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小笠原渡航記 1992年2月  その10

2022-01-25 12:07:46 | 写真 海

        二月二十ニ日

 朝食。・・・荷造り。
 バッグを預けて早々と宿を出た。

 埠頭はまだ人の姿は疎らであった。

 出航までには、まだ数時間があった。 街中を歩いた。

 まずは鯨のモニュメントの前で記念写真。生の鯨を間近では視られなかったがまあいいだろう。
 後ろに写っているカラフルな建物は公衆トイレである。
 埠頭の周辺は公衆トイレが充実していた。長時間の散歩でも困ることは無かった。

 時間をつぶすために近くの小笠原ビジターセンターへ。 ↓



 その後、埠頭近くのベーカリーで昼食用のパンを購入する。
 このパン屋名、横文字だったような気がするが・・・現在の地図ではそれらしき店名は見つからない。私の記憶違いかもしれませんが。
 小笠原土産は今となってははっきりと思いだせないが・・・
 私はクサヤを妹はハカラメとTシャツの記憶があった。後は・・・思いだせませんでした。

・・・・・・・・・

 エリーは鯨を視るために一便遅らせるとのこと。!。 

 埠頭が賑やかになってきた。乗船客よりも見送りの数の方が多いような気にさせられる。

 メグロ も オガサワラオオコウモリ オカヤドカリグリーンペペ も そして 鯨 も 視なかったけれどそれなり楽しめた。

 乗船。出航 (ビデオが再生できないのでテキストだけです)
 カラフルなテープ。夥しい数。昔の映像では何度も視たことがあるが実際にまだこんなことをしているとは!!!。

「・・・・・!!!」
「□■△▲▽▼◎◇↑↓」
「♂♀∴・・・★§§∋∋」
 ?!
「いってらっしゃーい」
 入港したときは・・・『おかえりなさーい』だった。

 おがさわら丸がゆっくりと埠頭を離れた。埠頭とデッキ。大勢の人が手を振る。
 微速前進。島人が船に合わせて手を振りながら埠頭を移動する。
 船速が上がった。何人かは走って船を追いかける。
 埠頭の端。そのまま数名がダイブ!!!。
(いまでも毎回行っているらしい・ビデオが再生できなかったのが惜しい。ネット検索をしてみてください)
 何隻かの小型艇が湾の出口を越えたあたりまでまで随走。

 二見湾を出ると海は荒れていた。往路よりもかなり激しい・・・『船酔い続出だろうな』
 !。鯨がジャンプ。距離はあったが、とりあえずホエールウォッチング?はいたしました。

 同郷の四品川とN母のY県弁講座。
 アブラゲ=一般的に云う生揚げ・厚揚げのこと
 アブラゲの皮=これが油揚げのこと。言いえて妙。
 納豆に砂糖をかける。『エッー!』
 四品川は今でも砂糖をかけるそうだ。食習慣はそうそう変わらないらしい。
 ※たぶん、往路の船の中での会話だったと思う。書き忘れたのでここで。

 海はますます荒れて来た。
 激しい揺れが延々と続く。

 二等船室。往路では気づかなかったが、あちこちに洗面器が置いてある。
 『これは・・・覚悟が必要そうだ』

 妹は只々、ずーっと床に磔の刑のごとくだったと言っている。
 頭を上げることが辛くてできなかったとも。

 四品川は妹ほどでは無かったがやはり辛かったようだ。

 N母は大丈夫そうだった。

 私は磔になるほどでは無かったがやはり時々胃の中から酸味を帯びた液体が・・・。
 かろうじて嘔吐はしなかったが。

 ・・・船酔いをする者が続出。

 近くの男。特に激しい。呻き声。それを通り越して絶叫。
 その友人と思われる男。「俺は君を助けたいけれど・・・」話が長い。
 
 あまりにも煩いので船員に声を掛けた。
 船医は搭乗していない。
 ひたすら我慢するしか無いようだ。
 それでも医務室はあるようだ。
 船員がそこへ促がした。
 ※この時周囲の者は心の中で『万歳』と叫んだ。・・・と想う。
 しかし、彼はこれを頑なに拒んだ。

 ※妹の談。
 「『何故!』と憤慨したのは私だけでは無いはずだ。あの声がとにかく辛かった。」
 『お願いだからみんなのために医務室に行ってくれ』と言いたかった。頭も上げられなかったのに」
 
 私は絶叫を避けて娯楽室に逃走。しかしそれも暫くの間だけだった。
 映画が早々と終了。
 行く当てもなく暫くは元凶から離れたデッキをうろついていた。 

 深夜。
 海は凪る様子は無い。
 絶叫も治まらない。
 煩くて眠れない。
 ・・・・・・

 つづく

 

  後のために  ダイビング編目次 へLINKを貼ることにいたします。

 



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