不条理み○きー

当面、きまぐれ一言法師です

「モラトリアムな夜空」

2006年03月28日 23時59分13秒 | Memories

「俺は、最低な奴や!」
 流れ落ちる涙を拭おうともせず、Yは言った。

 高校を卒業して、2週間ほど経った日の夜中。
 国立大の合格発表がある前日の事である。

 場所は、山奥の小さな町立公園。
 何も無い公園なのだが、小さな鍾乳洞とカルスト地形が一部露出しているので、我が母校の地学部が、例年、定期調査をしている場所。

 その定期調査にOBとして立ち会う、という事を口実に、男4人が集まっていた。
 しかも、調査は合格発表と同じ日に、日中に行うので、こんなに前夜に集まる必要は無い。
 集まった連中は、単純に発表前でドキドキとして、家でジッとしていられなかっただけである。
 もちろん、私もそうだった。
 
 気晴らしに集まったのだから、とりあえず野営するテントを設営したり、昔、部活で養ったワザ(?)で飯盒と鍋でちゃっちゃと夕飯を作ったりして、しばらくは昔話や莫迦話に興じていたのだが、やがて夜も更け、誰かがちょっとだけ、と持ち出した「般若湯」を回し飲みしだした頃から、誰と無く、話題はこれからの進路の話になった。

 そして、それぞれが、浪人しようか、とか、いや、一応、滑り止めに合格している私立に行くとか、話をしていた最中に、唐突にYが泣き出したのだ。
 かくして、シーンは、冒頭に戻る。

「どうしたんね、Y。
 あんたは、ちゃんと俺等の部長を勤めてくれたやんね。
 最低とか、そげん事はないばい!」
 Tが慰めの声を掛け、他の二人も頷く。

 そう、Yは私たちの代の部長を勤めた男だ。
 しかし、おとなしいYは、カリスマ的に皆を引っ張る、というタイプではなく、どちらかと言えば、皆の意見を聞いたうえで慎重に判断するタイプの部長であった。
 私たちの代は、個性的な部員が多かった事を考えると、Yを部長に指名した先代部長の考えは、なかなか的を得ていたかもしれない。
 
 だが、おとなしいっ部長であったが故に、いろいろと板ばさみになる事が多かった。
 更に、共通一時の実施を期に、より進学校色を強めようとする学校が、部活の制限を強めてきた時期でもあり、部長として学校側との交渉にも出なければならなかった。

 結果として、私たちの代では、予算も活動範囲も制限される事になった。
 しかし、それは、誰がやっても、あまり大きく変えられるものではなかった。
 また、活動の制限に伴い、他の部からは止めていく1年生も多かったが、我が地学部は、殆ど抜ける部員の無いまま、この1年を終えることが出来た。
 それも、部長だったYの人望によるところが大きいと思っていた。

 だから、「最低」などと言う言葉は、Yに相応しいはずがなかったのだ。

 しかし、Yは頭を振った。
「そうじゃない、そうじゃないったい。」
 そして、Yはぽつぽつと語った。

 Yの家は、平均的な家であったが、両親が年老いてから出来た子だったので、まもなく父親が定年を迎えること。
 それゆえ、一度は、高校を出て働こうかと思ったが、親に、
「ばかたれ!父ちゃんと母ちゃんは、お前に上の学校に行って欲しいけん、せっせと働きようとたい!
 余計な事、考える暇が有ったら、勉強せい!」
と、叱られた事。
 ところが、いざ、受験に専念しようとしたとき、自分の行きたい学科は、秋田大学にしか無かった事。
 もちろん、それも、両親は笑って許してくれたが、自分の中では、年老いた両親を置いて、遠くの学校に行く事で、心が動いたこと。
 そして・・・。

「結局、迷いに迷った挙句、俺は秋田を受ける事にした。
 そうやけど、途中、近所の学校が受けられんかと思うて、受験科目を色々変えよったら、結局、秋田の受験科目にしかない教科の勉強が、もうギリギリやったとたい。

 結果、共通一次でも、その科目の点が低かった。
 そして、秋田まで出かけて受けた2次試験も・・・。」
「でも、まだ、結果は明日にならんと・・・。」
「いや、全然、出来とらんけん・・・。
 俺にはわかるっちゃ。」
「・・・・。」
 そこで、Yはもう一度、鼻をすすった。

「二次試験が終わって、うちに帰ってきて、俺はオヤジに言うた。
 つまらんかったと思う。って。
 そして、ごめん・・・って、言おうと思うたとやけど、その言葉は震えて口に出来んかった。
 なんか、涙が出そうになったとき、親父がいうた。

 しんぱいすんな。そう思うて、予備校の分も貯金しとうたい。

 俺は、大きくなって、初めて親の前で泣いた。
 俺が、もっと真剣に、最初から秋田に絞って頑張れば・・・。
 或いは、さっさと秋田を諦めて、もっとそばの大学に絞っておけば。
 俺の、優柔不断の所為で、おれはどれだけ、親に苦労かけたんかと。」

 そこで、Yは鼻をすすった。
「だから、俺は最低やと思うたんや。
 早く働くとか、秋田に行きたいとか、好き勝手いうた割には、結局、地元で予備校やんか。
 なんも、何一つ、自分ひとりではできとらん!
 全部、親頼り・・・サイテー・・・最低や!」
 そういうと、Yはまた、ほろほろと涙を流した。

 俺等は、黙ってYを見ていた。
 何もいえなかった。
 それぞれ悩んでいる風にはしていたが、みんな、Y程には考えていなかったからだ。

 
 やがて、Yは、目を閉じ、時々、
「俺は、次は絶対受かる
 秋田大学、受かるどぉ」
等と、言いながら、やがて泣きつかれて寝てしまった。

 自分も寝る、という一人を残して、私とTはテントを出た。
 なんとなく、火照った顔と泣き出しそうだった目を気取られないためでもある。

 そして二人は、近所の尾根に登った。
 空はすっきりと冴え渡り、正に星の海だった。
 タバタバに火をつけた、Tがぼそりと言った。
「俺も、長崎に行くばい。
 呉服屋を継ぐ気にはならんけど、Yのいうた通り、オヤジとお袋に、いつまでも店番をさせとく訳には、いかんけんねぇ」

 私も、星空を見上げながら、答える。
「俺は、地元の学校にする。
 広島も合格しとるけど、やりたい学部じゃないし。
 地元で、頑張って、はよ卒業して、就職して親を安心させる」
 Tは、それもよかたい。と、呟いた。

 そして、私たちは、まだ、しっかりとではないけれど、なんとなく地に足をつけることが出来た、そんな気がした夜であった。

 ちなみ、余談ではあるが、Yは、翌日現地にやってきた後輩たちから、秋田大学に合格した事を聞かされて、皆からもみくちゃにされていた事をお伝えしておく。
 

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