
十月四日
珈琲は僅か75セントであった。大き目のカップが嬉しい。
飲み干すとウェイトレスがすぐに注ぎに来た。
日本のファミレスよりも行き届いていた。
そのたっぷりの珈琲とトースト、オムレツとで早々と朝食を済ませた。
予定より一日遅れて、いよいよポーンペイでの初ダイビングである。
ダイビングサービスはホテルの一角にあった。メッシュバッグと撮影機材を抱えて顔を出した。
オーナーとユキ姐がいた。オーナーは私と同じネクサスF4を、ユキ姐はネクサスF801のセッティングをしていた。
ベンチの上にネクサスを置きウィンドブレーカーを掛けた。
浪速シスターズがやってきた。喧しさは朝になっても変わらない。
出迎えに来た青年が眠そうな顔をしてあらわれた。
「おはようございます」
「お早う」
「それでは器材を車に積みましょう」
二人分のメッシュバッグをトランクの荷台に積んだ。
ウィンドブレーカーを羽織った。
ネクサスF4。青年が覗き込んだ。
「何ですか、これ?」水中接続コードの接続部を指して訊いた。
「あー、これですか・・・これは・・・」と説明
ミニバス。ドライバーはユキ姐。乗客は四名のみ。
バスはコロニアの街(と言っても昭和三十年頃の日本の寒村風景)を抜けて海岸通りへ。
道路縁。湾の中に浮桟橋。数隻のボートが係留されていた。
キャビンのあるモータークルーザー『ドルフィン号』。
平型和船『サメ・カメ・マンタ号』・・・命名のセンスが!。そのほか数隻。
数十メートル先には座礁して傾き朽ちかけた船・・・。
我々はドルフィン号に乗り込んだ。
オペレーターはオーナーである。
スタッフはユキ姐と青年。その他に現地人が二名。
ポーンペイのシンボルであるソーケースロックを左舷に視てドルフィン号が行く。
環礁の内側であった。海面は湖のごとくフラットで波、うねりは全くと言ってよいほど無い。
バディはカリブで周囲の風景を撮っている。
傑作は期待できそうもないが楽しんでいるようなのでそれでよいだろう。
一本目 パルキルチャンネル
ドルフィン号の速度が落ちて来た。環礁の縁近くに辿り着いたのだろう。
水面に眼をやる。多少のうねりがあった。
セッティング。シーカーボ&ファブリックスーツを着込んだ。
ブリーフィング。ガイドは青年である。オーナーとユキ姐は同行しないようだ。
・・・・・・
「残圧が五十になったら知らせてください」
「分かりました」
浪速シスターズがバックロールで次々にエントリー。
続いて私。そしてバディ。
水深十メートル。ガイドの後ろについて水中移動。
ネクサス+ニコノス+SB102のセットは水中でもけっして軽くは無かった。
水中での負担は相当な物である。決して他人には奨められない。
水深二十メートル。左十メートル上方にナポレオン。
真下にニシキヤッコ。臆病なそれはすぐに岩陰に姿を隠した。
ブルーフェイスドエンジェルフィッシュ(アデヤッコ)がゆっくりと泳いでゆく。
このポイントは地形が馬の鞍状であった。
我々はその鞍の中央上部にいた。水深三十メートル。両側の淵の深さは見当がつかない。
淵に蠢く影。・・・鮫。ホワイトチップか?。
・・・・・・
残圧が百を割った。
!。タンクを叩く音が水中に響いた。周囲を見廻した。
オーナーが音源だった。指差す方向を視た。
深蒼の向こうからゆっくりと近づいて来る影があった。
・・・?。巨鳥!。・・・『マンタ!』
ネクサスを構えた。ファインダー中央部にマンタを捉えた。
距離十メートル。シャッターレバーを静かに引いた。
マンタは我々の存在を全く意に介していないようだ。
翼をはためかせ真直ぐに近づいて来る。
ファインダーの中でマンタが大きくなった。シャッターレバーを引いた。
フラッシュの接続コード。中央部を外しニコノス用と付け替えた。
カメラを切り替えてニコノス(ネガカラー)で二齣を撮影。
残圧が気になった。確認。まだ余裕があったが念のため水深を浅く取った。
バディはガイドと一緒に十メートルほど離れたところで中性浮力を取っている。
撮影の邪魔にならないように配慮しているのだろう。
私の眼の前数メートルをマンタが横切って行く。
