『 土は命のもと、生活の土台 』
すべての生命を載せ、育むのは大地である。
大地から生産したもの、
大地を掘って得たエネルギーによって、
私たちは生かされている。
大地への感謝を忘れていないだろうか。
土を汚していないだろうか。
地に足はついているだろうか。
地に足をつけて・・・その地=土が命のものとであり・・・生活の土台である。
大地・・・命の源をはぐくむ大地であり・・・私たちがそこに感謝をする。
ある意味、その大地は自然の恵みでもあったのではないでしょうか??・・・
土・・・土間・・・
昔ながらの“家”は、まさに家そのものがこの感謝と関わりを家の中で実現・・・
私の母親の実家が南牧村です。・・・そこにはまさに昔ながらのスタイルが…
何時だったか??上毛新聞にその家が掲載されたことが…昔ながらの機能的な家?
機能的と言っても何か便利な機械や設備があるわけではなく・・・・
2階は、蚕場であり・・・坂道を利用した動線の確保と家の造りの特集だった!?
様な記憶が…(すみません・・・・・調べておきます。)
地についた生活・・・
大地から生産したものがまさに・・・すぐ口に入る・・・
今でも野菜等が母親が実家に帰ったりすると届く時があります。(笑)
田舎の大根・・・・田舎のジャガイモ・・・田舎のってつくところが“ミソ”ですね。
こういう時って・・・その言葉だけで新鮮でおいしいって勝手にイメージがわく!?(笑)
その南牧村・・・限界集落という形NHKの番組や新聞等でもよくニュースソースに
本来の日本人が過ごしてきた生活・・・・まさに生活の土台がそこにあるんですがねぇ・・
そうか・・・・
子どもの頃は・・・お正月や夏休みによく泊まりに行っていましたね。
お正月・・・おもち好きの私は・・・何枚もおもちを・・
そうそう下仁田ネギも・・・コンニャックも・・・よく届きますね。まさに名物!!
みんな大地の恵み・・・収穫物からの産物ですね。
いま・・・そういった自然体験?・・・本当の姿?・・・知らない・・
そうそう一度…鶏肉を食べる話になって…
まさに庭で走り回っている様な鶏を捕まえて・・・その場で…
これこそ・・生命の戴きますの・・まさに原点だったんでしょうね・・・
今となっては良い経験だったといえますが・・・
実は・・・その時・・・当然その鶏は食べる事が出来ず…
子どもの私にとってはインパクトが強すぎた…逆にしばらく鶏肉がNGに(笑)
今でも・・・あまり得意ではないですね。
こういうのもある種のトラウマなんでしょうか??・・・大人になって知恵が勝った
野菜にしても果物にしても・・・そこに“命”が・・・収穫の直前まで・・・
本当の意味での時期やそのもの本来の姿がそこに・・・あったわけで・・・・
その本来の姿や時期・・・季節感というものは・・・今は残念ながら・・・
色々な技術や利便性と引き換えに・・・もしかしたら失われてしまっている!?
そういう意味での体験・・・子どものころの体感や経験って・・・貴重なんですね。
うーん・・・・
私が自身の子どもへ・・・振り返ってみると・・・そういう“場”・・・
どれだけ出来ていたのかなぁって・・・・反省モードに
どこかのホテルや旅館に旅行して泊まりに行くのではなく・・・
田舎に行く・・・それがすごい楽しみである種のご褒美的な・・・私の子ども時代・・
そういう時って母親の兄弟や私にとっての従兄弟も集まる貴重な瞬間・・
必ず記念写真を撮っていた…・そこに成長の歴史もあったんですね・・・・
私にとってのひぃおばあちゃんもそこにいつも・・『おさむもよくきたなぁ』って
声をかけてくれて・・・写真にはいつも笑顔で写っていた・・思い出が・・
もうどれくらい・・行っていないだろう??
