ぽせいどんの今日の一枚 +

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Maldives Bandos island 1993年  その1(新)

2021-07-13 08:33:08 | 写真 海

 ※ 当時、ダイビング紀行を記していたことを思い出しました。
   見つかりました。
   28年ぶりに読み返すと・・・いろいろ忘れていたことを思い出しました。
   と、言うことで書き直すことにいたします。

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 『インド洋の宝石』あるいは『インド洋の真珠』
 この言葉を聞いてすぐにモルディブが思い浮かばなければダイバーとは言えない。
 ダイビング雑誌のアンケート調査によると行ってみたい国の第二位であるから(ちなみに一位はタヒチ)その人気の程が知れよう。
 
 と、こんな書き出しで始まっていた。全文を記すのは少々気恥しいので参考にして加筆・訂正等を行うことといたします。

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 モルディブ共和国 首都はマーレ。
 インド洋に26の環礁(アトール)が点在、それが1190島を囲んでいる。
 その広がりは赤道を跨いで南北753km、東西180kmにおよぶ。
 島の大部分は無人島。人の住んでいる島は200余り、そのうちでリゾート島は60島。
 島の標高は僅かなもので、高いところでも海抜3mほどである。
 熱帯モンスーン気候に属し雨季と乾季とに分かれている。
 公用語はディベ語。だがほとんどのリゾートで英語が通じる。
 通貨はモルディブルフィアだがUSドルの方が強い。
 宗教は回教。故にポルノとアルコールの持ち込みは御法度。
 まあ、予備知識はこんな処か・・・・・・・・。

  1993年に記したものですから現在とは若干異なるかとは思いますが。

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 プロテックスの中身  (← 2リットルのペットボトル →)
 パスポート・外貨、米ドルで500。クレジットカード。
 雑誌のモルディブ特集のコピー。電気ポットとカップ。変換プラグ。
 珈琲、味噌汁、スープ、松茸の味お吸い物、マグヌードル、レトルト赤飯。
 『センセイ』はハンディタイプを購入。BCジャケットのポケットに丁度収納できる大きさ。
 (これを最初に水中に持ち込んだ方を尊敬いたします。水中での会話が可能になりました。)
 沖縄だと5mmのウェットスーツだがファブリックスーツに変更。重量とスペースに多少の余裕ができました。

 撮影機材はNikonF4 NIKONOS-V カリブ F3は陸上用に持って行きたかったが断念。
 これにハウジングNEXUS F4。Nikkor24-50mm。マイクロNikkor105mm。ニコノス用28mm。
 水中スピードフラッシュ・陸上用スピードフラッシュ。ミニ三脚。アルカリ単三を20本。
 フィルムはコダックのアンダーウォーターを5本。フジクロームを5本。ネガカラーはリアラを5本。

 その他は最小限度の着替え等である。

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 11月15日 出国
 ・・・・・・・・・空港でのあれこれが記載されていましたがバッサリと削除。
 乗機。お決まりの救命具の取り扱い説明。
 エアランカ航空ではスチュワートが担当。
 機内放送は英語の次にたどたどしい日本語で行われた。
 言わんとすることは理解できるが少々怪しい雰囲気である。
 言葉通りに受けっとったら不安になるだろう。

 スチュワーデス(1996年まではまだこう呼ばれていた)の制服は民族衣装風である。上下セパレートタイプ。剥き出しのウェスト。
 その褐色の肌に触れてみたくなるのは男の性か?。それとも私が立派な中年になった証か?。
 右肩カラエアランカのシンボルである孔雀の羽をあしらった。タスキ(正確な名称は不明)を掛けていた。

 午後一時半。定刻をやや遅れてトライスターは成田を飛び立った。
 間も無く機は海上にでた。機窓から九十九里浜が見えた。
 スリランカと日本との時差三時間半。腕時計を遅らせた。
 リフレッシュメント。紙お絞りとジュース。お絞りは手渡しせずにピンセットで抓んでよこす。おまけに香水臭。
 
 ※当時はいい感じはしない。と思ったがコロナ禍の今ではむしろ歓迎だろう。
  いま思うと人種的な(白人にたいして)配慮があったのかもしれない。

 我が町を高所から眺めようと思っていた。だが薄い雲がかかっていてハッキリしない。
 東京湾・伊豆大島・利島・新島・式根島までを確認した。



 機内食。及第。パラオの時のコンチネンタル航空よりもはるかによろしい。
 内容はブリの照り焼き、あるいはポークカレーを選択できた。
 その他にはサラダにライスかパン。デザートはピーチタルト。珈琲紅茶。
 両方蝕して視た画違和感はない。日本人の口には抵抗なく受け入れられる。

