職業柄、研究プロジェクトや執筆に関係する文献を渉猟することは当然ですが、私の場合、ちょっと発想が行き詰まった時には、思想や歴史の本を読むことにしています。人間誰しも自分が属する場所や時間にしばられていますが、思想や歴史の良書はそうした固定概念をゆらがせてくれる力を持っているからです。
最近読んだこの本も、色々な気付きを与えてくれる本でした。戦後、戦争に協力したとして、宗教哲学など除けば、十分評価されてこなかった京都学派ですが、本書は、科学、技術、美学、教育、言語、歴史、宗教といった幅広い分野をとりあげ、その潜在力を探っています。様々な著者による論文集ですが、京都学派の人々自身の論考をもっと読みたい気にさせてくれる点で、編者の狙いは成功していると思います。
例えば、近年の日本では、外交における主体性のあり方がテーマになっています。実は、それは「世界史の哲学」に取り組んだ京都学派の人たちにとっての哲学的課題でもあったわけですが、興味深いことに、彼らの師匠である西田幾多郎は、日本を主体化することに懐疑的でした。両者の違いは、現代の視点から見ても興味深いものがあるように思います。他にも、技術や科学をめぐる思考にも、現代的な意義がありそうです。
以前、岡崎久彦氏が、「宗教家に外交をさせてはいけない」と述べていたと記憶しています。情勢を正しく判断し、プラグマティックに行動すべき外交に特定の先入観やイデオロギーを持ち込むことをいさめる主旨だったように思います。それはその通りなのですが、曇りない目で情勢をみているつもりで、知らず知らずのうちにある種の思考体系にとらわれていることや、新しいことを言っているつもりで、以前語られていたことを反復しているだけのことは、よくあることです。それを知るためにも、優れた思想家たちによる世界のとらえ方に接する意味があるのではないでしょうか。

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最近読んだこの本も、色々な気付きを与えてくれる本でした。戦後、戦争に協力したとして、宗教哲学など除けば、十分評価されてこなかった京都学派ですが、本書は、科学、技術、美学、教育、言語、歴史、宗教といった幅広い分野をとりあげ、その潜在力を探っています。様々な著者による論文集ですが、京都学派の人々自身の論考をもっと読みたい気にさせてくれる点で、編者の狙いは成功していると思います。
例えば、近年の日本では、外交における主体性のあり方がテーマになっています。実は、それは「世界史の哲学」に取り組んだ京都学派の人たちにとっての哲学的課題でもあったわけですが、興味深いことに、彼らの師匠である西田幾多郎は、日本を主体化することに懐疑的でした。両者の違いは、現代の視点から見ても興味深いものがあるように思います。他にも、技術や科学をめぐる思考にも、現代的な意義がありそうです。
以前、岡崎久彦氏が、「宗教家に外交をさせてはいけない」と述べていたと記憶しています。情勢を正しく判断し、プラグマティックに行動すべき外交に特定の先入観やイデオロギーを持ち込むことをいさめる主旨だったように思います。それはその通りなのですが、曇りない目で情勢をみているつもりで、知らず知らずのうちにある種の思考体系にとらわれていることや、新しいことを言っているつもりで、以前語られていたことを反復しているだけのことは、よくあることです。それを知るためにも、優れた思想家たちによる世界のとらえ方に接する意味があるのではないでしょうか。

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