PLANET LULU GALAXY!

ルルの日記

愛の夢とは・・・

2011-12-15 13:22:48 | 心象風景

12/13日

11日の日曜日、人生ってなんなんだろうって、(真央ちゃんのこと、自分自身の母娘関係と重ねたり、 相手が、(愛する対象が、)まだ必要だといくら想っても願ってももぎとられるんだ、この世は 残酷だ  相手の気持ちを推し量ってわかってるつもりでいたとしても、やはり、人の心には誰も知れない部分がある。 まして、表面からは何もわからない 心ないことを言われても、好き勝手なことを言われても ただただ寡黙に耐えていたんだ 今までの表情の、その心の奥にあったこと.... 自分自身も辛く苦しい中で、震災のチャリティーのためのスケーティングをしたこと、 そして夢に向かう想い)夜にかけて色んな感情が合わさって(震災からも9ヶ月...)右も左も解らなくなるほどに大泣きしたけど、(いい歳してすみません。。)

 

絆を心に、人は強く生きられる(ミリオンダラーベイビーについての日記で、コメントをくださった方〈ブルーさん〉の言葉を思い出しました... 自分ひとりでは解らないことって沢山あります...)、という言葉を信じようと思います...

 

2週間前に本を片付けるときに切った爪と皮膚の間の切り傷をこじらせてしまってたり(傷の治り早いはずだったんだけど...)

 

同じく2週間前ロフトにあがる梯子に左足の薬指を強打して、それもこじれてるみたいなんだけど(テーピング巻いてます)

 

そんなことで(軽症なのに..)集中ができなくなる自分に呆れつつも(どんな中でも心を強く持てる人を見習わなければ...)、今日はダンナさんの御祖母様にお手紙を書きました

 

答えは、行動しながら考えていきたいと思います・・・

 

昨日隣駅の歯医者さんに行った時、イトーヨーカドーに保険証落としたみたい...(気付かなかった。。。そんなこと初めて 集中力をなくし過ぎてます... ダンナさんの会社に連絡がいったみたい。。。忙しいのにごめんなさい~~)取りにいってきます

 

 

12/15 あらためて日記の続きを書いてます(保険証、隣駅までチャリンコに乗って取りにいきました だいぶ気分転換になりました

 

まずは、自分の立場、できることを集中して全うすること、両親とダンナさんのご両親に愛と感謝を伝えること(クリスマスカード書き)、あとダンナさんにも・・・ 年末の大掃除、年賀状を書き始める 自分がテキパキできない性格であることをじゅうじゅうわかってるので今から、余裕を持ってがんばります。。。

 

今生きている、この現実こそ、愛の夢なのかもしれない、と思う...。

それに感謝しながら、一心不乱に(自分なりの..)愛の夢を築くこと、頑張ろうと想います

 


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ダンナさんの前向きパワー/道は開ける

2010-04-14 11:40:00 | 
ナノちゃんの大怪我で、最初のうち、私は性格上?ただただ起こってしまったことを嘆いて悲観するばかりだったのですが、ダンナさんの前向きパワーのおかげで、徐々にこの数日間が充実してると感じられるようになりました


アウシュビッツ収容所でも、状況に悲観せず、冷静にとらえ、自然を美しいと思う心、他人への思いやり、将来への明るい展望(収容所を出たらパン屋を開くんだ。とか、アメリカに渡って、ここでの経験を本に書くんだ、とか)を持ち続けることが出来た人が生き残る確率が高かったそうです。

その事実は、ウィキペディアのアウシュビッツ強制収容所の項にも書いてありました。



デール・カーネギー氏のこの本にもアウシュビッツから生還した人物のエピソードが書いてあります。

道は開ける 新装版
デール カーネギー,Dale Carnegie,香山 晶
創元社

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偉そうな上から目線で“啓蒙”しようとするのではなく、実際に人々に起こった経験(キリスト、リンカーン、チャーリー・チャップリン、ジョージ・ガーシュイン、などの偉人・有名人を始め、戦争で子供を亡くした無名の婦人、同胞に教育を受けさせ、選挙権を・・という使命に燃えるアフリカ系青年〈→冷静さと熱意でまさに今自分を殺そうとしている多数の相手の説得に成功し、リンチ死から逃れた〉 etc.)のエピソードを紹介し、人生に起こる様々な問題を乗り越える手段を“提案”しています。


