超芸術と摩損

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[特別読物]裁判員制度導入1年!司法制度大改悪で「裁判官の卵」が闇金融に搾られる

2010-06-08 01:09:22 | 週刊誌から
ジャーナリスト 青沼陽一郎

「裁判員制度」誕生から、ちょうど1年。ようやく裁判に「市民感覚」が反映された……かと言えば、さに非ず。むしろ、司法制度「大改悪」で裁判官になれるのは一般市民とは乖離した金持ちや野心家ばかりに。そんな実状をジャーナリスト・青沼陽一郎氏が指弾する。

 司法制度改革の目玉、裁判員制度が施行されて、5月21白で丸1年になる。
 裁判員裁判の導入には、ようやく司法に「市民感覚」「民意」が反映される、と大きな期待が寄せられた。たとえば10年前、日本弁護士連合会(日弁連)が非公式に行った『市民感覚から見ておかしいと思われる裁判事例』というアンケート調査では、こんな裁判官が槍玉に挙げられている。
 夫の暴力による離婚訴訟の和解の場で、原告である妻に向かい男性裁判官がこう言った。「自分も女房を殴ることがある」/サラ金の厳しい取立で暴力まで受けた事件の判決で、裁判官が「権利の行使だから、1回くらい殴っても構わない」/不当な単身赴任を命じた会社を訴えた裁判で、会社を尋問中の弁護士に、裁判官が割って入った。「原告代理人、我々宮仕えの身では配転の期間の目処を知ろうというのは無理ですよ」……。
 確かに、酷い。しかし、翻って裁判員制度の導入によって、裁判に市民感覚や民意が反映されたなどというのは、全くの幻想に過ぎない。いまや裁判官になるのは、ある偏った階層の人間だけ。むしろ、“非常識”が増長されつつある。
「そんなことは、10年前に司法制度改革審議会(司法審)が、弁護士を増員しようと言い出した時から、わかっていたことです!」
 一連の司法制度改革に反対してきたある弁護士が憤慨するように、それは弁護士の増員を目論んで司法試験制度を変更したことに端を発している。
 いわゆる小泉構造改革と連動した司法制度改革は、年間3000人の「法曹人口の増加=司法試験合格者を出すこと」を目指した。昭和から平成2年まで長らく続いた“司法試験合格者500人時代”の6倍の人数である。その後、先行的に合格者は増え始め、司法制度改革が本格的に議論されはじめた平成11年には1000人を突破。平成16年にはほぼ1500人に到達。平成10年の秋には、なんと2500人が司法修習を終えるまでになった。
 だが、そこに浮上したのが財源の問題である。
“500人時代”には、学歴や資格に関係なく、誰でも自由に司法試験を受験することができ、合格すると2年の司法修習を経て裁判官・検察官・弁護士としての資格が与えられた。この2年間は司法教育に専念するため副業、アルバイトは禁止。その代わり、修習生には国家公務員キャリア組の2年目とほぼ同等の給与が支給される。こうして一人前の法曹人になるための環境を国家が保障してきたのだ。
 ところが、合格者が6倍に増えるとなると、司法修習の費用も6倍に増える。
「増員計画が持ち上がった時の試算では、せいぜい1500人の面倒をみるのが精一杯。そこで、国は、司法修習ばかりか司法試験の制度までを変えてしまったんです」(前出弁護士)
 まず、それまで2年だった司法修習期間を半分の1年に短縮化。替わって司法試験を受けようとする者は、各自が事前に専門教育を受けなければならなくしたのだ。「法科大学院(ロースクール)」の誕生だった。この卒業者にしか受験資格を与えない新司法試験制度を導入したのだ。もちろん、学費は個人負担。その金額だって決して安くはない。
 平成16年から、全国に74校(国立23、公立2、私立49)設立された法科大学院のうち、国立の授業料は一律年間80万4000円。これに初年度は入学金28万2000円が必要となる。ロースクールには、法学既修者(大学法学部卒業者)で2年、そうでない者は3年通わなければならないから、後者の場合には、国立でも卒業までには269万4000円を納めなければならない。
 これが、私立となればさらに物入りだ。例えば、早稲田大学の場合、入学金26万円(同大出身者は免除)、学費が年120万円、雑費11万円と、初年度だけで合計157万円に。弁護士が数多輩出してきた中央大学では入学金30万円、授業料140万円、雑費30万円と合計200万円にも上る。
 当然、これに通学年分の生活費も必要となる。
 新司法試験制度は、旧制度と併用で平成18年度から実施されてきたが、
「昨年9月、日弁連がロースクール出身の司法修習生52人を対象にサンプリング調査をしたところ、55・8%の修習生に何らかの借金があることがわかりました。その平均は407万円。最高では1262万円もの借金を抱えている人がいて驚きました」(日弁連幹部)
 こうした実状を踏まえ、今年4月1日に日弁連会長に就任した“市民派”宇都宮健児弁護士が、会長選当選直後の記者会見で、
「弁護士になった時には多重債務者になっている」
 と発言し、制度の見直しにまで踏み込んでいた。

