たしかに、こうでも(疑いようのない善であることが間違いないとされがちな“主人公”を“罪の当事者”の世界に突き落とすぐらい)しないと、ディズニー的な矛盾は解決できないよねぇ…(ディズニー的な矛盾=悪役と決められた人物がたった1人わりをくう、犠牲になり解決される世界。エンパシー(共感能力者)だったハンス王子とか…。でも最近ディズニープラスで観た魔法にかけられて2でこれまた主人公のジゼルが祈りが転じた呪いで意地悪な継母と化す姿、そしてその後劇的なハッピーエンド〈和解〉に着地する姿も観て、ディズニーの創作も進化してたのも確認)
岩波のこの本(たしかトレーシングペーパーに包まれてた時代)、20代前半で読んだ。
繰り返してはいけない“犠牲(sacrifice)”の歴史