◆「司法という名のリンチ」=ジャーナリストら反対の声-東京(時事通信) - goo ニュース
とうとう始まったのですね。「裁判ごっこ」が。
さて。早速、裁判員制度に反対運動が始まったようですが…この発言は酷すぎる。
(引用)
呼び掛け人でジャーナリストの斎藤貴男さんは、裁判員裁判について「司法という名のリンチになるのではないか」と懸念。これまでの裁判が真実の究明ではなく、国家の意思を示すために行われてきたと指摘し、
「裁判の位置づけを変えず、市民を動員してもそれはリンチでしかない」と批判した。
(引用終わり)
これはあまりにも説明不足過ぎる。それで「司法という名のリンチになるのではないか」と懸念されたとて国民は感銘も受けないのではないか。
あと…リンチであるという表現は私的に微妙に思う反面、間違っていないと思う。 しかしながら"市民"という表現は明らかにおかしい。
日本は国なのです。"国民"と言うべきだ。
このような国の大事に"市民"なんて表記をするは、国を軽視し、市での小さな問題のような勘違いされかねない。
反対を謳うならばもっとまともなことを言ってもらいたいもの。
まずもって、国民に刑事裁判の問題点を挙げて批判すべきであろう。
「司法を担う警察からしておかしい」「日本の法は穴だらけであるということ。そして、司法が行政と立法に取り込まれていてロクに機能していない現実を伏せている」とな。
裁判員制度が刑事対象なのかはなぜかを訴えたり、刑事訴訟の現実を晒したり、司法を担う警察の不祥事に関する裁判の結果がどうなのかを公表したり…と、裁判員制度以前に問題点は沢山あるのだ。
裁判員制度に関わることは"司法"に触れることである。
その司法の素人人間が人の刑罰に関わること。それがいかに危険極まることであり、そんな舞台に無理やり国民を立たせるこの制度の背景がどうなっているかを世に呼び掛ける必要があろう。
裁判員制度誕生の背景は、"司法の歪み"と言っていいのだ。そんな司法の負債を「国民が受け持て」とあの制度は謳っているのだぞ!
「司法制度改革審議会は法制度改革を訴えながら、まったく改革する気がない。むしろ退化させている」
訴える根幹はそれではないのか。