三年ほど前にダンナさんが買って、私も読んで、すごく参考になった本です

なんだか大げさな話に持っていくのが私の常ですが。。。

ナーちゃんがふがふが言ってるので今からお世話してきます~~~(また書き直すor加筆するかも~~)


どんな状況でも、そのことをなるべく楽しみ感謝すること=精神を消耗させない方法


人を動かす 新装版
デール カーネギー,Dale Carnegie,山口 博
創元社

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〈追記〉↑アフリカ系青年のエピソードが書いてあったのは、同じくD・カーネギー氏の著作のこちらの方だったかもしれません..あとで確認してみます

こちらも実際にあったエピソードを紹介しながら、他者にどうアプローチをすれば相手が快く協力してくれるか・・・などの提案が書いてあります。



4/15 P.S.今考えたら、自分の状況とアウシュビッツの極限状況を繋げてしまったこと、あまりにも不謹慎だったと思います。。

でも数日前までは、自分の状況が不幸だとしか思えず、起き上がれず、あらゆる事象を思い出しながら、自分を救い上げるしかなかったのです...。(昨日の夜まで、自分の傍らで私にくっついて幸せそうにスヤスヤ寝ていた大切な子が、生命の糸が途切れる寸前と直感するほどに、酷い姿になってました...。 その時は、もうダメだ...と力なく、無力に泣くことしか出来ませんでした...。 本当に、医療の進歩と、ナノの強い生命力と周りの手助けに本当に感謝しています...。助かって良かった.....。)


分けて書くべきだったかもしれませんが、常に考えていたことと、自分の身に突発的に起こったことを繋げてしまいました。

本当に人類の歴史は、残酷な一面を持っていると思います



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エアポケット

2008-08-03 14:01:00 | 心象風景
なんか、この暑さが(、といろいろ。残酷なことが、)とてつなく憎くて(憤って、)目の前の扇風機を、拳で殴った 時々こういう気持ちのエアポケットにはまってしまう...最近


・・千明ちゃんは大丈夫なのかな・・。(連絡来ない..)

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Pan's Labyrinth(パンズ・ラビリンス)

2007-11-01 14:33:19 | 映画
昨日は自由が丘の歯科医院に行った後、ダンナさんの職場近くの「恵比寿ガーデンシネマ」に、スペイン系メキシコ人ギレルモ・デル・トロ監督のファンタジー映画『パンズ・ラビリンス』を観に行ってきました。

観終わって、帰って来て、一晩寝てなお、ぐったりしてます・・・。
とてもいい映画だと思う。
でも、ショッキングなシーンが多すぎて、何だか消耗してしまったのです・・・。

私は、最初、恵比寿ガーデンプレイスの入り口の“ガーデンシネマ映画情報”に書いてあった『パンズ・ラビリンス』のあらすじを読んで、
「お父さんを亡くした童話好きで夢見がちな少女が、弟を身ごもってるお母さんと一緒に新しいお父さんのところに行って、新しいお父さんに理解してもらえなくて空想の世界にエスケープするのね~」
・・という“大人は判ってくれない”的な(トリュフォー監督の同名映画とは別の感情...)生ぬるいかつ甘美な、ファンタジー世界を想像していて、それを幼い頃の自分に置き換えたりしつつ(あとは、“少女のヴィジョン”が大人社会を救うのかとてっきり思っていたよ.........。)“スペイン版アリス”の映画世界に浸って自分を癒そう・・・などと甘いことを考えていたのですが・・・。

その“甘い計画”は映画が始まって初期段階でうち砕かれてしまいました。

もう、、ショックすぎてここでは書けないほど残酷...。


ネタバレは無いと思いますが〈差し障りのない程度に書いたと思います。。〉相変わらず言葉数が多いので〈ほとんど映画を観てぐるぐる考えた私の妄想の類い..笑〉まっさらな状態で観に行きたい方は、ご注意を...←後でプラス。。)