 乗客は大半が日本人。老人の団体が一組いた。
 聞いたところによるとスリランカとインドの寺院巡りのツワーとのこと。
 添乗員付きのそれは我々の料金の倍もするとのこと。
 残りの大半は私よりもだいぶ若い。私と同じ旅亭程表を時々見かけた。
 目的地はやはりモルディブのようだ。殆どがカップルである。手を握り合っている。新婚さん?。

 機内の照明が落とされた。
 ・・・乗客の大半が眠りについた。寝つきの悪い私は手持無沙汰である。
 気窓を眺めていた。眼下は海が途絶えて陸地になっていた。インドシナ半島であった。
 静脈のように大河が走っていた。泥流、メコン河か?。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 機内が明るくなった。リフレッシュメント。
 それと前後してEDカードが配られた。
 トランジットの我々には不要の物だでsる。
 しかし、ノルディブに行くはずの乗客も大部分が受け取っている。
 小型の英和辞典を片手に苦戦している。
 一言告げようかと思ったがこれも経験であろう。黙することにした。

 スリランカ

 成田を飛び立って約十時間。トライスターはコロンボ国際空港に着陸した。
 現地時間は午後七時を廻ったころ。日本では間も無く日付が変わる頃である。


 タラップを降りてバスに乗り込んだ。
 空港の規模はサイパングアムよりもかなり大きい。
 5分ほどでターミナルビルへそのまま二回のトランジットカウンターへ。
 ボーディングパスを受け取るとしばしフリータイム。免税店を覗き込む。
 外国のこの種の施設に来て日本と大きく異なることは自動販売機が皆無であることだろう。
 ちょっと喉を売潤そうとしても店員の手を煩わせることになる。
「どうしますか?レストランにでも入りますか?」と連れのE君。
「すぐに飛び立つから要らない。機内でジュースでも貰おう」
 他のメンバーに本より得た知識を披露。
「インドの何処かは忘れたが自動販売機があるそうだ。だが客は自分でコインを投入して物を買うことができない。何故だか判るか?。
 販売機の前に一が付いていてそれにコインを渡し品物を指定する。なんか変だろう。人件費と機械の価格のギャップがそうさせるらしいのだが・・・」
「・・・・・・!」
 やはりこれは無用の知識でした。

 そうこうしているうちに字有Kんが迫ってきた。一回に折りて手荷物検査。
 待合室に入りモルディブへのEDカードにに記入しているとアナウンス。
 人の群れが動き出した。外に出るとすぐ左の倉庫のようなところへ案内された。
 ・・・私のPROTEX(ハードケース)が逆さまに置かれていた。
 自分の荷物を確認。係員に告げる。これを忘れるとモルディブでいくら待っても自分の荷がでてこないことに。
 再びバスに乗り夜の空港を移動。

 当時(今でも)、モルディブへの直行便はありませんでした。
 エアランカ(スリランカの国営)航空・スリランカ/コロンボ経由でモルディブ/マーレまでのみでした。
 最近はいくつかの航空会社が参入。経由地も航空会社によっていくつかあるようです。  

 
  
 モルディブ迄の飛行機はA320。大阪、宮古島間を繋いでいる機と同型の双発小型ジェット。 
 通路が中央に両側はそれぞれ三座。機内の雰囲気はジェット機と言うよりもJRのグリーン車のそれである。
 夜遅い便ゆえにか空席が多数あった。
 八時半。機は漆黒のインド洋↑に飛び立った。

 腕時計を30分遅らせた。時差は日本と四時間である。(以後はモルディブ時間)
 リフレッシュメント。ピンセットでのお絞り配布はやはり違和感があった。
 フレッシュジュースがのどの渇きに有難かった。
 隣の席。体調の不良を訴えて横になっている。飛行機酔いらしい。ゲロ袋用意。
 機内食。空腹は感じていないがこれを記すためにとりあえず手を伸ばした。
 サンドウィッチは特別の物ではない。デザートの菓子は和菓子に似ていた。
 もう少し甘さを抑えて欲しいと思うのは私の我儘か。
 
