映画食い倒れ。

~映画は人生のデザートです~

個人的覚え書きのため、たまにネタばれありです。

「火垂るの墓」

2007年09月23日 | 映画~は~
この映画、先日テレビで放送されていたようですね。いつもは8月に放送されているので、今年は「あれ?」と思ったいたら9月に登場。

何回観たでしょうか。小学生の時にビデオで、その後は3回ほどテレビの放映の際に観たと思います。こんなに何回も観ているけれど、この年齢になるともう見れません。辛すぎて。
戦争は悲惨、苦しむのはいつも弱者・・・と擦り切れるほどに使いまわされたこの言葉では、この映画は語れないような気がします。

主人公のせっちゃん、そしてお兄ちゃん。
お兄ちゃんはまだ14歳なんです。現代の年齢と比べても社会も時代背景も精神年齢も大きく違うでしょうから意味がないかもしれませんが、それでも今の時代なら中学2年生の男の子が幼い妹と生き延びようとするたくましさ、強さ、やさしさ、苦しみに胸が張り裂けそうになります。



空襲や両親との死別は恐ろしく、辛すぎる経験。でもこの映画を観ていてさらに観客の胸に訴えかけてくるのは、戦時中ではなく「戦後」ではないか。誰もが苦しみながらも戦後の街は復興に向けて大きく動き出した。生活を立て直すため、誰もが必死にもがいている時期。きっとそれには大人も子供も、年齢なんて関係がなかったのだろう。そんな時代、誰も頼ることができない14歳の兄と幼い妹には、本当に誰一人として手を差し伸べない。

「そんな人は大勢いる」「誰もが苦しい」と、そんな兄妹の存在も大勢の中の一部に過ぎず、誰も気に留めない。食べ物に困ろうが、住む場所に困ろうが、幼い女の子が死のうが、14歳の男の子が行き倒れようが・・・。誰も気に留めない。これが時代と言うものなのか。仕方がない、と言っていいのか。

戦争は人の心を変える、とよく言われる。この言葉が使われる時、人とはある特定の人物に対してのものだと思っていたが、そうではないらしい。「みんな生きるのに精一杯。みんな苦しいのだから…だから大勢の中の1人2人にかまっていられない」という集団心理、社会心理。こう思う人を責めるつもりは無いが、これがまかり通ってしまう社会ほど恐ろしいものがほかにあるだろうか。
空襲は恐ろしい。でもそれを行うのは人間。戦争だから爆撃する、そこに一般市民がいても。これも社会心理なのか。洗脳なのか。


社会や時代背景によって、物事の善悪も常識もすべては変わる。私は正直「戦争は悪」とは言い切れずにいる。果たして人間の世界に、白黒はっきりと答えが出せるものがあるのだろうか。

それでもこうは言える。14歳の男の子と幼い妹が、その存在をなかったもののように扱われる社会が容認されて良い訳がない。そして戦争は無い方がいい。



お薦め度:★★★★★  (映画としてのハイクオリティー。でも大人になってからは辛くて耐えられません)


最新の画像もっと見る