最近、神道について調査しているので、さまざまな神社に参拝している。伏見稲荷大社、吉田神社に続き、先日は愛宕神社に参拝した。標高924メートル、京都市で一番高い山の頂上にある神社で、防火の御利益があるとされている。
神道の教えによれば、日本は「神(かん)ながら言挙(ことあ)げせぬ国」であるという。分かりやすく表現するならば、「大自然の神妙な雰囲気を肌身に感じ、言葉で表現できない感覚を大切にする国」と言えばよいだろうか。都会の喧噪を離れての登山は、よい気分転換にもなるだろうと考えたのである。
息を切らせて2時間ほどで山頂に登ると、山奥とは思えぬ荘厳な神社があった。愛宕は「阿多古」とも書くので、宮司さんに聞いてみたところ、「阿多古」はひらがなによる本来の表記であり、「愛宕」は地名に由来するとのことである。神仏習合の神社で、修験道も混入しており、色々な信仰が入り交じっているので表記も不統一なのかもしれない。
登山はなんと言っても下りで足に負担がかかる。リュックサックの背負い方が悪かったせいで、肩が凝り、頭痛もしてきた。下山したときは疲労困憊し、気分転換などという生やさしいものではなくなっていた。
「言挙げせぬ」とはあえて口に出して言わないことであるが、私の場合は疲労感から言葉を失って帰路についた。
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神道の教えによれば、日本は「神(かん)ながら言挙(ことあ)げせぬ国」であるという。分かりやすく表現するならば、「大自然の神妙な雰囲気を肌身に感じ、言葉で表現できない感覚を大切にする国」と言えばよいだろうか。都会の喧噪を離れての登山は、よい気分転換にもなるだろうと考えたのである。
息を切らせて2時間ほどで山頂に登ると、山奥とは思えぬ荘厳な神社があった。愛宕は「阿多古」とも書くので、宮司さんに聞いてみたところ、「阿多古」はひらがなによる本来の表記であり、「愛宕」は地名に由来するとのことである。神仏習合の神社で、修験道も混入しており、色々な信仰が入り交じっているので表記も不統一なのかもしれない。
登山はなんと言っても下りで足に負担がかかる。リュックサックの背負い方が悪かったせいで、肩が凝り、頭痛もしてきた。下山したときは疲労困憊し、気分転換などという生やさしいものではなくなっていた。
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