主人公の少女・オフェリアが、目を逸らしたくなるような残酷な現実からエスケープして、幻想世界をさまよう時間=観客が少女のファンタジーに触れられる時間は割合として20%くらい(時間としてはもっと長いのかもしれないけど、現実シーンの残虐描写の衝撃が強すぎて、そのくらいに感じられます。。)あとは、ひたすらファシズムの下で、命を虫けらのように扱われる人々、戦争というものの残酷な実態の描写を突きつけられ続けました。

去年観た、テリー・ギリアム版アリス『ローズ・イン・タイドランド』が少女の空想世界=ファンタジー度80%、認めがたい辛い現実20%・・・
という感じだったので、(通称スパニッシュ系オタク?)デル・トロ監督は『ローズ・イン~』を意識して、逃れられない残酷な現実80% 少女の空想世界=ファンタジー20% という構図を作ったのではないかと思った。
(ちなみにデル・トロ監督、スタジオジブリの宮崎駿監督にも多大な影響を受けているらしく、少女オフェリアと“女勇者”メルセデス〈←ルルが勝手にそうイメージして、感情移入してた、オフェリアの理解者の女性。〉との関係なんて『未来少年コナン』のモンスリーとラナみたいでした・・・。って、今、プログラム読んだら、やっぱり『未来少年コナン』に影響受けたって書いてあったよ!??ほんとビックリ、、、オレはほんとオレが怖いよ。。まぁ...〈私も〉オタクゆえにこういうことがたまに起こる...不思議なことでもなんでもない・・と思います。〈・・デル・トロ監督いわく「『リボンの騎士』と『未来少年コナン』が僕の少年期を形成した。」だそうです...。〉)

あぁ~~...なんかまた話しすぎそうな予感なので続きはまたつぎに・・・。
でも生ぬるく甘えた頭と心がガツンと覚醒されたのは確か。(←この表現、この時にも使ったような...)
(平和の元にある人間の仕事は、自分が幸せである、と認めることからスタートするんじゃないかと思ったよ~...T_T)

スペインの歴史などもこれから勉強しようと思います。

あと、オフェリア役のイバナ・パケロちゃんがほんと可愛かった!!
『ミツバチのささやき』のアナ・トレント以来のスパニッシュロリータね・・・(うっとり...)

もうひとつ、テリー・ギリアムの『ローズ・イン・タイドランド』はギリアム版“不思議の国のアリス”であり、ギレルモ・デル・トロの『パンズ・ラビリンス』はデル・トロ版“鏡の国のアリス”だと思いました!(わかるかなー。 by.りょうくん
&クリーチャーのデザインが魅力的!(ダンナさん談)

こんな感じ・・・

最近、マックの調子がものすごく悪くて、いろいろ困難がでてきてます。画像の保存とかができないんですよね~...なので、今回のトップ画像はプログラムの写真を携帯で撮影したものを載せます~。(マック治ったら貼り直すかも...)


パンズ・ラビリンス
黒坂みひろ,ギレルモ・デル・トロ
ゴマブックス

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↑〈追記〉文庫本『パンズ・ラビリンス』のデータがアマゾンにありました~!

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お知らせ

2007-03-02 18:01:33 | お知らせ&伝言
こういう風に思う一方で、
自分の身体・精神の不調を相手に伝えるのも“自己責任”、相手に対する“礼儀”なのではないかと思いました。(基本はそうなんだけど、何らかの圧力、プレッシャーから、それらを訴えることが出来ないのが〈前回の記事で書いたような〉“苦しみ”の原因だと思う。〈ちなみに財◯のマド◯ナ・奥◯◯子氏の言ってることは普通に“残酷”だと思う。〉)

(個人と個人の問題で言うと、)伝えない限り、相手にはそれが解らなかったりするわけで、“察してくれるはず”というのも、その相手に余裕がなかったり、他のことを考えていたり・・・。(相手との間で)“精神の波長”がよほど、“奇跡的なほど”合ってないとなかなか難しいことかも。
(だから、自分の意志を相手に伝えるというのは〈出来るのなら、〉なるべくした方がいいのかも。)

「すべて自分のせい」と思うのも自分以外の人を信頼していない証拠。
(「すべて他の人のせい」と思うのは、勿論問題外。)

↑これらは、私自身に対する呪文みたいなものですが、端的に言うと...

