日記

日々の雑記にございます。

思うところはいろいろ

2007-09-05 23:04:20 | Weblog
 月曜日には書かなかったけれど、少し日をおいてみても変な感じ。何の説明もなしにキャストボックスが無くなって、そういうものかと納得するにはキャストボックスというものになじみがありすぎる。もう五年以上か・・・やっぱ違和感。

 前々から思っていましたが、舞台というのはそもそも「人ありき」でしょう。制作する人、裏方さん、俳優さん、そしてお客さん。作品主義だということを悪いとは全く思いませんし、CATSに限らず夢醒めやコンタクト、ACLは作品自体が好きです。そりゃあ個々に見れば、もっと上手い人にやってほしいとかってのはありますけど、好きだからいいやと結局は思えます。
 ただ、四季のやや傲慢というか自己中心的な考え方を見ていると、舞台を作ることには情熱を燃やしても、舞台が誰のためと考えているのかなと疑問を感じます。俳優さんやお客さんをなんと考えているのだろうと。
 こういう演劇とかの世界ってよくわかりませんが、昭和三部作のようにメッセージ性のあるものからウィキッドのように幅広い人々が楽しめるエンターテイメント性の強いものまで四季はレパートリーを持っているわけですし。だとしたら、やっぱり感動や夢、楽しみを与えるのも一つの仕事のような気がします。一つの作品、一人の俳優さんが見ている人に与えるものってとても大きい気がします。
 あの時感動をくれた俳優さんは今どこにいるんだろう、そんなことすらわからなくなってしまうのでしょうか。演じる人によって、舞台が大きく変わることは何より劇団の方々がよくご存じでしょうし。でなけりゃハムレットで石丸さんと下村さんの日をわざわざ分けて販売したりしないでしょう(見てないけど)。
 アンサンブルで見ていた人が、名前のある役をしていたら自分のことでないのにちょっと嬉しかったりしますし、また見たいなあとも思うわけです。私たちはキャストに惹かれて突発とかしたことないですが(したかったけど時間と金がなかった・・・)、キャスティングってのは舞台へ人を動かす大きな役割を果たすと思うのです。
 だからせめて、傲慢ではない四季の言い分を聞かせてほしいと思います。キャストに対するクレームがきても「作品を見てほしい」と胸を張って言えるだけの舞台を作っているというなら、キャストボックスを消す必要はないですよね。

 長いなあ・・・レポートのようだ。気にならない人には気にならない話題。でも、ほんの少し私は哀しいかもしれない。人が軽んじられている気がしてならない。