かくれて咲く花

~凛として~

「死んでも可いわ」

2010-11-30 22:31:06 | Weblog


今日で11月もおしまい。
2010年(平成22年)もあと1か月。早かったような、長かったような、そんなこと意識する暇もなかったような、今年も盛りだくさんのいろんなことがあったけど、少しずつ、日々前進していることは実感している。登ろうとしている山は高くそびえ立ち、山頂のあたりは雲がかかっていてよく見えないけど、そこへたどり着くためには、いま立っているところから一歩一歩、確実に歩みをすすめていくしかない。

ため込んでいた新聞のバックナンバーを勢いよくめくりながら(ななめ読み)目を通していると、朝日新聞の「真央らしく」の新しい記事を発見。ここは熟読。


 「子ども向けのメッセージ……。何て書いたらいいかな。『やればできる』かな。でも、今の真央に言われたくないよって言われるかもしれないですよね。やっぱり『日進月歩』にしておきます」


真央ちゃん、なんて謙虚なんだろう


 「今、自分が目指しているものが標準。それを早く達成しないと、これから先へ進めないから」


自分の状態も、目指すものも真央ちゃんはクリアに分かっている。分かっていて、そこへ到達するために集中している。自分の強みも弱点もよく理解したうえで、さらに技術を磨き、表現力を高めるとともに、ジャンプやスケーティングの基礎を見直して・・・この常にaim at highな姿勢。「一心に打ち込む」ということは、何をめざすかわかっていなければできないことでもある。ぼんやりとしていた私の目標も、ようやく固まってきて、比例して軸がしっかりとしてきた。私も「日進月歩」のことばを胸に、真央ちゃんを見習ってがんばろう!!!

朝「楽しいムーミン一家」を見てから家を出ることが恒例になってくると、ムーミン谷の人々の言葉遣いが実に丁寧でホッとする一方、そうでないものを見たり触れたりすると気持ちが悪くなる。これは、自分の中の感覚を研ぎ澄ませていくとさらにそういう傾向が強まるので、日常生活を送るにはほどほどにしないといけないなあと思いつつ、会話や文章の中で出会うハッとするようなフレーズや美しい日本語を自分の中に取り込みたいと思っているので、ムーミンの原作を手にとって眺めていたりすると、心が安らぐ。村岡花子さんの『赤毛のアン』とはまたひと味違う、少しむかしふうの、きれいな日本語で訳されている。それがうれしい。

同じく新聞をめくっていて見つけた、11月22日付東京新聞「筆洗」の、故・米原万里さんのエピソード。二葉亭四迷が「アイ・ラブ・ユー」に相当するロシア語を翻訳する際、日本人は「愛している」という言葉は遣わないので、「死んでも可(い)いわ…」と訳したと米原さんは自著で紹介した。しかし、実はその訳はロシア語で「あなたのものよ」という意味で、「愛している」ではなかったという指摘を読者から受けた。米原さんは文庫版で丁寧に謝罪し、その指摘に対する感謝の気持ちを伝えたうえで、二葉亭四迷の意訳の文学的センスを「驚くべきものだ」と評しておられたのだという。英語の時間に、“I belong to you”を何と訳すか、とあてられて、「私はあなたのもの」と答えるのが気恥ずかしくて黙ってしまった私には、そうか、その訳があったかと思う。でも高校生じゃ、もっと言えなかったと思うけど。死んでもいい、の「いい」に「可い」という漢字をあてているのも奥ゆかしい。「あなたのためなら死ねるわ」ということを含みながら、死んでもいいくらい好きな気持ちがギュッと入っていて。そのあとの「…」も余韻がある。ちなみに私に訳をあてた若い女性の先生は、両手を広げて「私はあなたのものよ!!」という意味ですね、と嬉しそうに言ってましたけど。そんな大胆な、と内心思った記憶がある。みんなの前でそんなこと言うの、恥ずかしくないんかなと。いまでも思うが、そういうセリフは好きな人だけに聞こえる距離で、そっとささやくのが適切なシチュエーションのように思う。