今、だいぶ余裕がなくて具合が悪くて落ち込んでます。

いくつかコメントをさせていだだきたい・・いただこう・・と思っていたのですが、それができないことをどうかお許しくださいませ・・m(__)m

(ただ、愛する対象を失った方、愛する対象の命の危機に直面している方のお心をお察しいたします・・m(__)m)
(調子が戻って、まともなこと言えるようになったらコメントさせてくださいね。)

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無題・51

2007-02-23 19:19:55 | 
すべては 残酷な姫のために
甘い 甘いお菓子の好きな
可愛らしい悪魔
寄生体

姫にお話しをきかせてあげる

木の上の 小さなたまご
悲しみ嗚咽のロブスター
好奇心の強いカキ

みんな 姫に食らわれるために

“でも小さい女の子ってへびと同じくらい
  たまごを たべるものなのよ”

“それじゃあ 女の子って へびの一種じゃない!!”


お苦しみ
ふちどる 黒いしげみを
涙にぬらして
そして... 食べるの
最後になったら そこでやめるの

あなたが 大人になるまで
覚えておいで
いつかは 私も
あなたに 食われる

愛くるしく
残酷な
私の姫
永遠に
そのままで いておくれ
私を食べつづけ
私と対話を
続けよう


(22歳)

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We're Gonna Have a Real Goodtime Together

2006-12-31 15:10:36 | 事象への想い
子供が生まれたら、お母さんが、お父さんが私にしてくれたように、小さい頃からたくさんの絵本を買ってあげたいと思う。

箱根の保養所で読んだ絵本、ロシア民話の「ゆきむすめ」がすごく心に残ったのですが、
この話について思うことはいろいろあるので、今日はサラッと・・・。

愛する対象が、ある日突然、雪のように消えてなくなってしまうこと、失ってしまうこと・・そういう可能性を知っているからこそ、(胸に忘れずにいるからこそ)人を愛することができるのだ・・と思う。

ゆきむすめ―ロシアの民話

ビリケン出版

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↑私が保養所で読んだのは、福音館のものでしたが、福音館版の表紙は、手塚治虫の「どろろ」の百鬼丸みたいな(!?)感じにも見えて、それがもの悲しく、せつなくて、私はほんと心を打たれてしまった。。上記のビリケン出版のものも読んでみたいな・・。

「ゆきむすめ」は、“いじめ”というものの構図、そのことによって命を失うこと・・残酷な人間界の有り様が描写されていると思うのだけど、“ゆきむすめ”が消えてなくなって、その後、残された老夫婦のエピソードが描かれていないことがすごく気になる・・。

思い出したのは、パティ・スミスとMC5のギタリスト、フレッド・スミスのこと。
パティはフレッドと結婚してからしばらく、音楽シーンから離れ、子育て、主婦業に専念してたそう・・。
29歳でデビューしてから、あんなに激しくアーティスト活動をしていた彼女がそれほど潔く家庭に入る・・というのがすごく意外・・という気もするが、実はそのパティの生き方が私の中のフェアリー・テイルでもあったのだ・・。

ウェイヴ
パティ・スミス・グループ
BMG JAPAN

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パティはトッド・ラングレンプロデュースのアルバム「WAVE」の中の、最初の曲“フレデリック”で、夫、フレッド・スミスへの愛を歌っている・・。(「WAVE」は私が18歳の時にいっとう最初に手に取った、買い求めた、パティ・スミスのアルバムでした・・。)

そして、パティは、1994年にフレッド・スミスを心不全という突然すぎる形で失って、その後、アーティスト活動を再開する・・。(夫、家族、人間への愛を、もう一度歌うため・・?)

