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グアム 1994 APRIL その3

2021-10-31 12:14:17 | 写真 海

                グアム市街

  仮眠から醒めると窓の外は暗くなっていた。
 タモン湾沿いのホテルロードに繰り出した。街灯は疎らであった。
 若い男が近寄ってきた。実弾射撃の客引きだった。
 帰るまでには何処かの店にお世話になる心算だったが慌てることは無い。
 割引チケットを受け取って適当にあしらった。
 歩きだして五分のところにジャパンフード。コンビニエンストアであった。
 ミネラルウォーターを求めて覗いてみた。
 店内は日本のそれを狭くした規模。商品も店名が示すように日本の商品が殆どであった。
 しかし、製造年月日を確認すると少々古いものばかりであった。
 ミネラルウォーター以外は手を出さない方が無難のようだ。

 道路を渡って土産物屋を冷やかすことにした。
 フィリピン人とおぼしき娘が数人群れていた。
 私を視て手を振りながら叫んでいる。
 『客引き?』私にアルコールと風俗は無用だ。
 中に男が一人いた。それが通訳をした。
 「ヒコーキ デ イッショ ダッタ ト イッテル」
 !。確かにそんな一団がいた。機から降りる際に荷の扱いに手間取っていたのを手伝った記憶があった。
 「カエリモ イッショ」
 『そんなはずは無いだろう』

 たぶんテナントなのだろう。長屋に数件の店が看板を出していた。
 その中のひとつ、『USA・Tシャツ』に入った。
 安価なものは三枚で二十五ドル。モルディブのものより質は良さそうだ。
 「十枚買ったらもう少し安くなるのかな?」
 「八十ドルにしますが・・・」四品川小百合(妹の仲間)の男販のような店員が答えた。
 「タックスは?」
 「いただきません」  
 『よし、これに決めよう』とりあえず五枚ほどを選んでカウンターへ。
 「・・・五枚じゃ半端か?。六枚で五十ドルにしようか?」
 「いいですよ、五枚で四十ドルで」
 「ああ、そう。気に入った。日本に帰ったら宣伝しておくからね」
 「よろしくお願いします」
 「お兄ちゃんは日本人?」
 「そうです」
 「ふーん。ここは長いの?」
 「そうですね。でも時々帰りますから・・・」
 「やはりそうだよね。たまには日本の飯も食いたくなるだろうしね」
 「ここは何でもあるのですが、特定の物は無いですね」
 「・・・・・・?」
 「例えば、牛丼はありますが、吉野家の牛丼はありません」
 「なるほど!。で、暇なときはサーフィンとかやって暮らしているわけ?」
 「ここは叔母の店なのですよ、昼間は別の店があってそっちに行ってますね」
 ※1994年の記録でしたので現在の状況を調べましたら吉野家のグアム店は無いようです。

 隣も同様な店。店内を覗いたが代り映えしないのでそうそうに退散。
 小男が近づいてきた。これも実弾射撃の客引きだった。やはり割引チケットを渡された。

 「とにかく飯を喰おう」と言うことで長屋の右端の店『喰いしん坊』のショーウィンドーを除いた。
 いきなりドアが開いて「いらしゃいませ」とチャモロおばさんが声を掛けてきた。
 チャモロオバサンは『絶対に他の店へは行かせないぞ』と言う意気込みを見せていた。
 グアムはどうも過当競争気味のようだ。
 メニューは和食ステーキ。料金は結構高い。
 小サイズのサーロインステーキ?とコロッケ定食、ビール二本で五十ドル。

 
 

  部屋に戻って射撃割引チケットを取り出した。
 『最近、当射撃場隣で他の客引きが、当店の評判を落とそうと無事無根のウワサをたてヽいるようだが、
  当店は開店以来、無事故であり。又グアムの警察官が当射撃場に練習に来る店でもあります。
  どうかウワサにひきまわれませんように。』 原文のまま

 無事無根 は、事実無根の誤りだと思うが外国で見る日本語は笑えるものがかなりある。
 警察官が練習に来る・・・そんなはずは無いと思います。

 

  ダイビング後 ホテルの部屋から・・・〇はジェット旅客機

 



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