 彼が“市民派”と呼ばれる所以は闇金融との戦いや多重債務者救済といった活動歴にある。だが、宇都宮弁護士の長年の活動が、皮肉にも仇となる出来事がここへ来て起きている。
 来月18日から、改正貸金業法が施行されるのだ。これに伴い、グレーゾーン金利の撤廃と同時に、債務で苦しむ人を減らすことを目的に、「総量規制」が実施される。金融業者が貸し出す際の限度額を、債務者の年間総収入の3分の1に規制するわけだが、「法科大学院に通う学生にはほとんど収入なんでありませんから、勉学のために借金することもできなくなるんです」(前出弁護士)
 その上、さらに、である。
 これまで併用されてきた、旧試験制度が本年度で最後となるのと同時に、今年11月から、司法修習生に給与が支払われなくなるのだ。それでも、副業は禁止のまま。つまり、司法修習期間1年間の生活費も自前で捻出しなければならなくなる。
 前出の日弁連幹部が顔を曇らせる。
「先ほど紹介したサンプリング調査は、まだ国から給与が支払われていた時代のものです。それでも平均400万円の借金に追われていたというのに……。まともな金融機関から借金をしようにもできない以上、弁護士や裁判官になるために闇金融に手を出す者が続出する可能性だって否定できません」
 そこで国は、修習生に限って、11月から「貸与制」を導入する。給与廃止の代わりに、ほぼ同額を国が修習生に“貸してあげる”のだ。返済は5年間据置の、10年間の年賦均等返還。結局は国を相手に借金を増やすことになる。しかも、
「司法修習を終えても、最終の試験に合格できなければ、資格は与えられません。そうなると国への借金が残るだけです」(同)
 同様のことは、ロースクールにも言える。闇金に走ってまでロースクールを卒業しでも、司法試験に合格できなければ水の泡。しかも、新たな司法試験は「三振制」を導入していて、5年以内に3回受験しても合格できなければ、受験資格そのものを失ってしまう。「そうまでして弁護士になったからには、金儲けをしようと思うのが人情でしょう。そうでなくても、負債を抱えて、返済できずに破産してしまえば、その時点で弁護士資格を失う。基盤も何もなくなるから、必死で稼ぐ。社会正義の実現も人権擁護もそっちのけ。司法制度改革が掲げた“市民の為の司法”なんてほど遠いものになる」(同)

 そもそも、弁護士の増員は構造改革が目指した「市場原理」導入と密接に結びついている。国の規制がなくなる分、自己責任も増す。そのために、弁護士の増員が叫ばれたのだ。同時に過当競争で弁護士費用も安くなると見込まれた。だが、気が付けば、仕事のない貧困弁護士が急増している。
 一方で、市場原理からすれば、多額の負債を抱えてまで過当競争の世界に飛び込むようなハイリスク・ローリターンはもっとも敬遠される。かくして、優秀な人材は他業界へ流れていく。実際、平成16年に7万2800人を数えた法科大学院の志願者は、7年目の今年、2万4000人にまで減っている。
「弁護士はともかく、そうまでして裁判官や検事になろうという奴は、庶民感覚からかけ離れたよほどのお金持ちか、負債まで抱えて権力を握ろうというよほどの野心家。そうでなければ、現実感覚に乏しいよほどのパカ」(別の弁護士)
 昨年8月、東京地裁で初めての裁判員裁判が開かれた際、マスコミはこぞって、この新たな制度を絶賛した。しかし、平成20年度の最高裁のデータによれば、裁判員裁判の対象となりうる事件は、全国の地方裁判所の刑事通常事件9万3566件中、わずか2・5%に過ぎない。民事・行政、刑事、家事、少年事件すべてを合算した事件数からみると、わずか0・05%。残りの99.95%は、すべて裁判官が裁いている。
「裁判所と市民の感覚に乖離があるとすれば、それこそ民事事件や離婚や相続トラブルなどの家事事件、それに痴漢菟罪で問題となったような軽微な刑事事件で、そうしたものはずっと裁判官が単独で裁いているんです」(司法記者)
 冒頭に紹介したような非常識裁判官の事例も、一般市民が救いを求める民事や家事裁判でのもの。そこに、新司法試験制度によって、もっと庶民感覚に乏しい裁判官が加わる。弁護士だって味方にはなってくれない。
 所詮、裁判員制度は、裁判所への不満を逸らす国民の“ガス抜き”に過ぎないのだ。その惨状は裁判所内部からも聞こえて来る。
「最近、司法修習で裁判所にやってくる修習生のレベルが落ちているような気がしてなりません」
 とは、40代現職の裁判官。
「同じ年代の青年と較べても、どこか一般常識や知識に欠ける気がします」
 27・6%というロースクール卒業者の司法試験合格率(昨年度)が、その危倶を裏付けている。

週刊新潮2010年5月27日号
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