最近ダンナさんが冗談で、(私があんまりワガママを言ったり、ダンナさんがいろんなところに引っ張りだしてくれるのをブウブウ文句を言ったりすると、)「チョモさん、あの時は楽しかったねぇ・・って言うときがきっと来るよ。それを、黒い枠に入った写真に話しかけてたりして。。」とか、ちあきなおみの“喝采”のようなことをいうのだけど、その時はゲラゲラ笑うのだけど、後になってシミジミと「ダンナさんを大切にしよう。この時を当たり前だと受け流すのはやめよう。」と思う。

YouTubeには、パティ・スミスの“フレデリック”のMVは無かったのですが、見つけて「ワオっ♪♪」っと小躍りしてしまった曲

↓パティ・スミスによるヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカヴァー“We're Gonna Have a Real Goodtime Together”を貼り付けますね~~☆☆


Patti Smith - We're gonna have a real good time

それでは皆さま、良いお年を~~
来年も一瞬一瞬、大切な時を共に過ごせたらよいですね・・・
コメント (18)
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LULUが22歳の時に書いた情念深い詩

2006-11-19 12:31:04 | 
すべては あの恋から始まったことだと思う
私は 16歳で、 すべてに禁欲的になろうと思っていた
本気で尼になろうと思ってたもの(笑)
私は 心は 尼のまま あの人に見初められたと思ったから
でも矛盾してくるでしょ 欲望がめばえると
そのままではいられなかったの
あの人に キスされたいと思ったし、 もちろんそれ以上も...
そんな私が恥ずかしかったわ 心臓のものおとさえ のどぼとけの動きさえ
私にとっては180°の変革だった
最初は かろうじて 理性を保っていた
独りきりで 育てぬいた 倫理をこねまわしながら
あの女の子がでてくるまではね

彼女は それは それは 私と正反対の女の子だった
彼女の濃いメイク、胸元のあいた服
それは、群れをなす 女の子たちからは 非難の対象になる要因だけど
私にはすごく魅力的に見えたの(恋してたからね)
私の欲望を抱えこみふさぎこむ カチューシャ(孫悟空のよう)
ひざたけのプリーツスカート(教会の階段か)
細かく編み込んだ三つ編みの髪(それで天国へ近道しようとでも?)

私は 彼を あの子に とられてしまうかと思ったの
彼女がこわかったの
私は 教典を 捨てたわ
ひどく 当たり前に
私が禁欲的になっていたのは
使われることのない 私の欲望が
からまわりする私の欲望が 虚しかったのだと思う

女の子っていうのは そういうものだ
自分が誰かに選ばれない限り
永遠に 生まれることはないのだ
どんなフェミニストだってそう
“人は 女に生まれず 女になる”というじゃない
私は... 女の子になりたかったわ
ずっとずっと苦しんでたわ
彼は みすぼらしい 私を 拾ってくれたの
驚いたわ
私は 自分を醜いと思っていたのに
いけがきのすきまから のぞいていたの
まさか 私が? いいえ 私が?
うそうそ 次は 私?
彼はスペシャル
人生はバラ色
ホント ホント そうだったわ
私の 熟成された 自意識なんて
どこかにふきとんでしまった
そして 私の次なる 目標は
彼を引きとめておくこと
欲望に呼応する精神を養い
精神に呼応する欲望を養うこと

彼に去られて すべての価値は 音もなく いってしまった(そう思えた)
残ったのは 私じゃない 私の姿
まるで あの女の子のような 鏡の中の私
しかも あの子は 私の幻想
私の夢想
私は 聖なるものを失った

あの時、彼がどんなに 想ってくれたかわからない?
しかも それに 気付いてしまった時点で
自意識を形作ることには 失敗している
結局 うつろって
彷徨して
私は狂信者にも 傍観者にもなれないまま
彼は 私が他者であるからこそ
こわさないように あつかってくれたの
私は抱きつき人形のように
彼にしがみついたまま
密室に 閉じこめようとしていた
私を 人間としての評価の元にさらしたくなかった
群れの中の役割は必要ではない
私は あなたの唯一のおんな
それで いいじゃない
私は人間としては 希薄だわ
羞恥心を感じてはいるが
想っても うまくいかないことばかりよ
うまくやりたいのに うまくやりたいのに
しくじってばかり
基準がなければ
彼が 私を責めることはない
彼と私が恋に落ちた時点で
暗幕が おろされればよかったの
そのままで凝固してしまえば 見つめあうままで 終わってしまえば...