大好きな映画「Dave」では、「君のためなら死ねる」と日本語では訳されたけど、“I would've taken a bullet for you.”というセリフがある。“大統領のそっくりさん”を町のおまつりで披露していて、シークレットサービスにスカウトされたデーブが大統領の身代りを務めるというお話。ほんの少しの「代役」の間に、なんと本物の大統領が情事の最中に倒れてしまい、思いのまま操ろうとする側近たちに説得されそのまま大統領職を継続する。もちろん本物じゃないので、大統領付きの警護官は本来警護対象ではない一般人を警護していることになる。ある日デーブが“They say you'd take a bullet
for the president. Is that true? Would you let yourself be killed to save his life?”と聞くと、“Certainly.”と警護官は答える。デーブが“So that means now you would get killed for me, too.”と言うと、警護官は答えに詰まってしまう。だけど偽物であることを知りながら警護を務めるうち、イヤなやつだった本物の大統領よりも人間味があるデーブの人柄、情熱を好ましく思うようになり、デーブが偽物の任務を終えてそっと立ち去るとき、その警護官がいう。“I would've taken a bullet for you.”直訳では「あなたのために、銃弾を受けただろう」、字幕は「君のためなら死ねる」だった。「うめ」訳では、「あなたのためなら、喜んで撃たれたと思う」かな。男の友情、忠誠心にぐっとくるシーン。大統領(身代り)のケビン・クラインがよくハマっていて、シガニー・ウィーバーも知的で素敵なファーストレディーを演じていて、1993年の映画ですが、もう何度も見てる映画です。

ロシア語、英語ときたので、最後は平安朝に飛んでみましょうか。


    「忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな」


中宮定子の母、儀同三司母が詠んだ、新婚の頃の和歌。私のことをいつまでも忘れないと言ってくださるけれど、先のことはわからない、ならばいっそいまこの瞬間に死んでしまったほうがいいですわ、という想いを詠んだのだそう。もしかしたらこの先あなたが心変わりするかもしれないから、だったら幸せ最高潮の瞬間に死んだ方がいいかもしれないわ、という感じなので、こういう気持ちも「死んでも可いわ…」という一言に含まれると考えると、すごく刹那的なひとことになって、それがまた色気を倍増するのか、それとも翳りを加えてしまうのか、文脈や言い方、また受け取る側によるかもしれない。

ああ、やっぱり言葉と戯れるのは楽しい
なんやらかんやら、ああでもないこうでもないと文章を書く、言葉を綴る作業が好きなのは、自分の中からあふれ出す思いがあるからなのか、それを探すためなのか、よくわからない。でもそこはどっちでもいいんだと思う。とりあえず書きたいことがあるときというのは、いろいろと湧いてくるものだ。「あふれ出す」というより、「湧きあがる」と言う感じかな。言葉の泉、自分の胸の奥にあるhotspringから・・・と考えると、やっぱり「あふれ出す」ものなのかな。どっちが語感としてはいいのかな。でも「降りて」くるものでもあるしなあ・・・と考えるのも、また楽しい


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2 Comments

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Unknown (coco☆)
2010-12-02 13:40:34
「死んでも可いわ」なんて、どきっとする言葉言われてみたい(って女だけど^^)

日本語のこういう奥ゆかしさ、美しさ。。。ってあるよね。

「愛してる」と囁かれるよりも、「私はあなたのものよ」とか「あなたのためなら死ねるわ」とか囁かれたい。

こうしてみると、愛を囁くっていうことは切ないことね。
大事に大事に思いを伝えるからかしら。

12月は天使と愛が飛びかう月だから、こうして愛について考えるのは素敵。
うめちゃんの綴る文章はいつも私の気持ちを特別なところへ運んでくれる(^-^*)
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Unknown (うめ)
2010-12-03 17:49:24
coco☆さん♪

そんなふうに好きな男に囁かれたら、死んじゃいますよね(笑)

愛の囁き方、伝え方には本当に時代も言語も越えて真剣で多彩で。むかしの和歌も本当に情熱的で驚くほどです

英語の“you mean so much to me”って、日本語では何ていえばいいんだろう、といつも思います。あなたが本当に大事なの、という感じかなあ。日本語でも英語でも何時代でも、真剣な想いを伝えたいという真心、誠がことばにのって、それが魂を感動でふるわせるのかなあなんて思います。

直接ことばにしなくても、背中で「お前のためなら死んでもいい」と語っているような男に惚れる

愛を囁くこと、伝えることは真実であるほど切ないのかもしれないですね。言葉にならなくても、目だけで語る愛だってある。

coco☆さんとこうしてアンサンブルしていると、愛が深く、じんわりと胸いっぱいに広がっていきます(*^^*)
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