅱ』」(英題はTHEORETICAL MODERN HISTORY II 
The Real History of Japan)で、英訳が付けられている。─
本が問題になっているが、素人の私でも日本の資料をよく読んでみると、
『南京事件―「虐殺」の構造』(中公新書、1986年、増補版2007年)
『昭和史の謎を追う』(各・全2巻:文藝春秋、1993年/文春文庫、1999年)
『現代史の争点』(文藝春秋、1998年/文春文庫、2001年)
など、秦郁彦氏の丁寧な研究は、興味深い、中国側の主張も考え平均をとろうとしている。
たいしたものだ、それでも、三十万人というべらぼうな南京虐殺はあり得ない・・・・
冷静に分析されており、これは、三十万人虐殺は捏造であることが判断できる。
中国の人はどうして、思い込みでナショナリズムから、事実を捻じ曲げるのだろう。
日本人は、事実を捻じ曲げない。歴史的事実には、敬意を表する。きわめて
平等の権利を大事にする民族だ。
中国軍は、自分たちが逃げるときその周りに住んでいる中国民を殺していく。
これは相手をくらませる作戦だそうだ。三十万虐殺の数にこれも入れているらしい。
また万人坑は中国の風習としてあるものなのにそこに埋葬されている人数も
三十万人に入れる。なんということなのだろう。相手をたおすには手段を選らば
ないんでは、事実はみえない。
ここに『私の見た南京事件』 奥宮正武著 PHPという本がある。この人は、
南京攻略後、すぐ南京に航空部隊として飛行機で入った人だ。その人の見た様子では、
死体はみているが、虐殺はなかったようだ。南京に一般人にまぎれて入り込んだり、
日本の事務所を襲った中国人をとらえて、処刑していたのは、二度見たという。
しかし、三十万人などという状態はないとしている。
南京攻略での犠牲者はいる。それを見積もると四千人から、中国側の主張をとり
いれても四万人くらいだという。犠牲者はでた。人数も四万人となれば、虐殺と
いえるかもしれない。しかし、とらえ方がちがう。戦争で戦った兵士と一般を
分けて考えたい・・・
熱くならずに時間をかけて中国の人は調べてほしいものだ。韓国の慰安婦も
考え違いをしているが、事実をさぐるということも大事なことです。

注)
虐殺とは・・・
宗教、主義、主張、グループ、民族、政治、結社、また、村や国家、軍によって、
ある目的や、主張の元に形成された2人以上の集団により行われ、1人以上の
反抗できない状態におかれた非戦闘員、一般の市民を殺人すること。 なおかつ、
ジュネーブ諸条約に基づく戦闘に該当しない殺人。
つまり、普通の戦争の戦いでの兵隊の犠牲者とは違うと考えている。

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