NHKのTVで・・限界集落の特集でその家の様子を見るようになってしまった
災害のニュースで・・・南牧村の言葉を聞くようになってしまった…
連休?夏休み?・・・この田舎に・・・自身の子どもたちを連れて行ってきたいです。
『 土は命のもと、生活の土台 』・・・・
私にとってのこの生活スタイルの原点はその田舎に(我が家にとっての実家という意味)
ちょっと違う趣旨で思い出話になってしまった??(笑)
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すべての生命を載せ、育むのは大地である。
大地から生産したもの、
大地を掘って得たエネルギーによって、
私たちは生かされている。
大地への感謝を忘れていないだろうか。
土を汚していないだろうか。
地に足はついているだろうか。
地に足をつけて・・・その地=土が命のものとであり・・・生活の土台である。
大地・・・命の源をはぐくむ大地であり・・・私たちがそこに感謝をする。
ある意味、その大地は自然の恵みでもあったのではないでしょうか??・・・
土・・・土間・・・
昔ながらの“家”は、まさに家そのものがこの感謝と関わりを家の中で実現・・・
私の母親の実家が南牧村です。・・・そこにはまさに昔ながらのスタイルが…
何時だったか??上毛新聞にその家が掲載されたことが…昔ながらの機能的な家?
機能的と言っても何か便利な機械や設備があるわけではなく・・・・
2階は、蚕場であり・・・坂道を利用した動線の確保と家の造りの特集だった!?
様な記憶が…(すみません・・・・・調べておきます。)
地についた生活・・・
大地から生産したものがまさに・・・すぐ口に入る・・・
今でも野菜等が母親が実家に帰ったりすると届く時があります。(笑)
田舎の大根・・・・田舎のジャガイモ・・・田舎のってつくところが“ミソ”ですね。
こういう時って・・・その言葉だけで新鮮でおいしいって勝手にイメージがわく!?(笑)
その南牧村・・・限界集落という形NHKの番組や新聞等でもよくニュースソースに
本来の日本人が過ごしてきた生活・・・・まさに生活の土台がそこにあるんですがねぇ・・
そうか・・・・
子どもの頃は・・・お正月や夏休みによく泊まりに行っていましたね。
お正月・・・おもち好きの私は・・・何枚もおもちを・・
そうそう下仁田ネギも・・・コンニャックも・・・よく届きますね。まさに名物!!
みんな大地の恵み・・・収穫物からの産物ですね。
いま・・・そういった自然体験?・・・本当の姿?・・・知らない・・
そうそう一度…鶏肉を食べる話になって…
まさに庭で走り回っている様な鶏を捕まえて・・・その場で…
これこそ・・生命の戴きますの・・まさに原点だったんでしょうね・・・
今となっては良い経験だったといえますが・・・
実は・・・その時・・・当然その鶏は食べる事が出来ず…
子どもの私にとってはインパクトが強すぎた…逆にしばらく鶏肉がNGに(笑)
今でも・・・あまり得意ではないですね。
こういうのもある種のトラウマなんでしょうか??・・・大人になって知恵が勝った
野菜にしても果物にしても・・・そこに“命”が・・・収穫の直前まで・・・
本当の意味での時期やそのもの本来の姿がそこに・・・あったわけで・・・・
その本来の姿や時期・・・季節感というものは・・・今は残念ながら・・・
色々な技術や利便性と引き換えに・・・もしかしたら失われてしまっている!?
そういう意味での体験・・・子どものころの体感や経験って・・・貴重なんですね。
うーん・・・・
私が自身の子どもへ・・・振り返ってみると・・・そういう“場”・・・
どれだけ出来ていたのかなぁって・・・・反省モードに
どこかのホテルや旅館に旅行して泊まりに行くのではなく・・・
田舎に行く・・・それがすごい楽しみである種のご褒美的な・・・私の子ども時代・・
そういう時って母親の兄弟や私にとっての従兄弟も集まる貴重な瞬間・・
必ず記念写真を撮っていた…・そこに成長の歴史もあったんですね・・・・
私にとってのひぃおばあちゃんもそこにいつも・・『おさむもよくきたなぁ』って
声をかけてくれて・・・写真にはいつも笑顔で写っていた・・思い出が・・
もうどれくらい・・行っていないだろう??
NHKのTVで・・限界集落の特集でその家の様子を見るようになってしまった
災害のニュースで・・・南牧村の言葉を聞くようになってしまった…
連休?夏休み?・・・この田舎に・・・自身の子どもたちを連れて行ってきたいです。
『 土は命のもと、生活の土台 』・・・・
私にとってのこの生活スタイルの原点はその田舎に(我が家にとっての実家という意味)
ちょっと違う趣旨で思い出話になってしまった??(笑)
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