水曜に風邪で倒れたのだが、金曜にどうしても代わりがいない用事があったので、無理矢理、薬と気力で復帰したのだが、金曜の用事が済んだら気力がすっと抜けてしまい、以降、あまり芳しくない。
それでも、金曜の夜に飲みに行ってしまったのは、久しぶりに神戸時代の仲間にあったからである。
神戸にいた頃、まだ、ぺーぺーだった僕たちは、殆どの上司が親会社からの出向者で、親会社ばかりを見て仕事している事に対して、夜な夜な、まだ、人気の少なかった新興住宅地の空き地で、いつか俺らの時代にする、と気勢を上げていたものである。
実際、その頃は、まだまだあたらしい仕事や、やりたい仕事があった。
しかし、久しぶりに出会ってみれば、お互い、相応な立場には居るものの、相も変わらぬ上司の横暴で、やれ、あれが潰された、それはダメになった、と、頭を抱えたくなる話ばかりで、会社は大きくなったけれど、仕事はこじんまりとして、つまらなくなったなぁとため息ばかりをついていた。
そこで、ふと互いに思い出したのが、K氏の事だった。
K氏は、神戸時代の課長で、やはり親会社からの出向者だったが、真っ正直な技術者でも有った所為か、親会社に阿ねることなく、本当に仕事しているものの立場になって、話が出来る数少ない人だった。
僕らはK氏のお陰で、いろんな場合の対処法や責任の取り方を教わった気がする。
その分、親会社には疎んじられていたのだろう。
会社の調子がよく、神戸の仕事が結果を出せているうちは、親会社も手出しが出来なかったのだが、不景気になり結果が出なくなった途端に、場違いな営業に飛ばされてしまった。
せめてもの救いは、それまでの功績がモノを言って、担当部長に昇格しての異動ではあったが、技術一本だったK氏にとっては辛いモノだっただろう。
だが、K氏は挫けなかった。
慣れ無いながらも積極的に仕事をこなしつつ、それでも時折、僕らの所を訪れ、僕らと世間話をして、時には仕事の相談にも乗ってくれた。
神戸の仲間も各地に再配置されていたのだが、聞けば、仕事でどこかに立ち寄る度に、そこにいる仲間に会いに行ってくれていた様だった。
年月が経て、皆それぞれ忙しくなり、K氏自身も同じ営業でも、本社勤務に任ぜられてからは、中々会う機会もなかったが、年の初めには必ず年賀状をくれていた。
そして、つい、2年ほど前。
一通のメールが届いた。
K氏の訃報だった。
定年まで、あと数ヶ月。
たまたま、風邪をこじらせて、ひとりで留守番しているときの事故だった。
斎場には、近所だけでなく離れた場所にいる仲間まで集まっていた。
みんな、信じられないという顔だった。
だが、K氏は湿っぽいのも嫌いな人だった。
だから、僕らもみんな、出来るだけ普通に振る舞った。
お互い、どうしていたかと声をかけ、あの時、あれは楽しかったなと、思い出話に花を咲かせた。
明るく、さっぱりと送ってやろう。
みんな密かに、そう思っていた。
だが・・・
「あの・・・最後の献花の時。
・・・ホント、眠っているみたいでしたよねぇ。」
金曜日、久々にあった神戸の仲間が、グラスの酒をじっと見ながらそう言った。
僕も、ジョッキのビールを一口飲んで返事をした。
「うん。
今にも、起きあがって、『なにしてるんだ?仕事はどうだ?』って言い出しそうで・・・。」
・・・それ以上、言えなかった。
言うと、あの日、我慢したモノが、今更ながら溢れてしまうようで。
それから、数分ほど、二人はじっと黙ったいた。
やがて、仲間が言った。
「・・・もうちょっと、頑張りますかね。」
僕も黙って頷いた。
「・・・そうだね。このまま、愚痴ばっかりじゃK氏に申し訳ないな。」
それからは、また、話題に戻ったのだが。
その夜。
ふと思った。
多分、あの時、K氏は側にいたのだと。
そして、なにやってるんだと僕らを見ていたのだと。
まあ、どこかで聞いたような話、と思う方もいるかもしれないが、その事を、ちょっと書き留めておきたかった。
少し、遅くなってしまったけれど。
そして、明日も頑張る。