想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

おんみのえんこうのしたで。

2013-02-22 21:27:07 | 日記
〔ALS が動いた〕

今朝も四時に起床。
なんかスッキリ目が覚める。
妹が午前の仕事を終えて戻る前に、
歩いて温泉に行く。
ホホバオイルにローズマリーの精油を垂らして、
頭頂部をマッサージ。
私の体質は、全身のリンパを刺激せず、
手も足も末端だけ。
マッサージ終えたら石鹸で洗い流し、
バイブラバスに入って一汗かき、
マッサージ、サウナ、洗浄、水風呂を、
二時間程繰り返して、
思う存分デトックスを楽しんだ。
上がってからリンゴジュース飲んで帰りみち。
帰りしな好きな歌を歌った。
どうせ誰も聞いてないもんね。
観光バスとすれちがうたび、
カッコーツアーだの、クビキのバスなどとふりかえる。
オフモードにしないとね。
また歌う。

どんなに辛くても、頑張れる。

そう想っていた。


〔病院〕

主治医の前に私と妹が座る椅子が用意されていて、
後ろに看護師さんとSW さん。
この光景。似ている。信大で受けた、衝撃の告知の日よ!

ドクターの言うことは予想がついていた。
排泄の問題。
次はきっとその選択に迫られるだろうという。
二択。
膀胱カテーテルかオムツか。
オムツならそれをとりかえるひとが必要なこと。
それは父に選んでもらい、
私たちの覚悟はそれに習うしかないのだった。
そして、飲み込めなくなる、
喋れなくなる。
息ができなくなる。
順番は分からない。
呼吸器は患者自身の最後の本当に最期の、
意識があるうちの確認によって、

変わる。

今は全身麻痺の生に意味を見いだせなくても、
人の心は、苦しみに左右されるから、

判らない。

これも、父に任せる。
私たちは、いや、私は、大丈夫だと云い聞かせていた。
こちらの病院は信大と連携して難病外来を立ち上げつつあるらしく、
家族の介護疲れを癒す為、
レスパイト入院というのを実施する。
一ヶ月入院
二ヶ月在宅介護。というサイクル。
もちろん、在宅の場合24時間。

一時間程話して、
父のところに戻った。
不安がっていた父。
さらりと、次はオムツかカテーテルだよという。
どっちにする?
管は嫌だ。オムツにするよ。
でも、おまえたちが大変だよ?
覚悟を決めておいて。私たちも覚悟を決めておくから。

…呼吸器のことは、ドクターからしてもらうことになった。

退院は3月末に決定。
それから、五月末まで在宅。
六月末まで入院。八月末まで在宅…
九月末まで入院。十一月末まで在宅…
十二月末まで入院。新年は、家で過ごせるかな。
おせち料理食べられるかな。紅白は見れる? 猛暑は乗り切れるかな?

帰り道、妹にオムツのことを告げると衝撃を受けていた。
もうどうでもいい。
私はやれる。やってみせる。子供たちは巻き込まない。妹もあてにしない。
仕事もするし、本も読む。商いもする。子育ても、家事も、バラの手入れも。

途中、とても喉が渇いて耐えられず、温かいお茶を買った。
「抹茶が入ってる!」嬉しいなと思った。

そして、突然母の事を思い出した。
もう死期が近づいていて、
私は、強く、強く、想ったのだ。

もっといい主治医に巡り合いたかった。
もっと、色んなことしてあげたかった。
オムツだって変えられるよ。
何でもするから、母を連れていかないで、神様!
まだなにもしてあげてない。
まだ色んなことしてあげたかった。

あの日の想いが強くて、こんな現実を引きつけてしまったのかな。

今度は、あの時と違う。
キーパーソンは私なのだ。

そして、ごくごくと美味しいお茶を飲み、
また、想う…。

闇のなかでなきゃ、光は感じられない。
おいしいお水を喉を鳴らして飲む喜び。
お水を選ぶこともできる、贅沢。
あなたなしでは、気付けなかった。
きっとそういう事なのだ。

光を、光を…と心が歌っていた。
この種を芽吹かせてあげてください、と。


御身の円光の下で。



注意 フリー素材からいただいた写真です。





コメント (1)
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