 ・・・・・・・・・・。
 高度が下がってきた。気圧が上昇して行く。花を摘まんで耳抜き。
 機窓に時々灯が走る。リゾートのそれであろう。

 着陸。午後九時半。マーレ空港無事到着。日本ではすでに16日だ。
 フルレ島。空港だけの島である。昼間ならば周囲のコジマが見えるはずなのだが夜故に確認できない。
 タラップを降りて徒歩によりターミナルビルへ。と言っても大きな平屋。パラオよりましな程度であった。

 入国審査。荷を受け取って税関へ。
 プロテックスまで開けさせられて念入りに調べられた。
 パズルのようにダイビング機材と写真機材を詰めているのでかなり大変。
 酒とポルノのチェックに執拗になっているようだ。 
 日本の週刊誌(持って行きませんでした)など、ヌードはもちろん水着グラビアの掲載されているような物はすべて没収。
 「これは印刷、偽物。本物はいくらでも通っているのに!」と女性を指さす。・・・と言うジョークがありました。
 無事通過。

 「アイ******・****ション?」現地係員が訊いてきた。
 「イエス」と私。
 「ドコノシマ?」 
 「バンドス」
 「ココデチョットマッテクダサイ」と建物の中に案内された。
 立ち木にイルミネーションが施されていた。クリスマス時の都会の街路樹のようでした。
 「ここのクリスマスは旧クリスマスでひと月ほど早いんだ」とジョーク。
 ノッポとチビの若い女性の二人連れがその前で記念写真を撮ろうとしていた。
 「シャッターを押そうか?」とEくん。
 「お願いします」と女性がカメラをE君に渡した。
 Eはそのカメラを受け取り構えた。
 「そうだぽせいどんさんがいるんだ」と私にカメラをよこした。
 「この人の方がいいよ専門家だから」
 イルミネーションの前に立たせてシャッターを切った。
 そのすぐ後に現地の男が二人に声を掛けて来て写真を撮ってやると言っていた。
 「大丈夫だよ。ちゃんと写っているよ」と言ったが二人は断り切れないでいた。
 不用意にカメラを渡すと盗難てことになるかもしれないと主ttが鳥越苦労であった、治安はそれほど悪くは無さそうだ。
 「君たちは何処へ?」とE君。
 「フルムーンです」最近海藻が終ったリゾートである。 我々の行くバンドスよりも少々高額。
 ・・・背の高い方の娘は見事な丸顔。『フルムーン!』
 係員が返ってきた。その後について道を挟んだ桟橋へ。


 スピードボートとどーニーがかなりの数停泊している。
 スピードボート(日本ではモーターボートと呼ばれる類の船)に乗船。
 キャビンの中は中央が通路。その両脇に複座のシートが並んでいた」
 乗客は日本人と白人(国籍は?)がほぼ半数ずつの十数人。
 船尾に狭いオープンデッキが付いている。
 ボートはすぐに出航した。デッキに出てみた。夜風に涼感。
 エンジンはボルボディーゼル。艇速は20ノットに届かないくらいか。
 夜の環礁を走って行く。遠くにポツリポツリと灯が見えた。
 そのひとつひとつがリゾートのはずである。

 頭上を見上げた。空港では明かりの所為で視え那賀ttが満天の星である。
 蒼白く輝くおおいぬ座のシリウスが高度を稼いでいる。オリオン座のベテルギウス。小犬座のプロキオン。
 冬の大三角だ。その中央に空気の汚れた地域ではまず視ることのできない一角獣座が。
 歓声をあげたら乗り合わせたご婦人(白人)「彼は本当に星が好きなのね」と。
 正直夜空に見惚れていた。E君が揶揄したがそんなことは気にならなかった。
 この前後数日はしし座流星群も視られるはずでけっこう楽しみにしてました。 

 前方の灯が大きくなってきた。バンドス島のようだ。船速が落ちてきた。

 

 (同じ画像を二回掲載) バンドス島は空港と同じ北マーレ環礁の中、それもごく近い。

(グーグルアースから取り出した画)
 B バンドス港 港の中の様子がだいぶ変わってます。
 C 私の泊まったコテージはこのあたり
 D ダイビングサービス
 あの頃無かった水上コテージもある!。

 つ づ く

 初稿 7/10投稿は削除いたしました。

  ※掲載順位がランダムなのでダイビング記事の目次を作りました。
  年代順となってます。

  ダイビング編目次

               

 

 



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