でも どんなに醜い姿でも
残酷に 存在は繰り返されるばかりよ
とんでもない ストレス!!

彼を忘れようと思ったわ
だって それは 死んでしまった 映像だから

執着した 映像ほど
憎みたくなるの
だって 間違ってたと 思った方が
シンプルだから

定まらぬ 視線は
彼のせいじゃない
女になりたがった
私がすべての原因


(22歳)
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アルフィー

2006-04-20 18:53:45 | 素晴らしき歌詞
おととい小箱ちゃんが遊びに来てくれて、なんか、私の人恋しさ心に火がついてしまい、何人かにメールをしてしまった。・・・2人だけど・・・。
自分の都合のいい時にしか連絡を取らないなんて悪い友達です。
あと、私、自分のこと、まだ両親に育てられたままの真面目な人間だと思い込んでいるふしがあるけど、相当自分が非常識で傍若無人だということに気が付いた。
ほんと厄介な人かも・・・。みなさんごめんなさいm(__)m

今日はイタさんとお約束している記事も書けずに、ほんとほうけてしまい、私がボロボロになるまで読み込んだ現代詩手帖1999年1月号に書かれたハル・デイヴィッドの詞について書きます。
1999年というと、今テレビのニュースで話にあがってる、未成年者による、母子殺人事件が起こった年です。当時20代前半だった赤ちゃんの父親は、今30歳。どんな思いで7年間の時を重ねたのだろう。

もう私は今日は語らないことにする。語れば語るほど、真実を言えなくなるような気がする。


人生って何だろう アルフィー
この瞬間だけを言うんだろうか
君がその答えを見つけたら
いったいそれは何なんだろう
僕たちは与えているものよりも
与えられている方が多いのだろうか?
それとも それだけ二人は
優しいということだろうか

愛することが愚かなら
残酷さは賢明だろうか
そして権威ある人しか
人生を楽しめないなら
あの福音の書に(己の欲するところを人に施せ)
君は何を賭けるだろう

天国があると僕が信じているように
それ以上のものがこの世にはある
あの世を信じない者でも信じられる何かが

僕は愛を信じている アルフィー
愛がないなら
僕らは存在してるだけだ
失ってから初めて気づく愛なんて
それは生きてないも同じことさ

  (ディオンヌ・ワーウィック「アルフィー」)


バート・バカラック・コレクション
ディオンヌ・ワーウィック
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妻は森羅万象と話をしていた。

2006-03-13 16:39:35 | 

あいかわらずコメントのお返しが出来なくてごめんなさい。
ぐずぐずのろのろで、気持ちが座礁してしまってる間はどうしてもお返事ができないのです。
でも、Yoracha!さま、evergreenさま、私がこの先、生き続けるとしたら、お二方のような女性になっていたいです。感性豊かで、世界、文化、人間に対して、少女のようなときめきを持っているお二方・・・。憧れです。

今日は、私が影響を受けた少女漫画のお話をしようと思います。

私が一番好きな少女漫画家は大島弓子さんという方です。

彼女のことは、18歳の時、とあるバンドの打ち上げで出会った23歳のシャイな素敵なお姉様から教わりました。その時の私は、少年誌に連載していた、江口寿史氏の「ストップ!ひばりくん」のひばりくん(美形なオカマキャラ)になりたいと憧れる、少女趣味を否定し、中性願望のある、絶対スカートははかない(いわゆるホットパンツかベルボトム姿で60年代サイケ少女orパンク少女を気取ってました。)今みたいに気も弱くない勢いのある男気溢れる少女でした。