背は白と黒のツートン。腹部は殆ど白。斑紋らしきものも見当たらない。
ラジエターグリルのような鰓孔もはっきりと見て取れる。
最大の特徴である口の両端の頭鰭も捲き上げておらず大きく展げている。
※頭鰭はゆっくりと泳ぐときは舵の役目をし、速く泳ぐときは水の抵抗を少なくするために筒状に捲き上げられる。
このマンタは少々小さい。翼長は二メートルに満たない。
腹の下に従えたコバンザメが戦闘機の増加タンクのように目に映る。
しかし小さいながらもやはりマンタである。威風堂々としたその風格は既に備わっていた。
水深二十メートル。残圧五十。マンタは深度を下げ私の十メートル下で舞っている。
心残りはあったがガイドとバディに合流することにした。
泳ぎながら片手を広げて残圧が五十になったことを伝えた。
二人の傍に泳ぎ寄った。
だがガイドはいっこうに移動する気配を見せない。私のサインに気づかなかったのか。
バディの残圧をチェック。私より浅いところにいたためだろう、まだまだ充分余裕がある。
この水深ならば、残圧三十でゆっくり浮上して減圧停止の時間は充分とれた。
エア節約のためにバディから少々いただくことにした。
バディのオクトを引っ張り出してオクトのカバーを外した。
漸くガイドが気づいた。自分のオクトを差し出した。
『サンキュー・・・むっ!』
ハーネスを掴まれた。そのまま水中移動。無様な姿である。
そこまでされなくてもオクトパスブリージングをしながらでも充分行ける。
と、言うか残っているエアで充分なのだが。
この際だから貴重な経験と思いガイドの行動をつぶさに観察することにした。
私のインフレーターホースに手を伸ばした。排気釦を押してBCのエアを抜こうとしている。
だが私のBCに入っているエアはほんの僅かである。
ボート下に至った。水深五メートルに金属のバーがぶら下げられている。それに掴まり三分間の減圧停止。
浮上。スターンのスイミングステップに掴まった。
「言ってくれなきゃ 判りませんよ」
片手を広げながら「こういう風に伝えた心算なのだが」『視ていなかったのか?』とは言わなかった。
「・・・・・・!。無茶ですよ。あの深さにあんなに長く居ては」
「申し訳ない」・・・そんなに無茶をした心算は無かったが。
バディも浮上してきた。
胃がむかつく。波酔いか?。
こんな場合は我慢せずに嘔吐するに限る。
船尾から二度吐いた。
「大丈夫?」
「うむ」
「顔色が真っ青だよ」
「・・・少々疲れてるんだな。睡眠不足もあるし」
浪速シスターズはエア持ちが良い。一向に上がって来る気配がない。
もっとも身体は私と比較するとかなり小さい。肺の大きさも半分ほどだろう。・・・漸く上がって来た。
※身長150cmと180cmの体積比は 180/150の三乗 ≒ 1.728
体型が相似とすると単純計算ではあるが180cmの者は150cmの者の1.7倍の空気量を必要とする。
「先ほどは手数をかけて・・・申し訳ない」とガイドの青年に言った。
「いえ、気になさらないでください」
『ふーむ。パラオの莫迦とはだいぶ違う』
昼食は船上で摂る事となった。弁当が配られた。だが食欲がない。
箸をつけたのはそれから暫くしてからだった。
他はすでに半分ほどたいらげていた。
ユキ姐がネクサスF801を持ってダイビング。
「休みにまで潜ることはねえだろうに。しょうがねーな、アイツは」
そう、言いながらオーナーもビデオカメラを持ってダイビング。
尿意をもよおして私もスターンから飛び込んだ。
体調はだいぶ回復していた。
「お嬢様方。夢のようですぜ」とオーナーが浪速シスターズに声をかけた。
その声に促されて二人も、燥ぎながら飛び込んだ。
ポーンペイは北緯六度。ほぼ赤道直下。気温は三十度はあるはずだが不思議と暑さを感じない。
ポート(左舷)のガンネル(幅二十センチ弱)の上に横になり日光浴。
波で船が揺れている。が、左脚を船腹から垂らし、やじろべえの要領でバランスを取る。この辺は手慣れたものである。
つ づ く
※掲載順位がランダムなのでダイビング記事の目次を作りました。
年代順となってます。
ダイビング編目次