かくれて咲く花

~凛として~

Graceful Period

2008-04-17 17:27:01 | Weblog
昨年末にかけて大きな仕事をやり遂げた後、燃え尽きたようになってしまい、ここ数カ月のあいだはやりたいことも次の目標もはっきりせず、曇りガラスを手で拭くような、明日が見えない気分が続いていました。そういう時期のことを、ある人は「自分の棚卸し」期間だといい、ある人は「Graceful Period」という美しい表現をしてくれた。ありがたいことに、ホントにまわりの人たちはみなやさしくて、毎日が「神の恩寵」と思う出来事にあふれていると実感します。

「人生もキャリアも、自分でデザインしていくもの」というアドバイスをくださった尊敬するVさん。即メモ。さすが外資系、"Expand your horizon""Push your limit"と、心にストレートに響いている英語のフレーズと一緒に。わたしの職場は超ドメスティックなので、仕事も「基本リアクティブ(言われたことをやる)」を推奨されるのだけど、やはり自分の担当している仕事はよりよりものにしていく努力をしたいし、自分も勉強して向上していないとおもしろくない。家に帰ると、「平穏な日々が続くのも幸せだけど、世のため人のためにそろそろ“攻め”にいかなきゃね」との尊敬する友人・Mさんからの葉書。わたしは神様(→の言い方に抵抗がある方は、“サムシング・グレート”というイメージで)の存在を心から信じているだけど、いろいろ迷ったり悩んだりしているときに抜群のタイミングでこういうふうなお計いがくると、「上から見ていろいろとアレンジしているに違いない」と思わざるを得ないのです。わたしだけじゃなくて、各人に本当にきめ細かくご配慮してくださっている。それに気付くか気付かないかで、毎日の幸福感はずいぶん違うと思います。どんなにつらいことがあったとしても、「絶対に自分は神様の腕に抱かれて守られている」「いまのこのつらさはこの先の喜びへの途中」と思えるから。

どこに向かってすすんでいけばいいのかもわからない「曇りガラス」状態が少しづつ晴れてきて、やってみたいと思うこともだんだんみえてはきたけど、おもしろいのはどっちに向いていったらいいかもわからず「基本リアクティブ」でいたわたしに、なんとなく「これをやってみたらどうか」とでもいうように、たくさんヒントをくれる出来事が用意されていたこと。前の記事で書いた、人生の転機は「向こうからつかまれる(向こうからあなたを選ぶ)」という感覚は、わたしの場合は「そんなの思ってもみなかったけど、やってみたらおもしろかった」ということが多いため。明確に「これがやりたい!」というのに突き進んでいたのは、小さい頃からずーっと夢だったアメリカ留学まで。留学を果たした後は、紆余曲折の連続の中で、そういう「向こうからつかまれ」た道を歩いてきたように思います。いま担当している仕事も、配属されたときは「行きたくない」と泣いたのに、数年たってまた異動になると「おもしろかったのになあ」と名残惜しく思うほどに。「これをやりたい」と思うことがあっても、「これをやりなさい」と言われたことをやっているうちにおもしろくなった・・これってリアクティブでよろしくないのかな?と思う一方で、あれこれやりたいとジタバタするよりも、神様を信頼してお任せしたほうが、よくなっていったように思う。天の配剤は本当に絶妙だし、棚卸し期間だけに限らず、本当は人生は最初から最後までGraceful Periodなのだと思います。

下書きもできないくらいの曇りガラス度だった期間も過ぎて、また新しいキャンバスと向かい合い、デッサンをはじめたという感じ。最終的にどんな絵になるのかはわからないけど、とりあえず描き始めるのが「うめ」流なのかもしれません。いまの気分は、ミスチルの「靴ひも」かな。♪渋滞で停車した このバスを飛び出して 靴ひもも気にせずに 全力で駆け出して♪