最初に思っていた大島弓子さんのイメージは、“チビ猫”という名の、擬人化された子猫が主人公の作品「綿の国星」のほわほわのメルヘンの少女趣味な世界でした。

確かに、大島弓子さんの初期作品(1968年「ポーラの涙」でデビュー)は、そうした一面も持っているのですが、80年代に入ってからの彼女の作品は、昔から時々顔を見せていた彼女のブラックでビターでシニカルなセンスが色濃く頭角を現してきました。昔からの少女漫画の定型だった、過剰な装飾、とにかくありえないくらいの登場人物の瞳の大きさ、そういったものがなくなり、登場人物も、背景も、何もかも、無味乾燥に思えるくらいシンプルです。それだからこそ後期の彼女の描いていた、人間の心の残酷さ、美しさが読むものの心にぐさりとめりこんでくるのです。

私が今回取り上げたいのは、大島弓子さんの1985年の作品「ダリアの帯」です。
この作品は、ある本で作家の吉本ばななさんが、敬愛していて、自作への影響も与えた存在であるという、大島弓子さんの作品の中でも特に一番好きな作品であると語ってました。

(私事をお話ししますと、1987年に「キッチン」でデビューした吉本ばななさんは、私にとって同時代、リアルタイムの作家だったと言えるのですが、元々、国内だと夏目漱石、芥川龍之介を始めとする、明治、大正、昭和初期の文豪。近代だとかろうじて安部公房氏が好きだった私は、つまり、現代とシンクロした気分になることをあえて拒否していたので、まったく読んでいませんでした。少し世の中への態度が軟化した時に、一作品程度読んだくらいです。その時期に夢中になって読んだのは、「スバラ式世界」「優しくって少しばか」「我輩は苦手である」などの作品を書いた原田宗典さんです^_^;原田さーん!!!早く元気になってくださーい!!!T_T優れたものなんか書かなくていいので、私は原田さんがご家族と幸せで心健やかに暮らしている情報が聞きたいのです・・・!!!話は戻って、吉本ばななさんの良さは私は解らない〈知らない〉のですが、世界的にも、多世代に渡って支持されている吉本ばななさんも「ダリアの帯」は好きな作品だというのがとても感慨深かったのです。大島弓子さんもいろいろな人〈世代〉に知られるようになってほしい・・・。)

また話が脱線してしまいましたが、「ダリアの帯」は、(ベタないい方をしてしまいますが)夫と妻の究極的な愛の物語です。子供を自分の不注意で流産し、狂気にとらわれてしまった妻の姿に直面した時に、夫は何を考えるか、どういう試みをするか。奇行を繰り返す妻と、それでも会社に通い日常生活を送らなければならない現実。

この物語を読んで、今思い返して、私は、愛とは、「覚悟するものなのだ」と思いました。
夫は、いわゆる現実生活=一般的な日常生活、親族、社会的なていさい。すべてを捨てて、妻と共に生きることを選びました。
精神病院から妻を連れ出し逃げる時の、
「どちらが患者(狂気にとらわれている)なのかはわからない」
「ふたりとも患者なのかもしれない」
とのセリフは本当に名言だと思います。
読み返して、涙が出てしまいました・・・。

ラストはお話ししません。是非、みなさん、読んでみて下さい。

 

ダリアの帯 (白泉社文庫)
クリエーター情報なし
白泉社

 

大島弓子が選んだ大島弓子選集 5 ダリアの帯 (MFコミックス)
クリエーター情報なし
メディアファクトリー



この話は、フェアリーテイル(おとぎばなし)だとは思います。

でも、「人生はおとぎばなし」(J・アーヴィング「ホテル・ニューハンプシャー」より。小人症の少女で作家になったリリーの言った言葉。)なのだと思います。
それとも、「人生は祭りだ」(フェデリコ・フェリーニの言葉)なのかもしれません。

次は大島弓子さんの「ロングロングケーキ」について書きたいです。

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