想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

それもゆめだから。

2014-07-17 15:54:35 | 日記

義父は優しいひとだった

でも 自分の意見が正しいと主張し 周りを従わせた

反論など 許されないことだった

ひとつ不満だったのは

正しい正しい といいつつも

子育ては失敗してるよね

そこに 失敗作がいるよね ということだった
(失礼ながら)

立派な男が二人 人として 男として

過ちを犯し

その償いをしたのは 貴方だ

なぜ 本人に償わせないの? また繰り返すよ?

繰り返そうとしているよ?

嫁だから 逆らってはいけない とか 古いよね

意見は云い合ったほうが 絶対うまくいくよ

私だって それほどバカじゃないよ

大企業に就職できなかったからといって

バカとは限らないんだよ …

ある日 私は そんな義父に意見した

無論 義父は火がついたように怒った

そして普段は目をつぶって見逃している私の許しがたい言動のことも

一気にその場で否定した

気に入らないなら 口で云えばいいのに

そんなだから わだかまる

心が通じえないじゃないか ほんとうつまらん 判りあいたいのに

でも もう取り返しがつかない

逆らってしまったから

実の息子も 逆らわないのに 嫁の分際で

そして 義父母は 私の幼い娘を連れ去った

「あなたのお母さんは間違っているよ」と云うつもりだ

終った … 娘を奪われた

すると まだ4.5歳の娘が

まだ ゼリーみたいにプルプル柔らかな心を 思いっきりギスギスにしながら

わめいた 「おばあちゃんも おじいちゃんも 嫌い!!」

そして 私たち母子は 世界を敵に回してしまった

夫のKが助けてくれるわけでもなく

私たちは行き場を失くし 家を飛び出した

恐ろしく広い 世界のなかへ

果てのない道 億という群衆 味方のいない世界

何も見えなくなった未来

「何故 私をかばった …?」

娘は 満足げに にっこり笑ったという …








義父は優しいひとだった

少しわがままだったけど

話を聞いてくれた 離婚するときに

「すまなかった」と云って 泣いてくれた

優しいひとだったよ 会いたいよ …

変な夢を 見るものだね




じいの診察日

変な夢を見て ベッドから起き上がれず

食事はさせたが どう考えても 病院に行けない

思い切って介護タクシーの会社に相談すると

すっかり馴染みとなった運転手さんが

代わりに行ってくれることになった




… 助かった



あとは 夕飯と

寝る前のケアを 頑張って

明日は 半日 休んで どうにか立ち直らねば

来週は自分の心療内科にかかって

新しいベッドのお試し期間がはじまって

次の週は レスパイト入院だ

負けた 今回は 私の負けだ

2か月が 長すぎた

あと少し 持つのか 自分は

そして 暑い 夏がくる …。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする